JIA Bulletin 2024冬号/覗いてみました他人の流儀

由良拓也 氏に聞く
好きなものをつくり続ける由良拓也

今回お話をうかがったのは、レーシングカーデザイナーの由良拓也さん。日本のモータースポーツ黎明期からさまざまなレーシングカーをデザインされてきました。現在はモータースポーツ関連のお仕事はもちろん、カーボンファイバーを用いたプロダクトデザインも数多く手掛けています。

レーシングカーのデザインを始めたきっかけから教えてください。

 父が工業デザイナーで、小さい頃から自宅の工房で父がクレイモデルをつくるの見て、僕も粘土で真似ごとをしたりしていました。父は車が好きで、まだ自動車も少ない時代でしたが、家には車があったので自然と車が好きになり、勉強もしないでいつも車の絵を描いているような子どもでした。
 高校は育英高専のデザイン科に行き、そこでデザインの基礎を学びました。レーシングカーに憧れていましたが、当時それは雑誌の中や海外のものでしかありませんでした。ところが自宅の近くにレーシングカーをつくる日本の草分けのような会社ができたのです。それはもう運が良いのか悪いのか……。そこに入り浸るようになり、学校にはだんだん行かなくなり中退。気付いたらレーシングカーの世界に本格的に足を踏み入れていました。
 その会社では従業員ではなく丁稚奉公のようなかたちで働きながらいろいろ教えてもらいました。18歳の小僧ですが、父の影響でFRP(繊維強化プラスチック)は触ったことがあるし、モデリングはできるし、絵も描ける。だからすごく重宝がられて、二十歳の頃にはいろいろな人に頼まれてレーシングカーのボディーをつくるようになっていました。

二十歳くらいから個人で仕事を受けていたのですね。

 はい。当時そういうことをできる人がいなかったので仕事はたくさんありました。つくってみてダメだったらなぜダメだったのかを考える。失敗の数の多さが成功の確率を上げるようなものづくりでした。
 そして1975年、25歳の時にレーシングカーを製作する会社ムーンクラフトを設立しました。レーシングカーは速いものが支持されて、遅いものはダメ。すごくわかりやすいんです。当時は今よりもチームやメーカーごとの特色が強く出ていて、デザイナーも作家のように個性的なことを考える人がたくさんいて、とても面白かったです。

デザインはどのように考えていくのでしょうか。

 基本ゼロからですが、車体の大きさや全高、フロントガラスの面積などに厳しいルールがあり、その中でデザインしていきます。それほど意識はしていませんが、シャープな形があまり好きではないので、自分が線を引くと、ぽてんとした丸い形のデザインになることが多いです。

1983年のマツダ717Cがとても印象に残っています。これはル・マン24時間レースに出ていますね。

 マツダ717Cは、まだ技術的な裏づけが少ない時代だったので苦労しました。ル・マンはユノディエールという6キロの長い直線があるので、空気抵抗の少ない車を目指しました。風洞実験はこの車くらいから始めました。筑波にある風洞で、ノウハウがないのでひたすら空気抵抗を減らす実験をしたのですが、数値上の空気抵抗は少なくできても車はやはり下に押し付ける力が重要で、浮いてしまうとスピードが出ません。レースではカーブからの脱出スピードも遅くて、そのあたりのさじ加減が難しかったです。今は自社に風洞実験設備があり、レーシングカーをはじめ、さまざまな開発で利用しています。
 マツダ717Cをつくってフランスのル・マンに持って行った時も、フォーミュラカーをつくってそれをヨーロッパに持って行った時も、力の差にガツンとやられました。我々は歴史と経験が少なすぎるので、こりゃダメだと思いましたね。モータースポーツの中心はやはりヨーロッパにあって、脈々と続けているのがヨーロッパのメーカーの強さだと思います。日本は所詮井の中の蛙。歴史の違いや技術の差などあらゆるものからそれを感じましたし、“極東”という言葉の意味を痛感しました。
 日本で得られるものは何もなくて、すべて自分から取りにいかなければ何ひとつ得られない……そんな絶望感がありました。でも懲りないんですよ。ずっと続けていれば絶対に何かあるはずだと信じています。

マツダ717Cのスケールモデル

マツダ717Cのスケールモデル

ボディーがFRPからカーボンファイバーに変わったのはいつ頃でしょう。

 80年代終わりから90年ぐらいです。カーボンは値段が高いですが、軽くて高剛性で性能が良いのが利点です。
 カーボン繊維は布状ですから、かなり応用が利きます。例えばレーシングカーを1台つくろうと思ったら、服のデザインと同じようにパターンのような型紙をつくるんです。そして、強度によってどの繊維をどう使うかも全部型紙にして、それを型に当てていき、何枚か重ねて固める。なのでできない形はありません。FRPより硬いので加工は大変ですが、ウォータージェット(水)でカットすることもできます。もちろん大きな衝撃を受ければ壊れますが、それまではパリッとしていて非常に軽いのです。衝撃を受けた時に運転席まで致命的に壊れないように、モノコックフレームには芯材が入っていて、それもカーボンで頑丈にできています。
 僕アナログ人間なので、形をつくるのはまずアイデアスケッチを描いてクレイモデルをつくりますが、そこから先はクレイモデルをレーザーでスキャンして、それを3Dプリンターでモデル化して風洞実験をします。以前に比べて開発期間は圧倒的に早くなりました。さらに、CFDというコンピューターで流体解析をし、その両方から形を決めていきます。ボディーをミリ単位で削ったり足したりして、小さな差を積み重ねてつくっていきます。

由良さんと言えば、ネスカフェのテレビCM「違いのわかる男」に出演されていました。建築家の清家清さんも出ているシリーズでした。

 1984年頃ですから30歳くらいでした。清家さんは父と交友があり、実は父が東京を出て御殿場に建てた家は清家さんの事務所デザインシステムの設計で、図面は難波俊作さんが描いてくださいました。その後、僕がその家を二世帯住宅に増築して今もそこに住んでいます。
 建築は変わりましたよね。特にザハ・ハディドのデザインは形が先に考えられていて、それまでの建築とは全く発想が違う、今の技術があるからつくることができるものだと感じました。レーシングカーもカーボンファイバーに変わったことでつくり方が大きく変わりました。昔はシャーシというアルミのモノコックがあって、そこにボディーと呼ばれるFRPの皮を被せたんです。今はこのボディーの皮がカーボンファイバーになり強度を持たせているので、外皮全部がシャーシなんです。つまり、外皮が決まってから、構造計算をしながら応力が集中する部分を厚くしたりして形をつくっていくのです。だから外側の形から考えられたようなザハのデザインを見ると、なんだかレーシングカーっぽくて興味深いです。

風洞実験室で風洞実験について説明される由良さん

風洞実験室で風洞実験について説明される由良さん

マツダ717Cの模型の前で

マツダ717Cの模型の前で

カーボンファイバー製品はその他にどのようなものを製作しているのでしょうか。

 カーレース関係では、メーカーのカーボン部分の開発の手伝いや、小さな部品の製造も行っています。その他には、ドローンやカヌーもつくっています。
 カヌーは、東京五輪でカヌースラローム男子カヤックシングルの日本代表にも選ばれた足立和也選手が使用する競技用カヌーを開発しています。スラロームは激流の中をゲートを通過しながら下る競技で、スピードはもちろん、ターンをする時には操作性も求められます。レース用の海外製のカヌーは、カーボン製でも水に合わせてしなるのですが、私たちのレーシングカー用のカーボンはそれとは製法が大きく異なり、ものすごく硬くて表面の張りも強いのが特徴です。競技では直線は速いのですが、激流の中を回る時には船が突っ張ってしまうのが課題で、長所と短所の狭間で揺れています。
 カヌーでは、僕がずっとやってきたレーシングカーの流体力学の理論は一切通用しません。だからパドラー(こぎ手)のコメントをもとにメイク&トライを繰り返しています。今14艇目をつくっているのですが、まだ満足のいくところにたどり着いていません。パリオリンピックに向けて、改良を重ねながら挑戦し続けています。

貴重なお話をいただきありがとうございました。

インタビュー:2023年7月20日 ムーンクラフトにて
聞き手:市村宏文・佐久間達也・小倉直幸・中澤克秀(『Bulletin』編集WG)

由良拓也(ゆら たくや)プロフィール

レーシングカーデザイナー・乗り物造形作家
ムーンクラフト株式会社 取締役社長
1975年、24歳の時にレーシングカー開発製作会社ムーンクラフトを設立。1986年、社内に風洞設備を建設し、レーシングカー開発で数々の実績を収める。1988年、カーボン製品製作のためオートクレーブオーブンを導入。現在では航空機部品、各種工業製品などへ応用範囲を広げ、ドローン、各種試作車両、ショーカーなどの分野においても高い評価を得ている。