UIA2011 東京大会までの道のり

UIA総会出席&イスタンブール都市建築視察

伊平 則夫
前関東甲信越支部長:伊平 則夫

 2005年7月のUIAイスタンブール大会になるべく多くのJIA会員が参加して、日本代表団の現地活動支援をしようと、JIA主催のツァーが企画されました。7日間の全日程をイスタンブール市内で過ごすもので、表題の名称のもと、30名のJIA正会員、賛助会員とその婦人、友人達が参加・出発しました。
 夜、8時到着予定のフライトが大幅に遅れて、ホテルに着いたのは深夜の0時を過ぎたと記憶していますが、元気の良い参加者は、マタ・ハリの活躍で有名な『オリエント・エクスプレス・バー』で一杯やってから部屋に入ったようです。明けて第1日目は午前中にトプカプ宮殿などオスマントルコのイスラム建築を見学。昼食を旧市街中心部のホテル最上階のレストランでとりましたが、目の前のアヤ・ソフィア、ブルーモスクと旧市街のまちなみは息を飲む絶景でした。昼食後、ホテルの会議室に於いて現地で活躍されているジラルデッリ青木美由紀さんの「19世紀のオスマン建築」の講演を聞き、数多くのスライドを見てから、ボスポラス海峡クルーズをゆっくりと楽しみました。大型遊覧船の上ではアルコールが付いて、時差ぼけ長旅の疲れの残る体に船が切る風が心地よく渡って行きました。海峡沿いの歴史建築物、高級別荘群を見て、また途中下船し古い街並みを散策し、黒海の入り口まで行って引き返して来ました。この海峡は潮の干満の差が少ないとの事で、出窓が特徴的なオスマン時代の家々も水面ぎりぎりに立ち並んでいます。夕食は金角湾越しに旧市街を望む新市街側の水辺のレストランで皆が一緒にとりました。とても沢山の感動があった日で、帰国後参加者の間で話題になるのはUIA参加よりもこの日のことが多いようです。2日目は午前中にイスタンブールの近代建築、午後はビザンチン時代の建築・美術の見学でした。途中で偶然見つけた、海峡を見下ろす素敵な建築事務所の見学が参加者の強心臓で実現しました。とにかく遺跡、建築、美術の宝庫でその数と街の波乱万丈の長い歴史に圧倒されます。
 
 さて、UIA大会総会参加はツァー3日目でした。UIA大会は新市街を少し外に向かったコンベンション地区内にあるルメリホールで行われていました。その一画に日本建築家展のTokyoブースが設けられ、JIA事務局がありました。誘致競争相手の南アフリカ(ダーバン)のブースも並んでいます。総会会場では各種の審議、選挙が行われていました。その夜は近くのヒルトンホテルでJIA主催の誘致パーティです。ツァー参加者全員が日本代表団と一緒になって、各国のUIA理事、建築家と交歓しました。なるべく多くの方に日本の名刺をお渡ししようと、会場内を歩き自己紹介して回りました。明くる日の午前中がUIA大会候補都市のプレゼと投票です。ツァー4日目の日曜日でした。日本代表団は“えん、en、Kaleidoscopic Showcase、yes!Tokyo”などを標語に頑張り、ダーバンに競り勝ち開催権を勝ち取ったのです。ツァー参加者の半数はUIA総会会場で都市プレゼと投票を見守りました。この日、半数はオプショナルツァーで海峡対岸、アジア側のウスキュダルの建築視察に向かいましたが、ペイレルベイ宮殿の見学途中にケータイで投票結果の朗報を受け取りました。直後の昼食は、ボスポラス海峡に浮かぶ乙女の塔を目の前に、その海の先に旧市街を遠望しながら、晴天の空の下、トルコ料理と“当選” の結果を噛み締めて、とても充実した気分でした。
 
 午後3時にホテルに戻り、つぎの日午後3時の出発までが自由時間で参加者はそれぞれに最後のイスタンブールを楽しみました。滞在中幾度も出入りした定宿『ペラパレス・ホテル』は、オリエント急行会社がパリからの乗客の為に1891年に建てたもので、往年は超高級ホテルとして、サロンでは舞踏会などが開催されワインやシャンペンに特別料理が出されたとの事です。第一次世界大戦後には英国占領軍がこのホテルを本拠地とし、トルコ建国当初にアタチュルクが執務室として使用し、またアガサ・クリスティーはこのホテルで「オリエント急行殺人事件」を書いています。かれらの使った部屋が当時の様子で残されており、19世紀末イスタンブールで最初に設置されたというエレベーターがまだ現役です。部屋からの金角湾と市街の眺めが良く、ホテル内にいるとタイムスリップして古き佳き時代の歴史を感じ、飽きることがありませんでした。UIA大会東京誘致に立ち会った、賞味4 日と半日のイスタンブール滞在でした。




JIA 主催 レセプションパーティー

トプカプ宮殿 イフタリエ東屋の前で

〈a&udI建築研究所〉