JIA Bulletin 2022年夏号/覗いてみました他人の流儀
秋山利輝 氏に聞く
丁稚制度で一流の家具職人を育てる
秋山利輝

今回は、横浜市都筑区で注文家具をつくる秋山木工の秋山利輝さんにお話をうかがいました。迎賓館や宮内庁、国会議事堂などの家具製作を任される職人であると同時に、独自の教育制度「丁稚制度」を導入して、一流の家具職人を目指す若者を育てることにも注力されています。
秋山さんご自身のこと、また職人を育てるうえで大切にされていることなどをお話しいただきました。

―さっそく秋山さんにお話をうかがっていきます。まず最初に、職人とはどのような商売だと思いますか。

 職人は人を喜ばせるもの、人の心を動かせるものです。それはものづくりだけに限りません。メジャーリーガーの大谷翔平選手は、人を一瞬で感動させることができる一流の職人です。私は自分自身が職人として働きながら、家具職人を目指す若者を一流の職人に育てることに力を入れています。技術だけではなく、人柄も一流の職人を育てるために長年師弟制度を続けています。

―秋山さんが家具職人の道に進まれたきっかけから教えていただけますでしょうか。

 私は奈良県の明日香村で生まれ育ちました。勉強も運動も苦手でいつも授業中立たされているような子でしたが、小さい頃から手先の器用さは飛び抜けていました。周囲の勧めもあり、中学卒業後に大阪の木工所で働けることになりました。珍しくまだ丁稚(でっち)制度が残っている会社で、16歳から丁稚として住み込みで修業を始めました。親方は厳しかったですが、そこで働かせてもらえることが奇跡だと思っていましたし、寝食を共にするなかで技術を習得し、人としても成長させてもらいました。
 秋山木工を興したのは27歳の時です。それまでに職人として4社で働き、最後に勤めた大手百貨店の製作所では宮内庁に納める家具を作らせていただく機会もありました。16歳で丁稚から始めて10年で、日本の中で一流の家具職人として認めてもらえるまでになることができました。そんな時に会社を辞めることになり、私に付いてきてくれる職人もいたので秋山木工を立ち上げました。昨年7月にちょうど50周年を迎え、今は主に大手百貨店や国会議事堂、宮内庁、高級ホテルなどの家具を製作しています。

―なぜ勤めていた会社を辞めることになったのですか。

 私は周りの人が夜9時まで残業しているなか、同じ仕事を4時には終えて、次の日の段取りをして5時には帰っていました。帰宅後は桑沢デザイン研究所でデザインを学んだり、アルバイトをして稼いだりしていました。とにかく仕事が早かったのです。そのうえ上司は私の仕事がいちばんきれいだと評価してくれていました。そのように抜きん出ていたので周りから疎まれてしまい、会社を辞めることにしました。
 私は1日は72時間だと思っています。1日は24時間と信じてしまったらエジソンのような人にはなれません。1日48時間では一流プレイヤーにはなれますが、スーパースターにはなれない。普通の人の3倍やらなくては日本一、ましてや世界で活躍する人にはなれません。
 若い職人が技術を競う「技能五輪全国大会」というものがあります。職人の技能を上げるために、当社からも家具部門に毎年数人出場し、メダルの常連になっています。金メダルを取る人はやはりスピードと正確さが違います。設計でも「丁寧にやっています」というのはただ下手なだけということではないでしょうか。丁寧というのは段取りが悪い人のこと、時間がかかる人は頭が回転していないということです。日本では何でも丁寧にやればいいと勘違いしている人が多いですが、うちでは丁寧はまったく評価されません。

―職人を育てる丁稚制度について教えてください。

 秋山木工は創業50年ですが、45年ほど前から職人を育てるための研修制度を設け、家具職人見習いの若者を丁稚と呼び、寮で集団生活をしてもらっています。1年間の丁稚見習いも含め、丁稚の5年間で基本的な訓練と段取り、また職人としての心得を学びます。丁稚の修業期間を終え、職人として認められた人は法被(はっぴ)をもらい、職人として3年間働きます。秋山木工にいられるのは丁稚5年、職人3年の計8年間です。8年経ったら辞める決まりになっています。
 丁稚の間は男も女も頭を丸坊主にして、恋愛禁止、携帯禁止、親とのやり取りには手紙を書かせます。そのくらいのことをしないと一流プレイヤーにはなれません。丁稚はお盆と正月しか実家に帰らず、日曜は休みですが自分の作品をつくったり練習をしたりします。


丁稚たちとの食事

―現代の若者にとっては大変厳しい環境に思えますが、そこまでなさるのはなぜでしょう。

 木工の技術を磨くだけではなく、人柄も磨かなくては人の心を動かす一流の職人になれません。集団生活を通して職人としての基礎をつくることに集中することが重要なのです。食事の仕方や手紙の書き方、話し方など、この制度から技術と心を磨き、立派な家具職人になってもらいたい。日本の技術や素晴らしさを伝えることで、日本を少しでも良くしたいと考えています。
 また、秋山木工では職人としての心構えを説いた「職人心得30箇条」というものを大事にしており、これを毎日朝礼で唱和します。8年間で1万回くらいは声に出して言うことになるでしょう。それだけ言えばこの心得が潜在意識の中に入っていき、自動的に職人としての振るまいが身に付くのです。

―「職人心得30箇条」はどのようなものなのですか。

 「挨拶のできた人から現場に行かせてもらえます」「連絡・報告・相談のできる人から現場に行かせてもらえます」というように、どういう人が仕事をさせてもらえるかを説いています。
 心得10は「おせっかいな人から現場に行かせてもらえます」、心得11は「しつこい人から現場に行かせてもらえます」となっています。しつこい人は普通は嫌われますが、1回言い出したことは絶対に最後までやり抜くということ。私はおせっかい、しつこい、図々しい、この3つは人には負けません。今、日本がいちばんダメなのは「人に嫌われるから言わない」という姿勢です。1回言っただけで身につけられる人はいませんから、何度でも教えてあげればいいだけのことなのに、嫌われないようにと自分を大事にすることを優先にして、その子のために動くことができない人が多い。それでは日本はどんどん後進国になってしまいます。

―8年間育てた職人を独立させると決めているのはなぜでしょう。

 私は秋山木工を私的な会社ではなく公共の会社として経営しています。すべて日本のために、誰かを幸せにするために行っていることですから、職人を私物化するようなことはしません。それから、私の天命は私を超える職人を10人出すことなのです。最初は簡単なことだと思っていましたが、私だけを見ていたら私を超えることはできません。ですから8年で辞めさせて、他の世界を見てくるようにさせ、世の中で役に立つ職人になってもらいたいと思っています。

―独立後は皆さんどのような場所で働いているのでしょうか。

 独立している子もいますし、家具をつくる他の工房に勤めたり、親の家具屋を継いでいる子もいます。秋山木工の職人は技術も人間性も高いので、どこに行っても工場長くらいになることができますし、喜んで採用していただけます。それから、辞めた後もネットワークができていますから、仕事をお願いすることもありますし、数年経ってから秋山木工に戻って働く子もいます。


工場での様子

―インタビュー中、修業中の若い人たちが、自己紹介や感謝していることを披露してくれました。

 当社では「思いやりの心」「人に気遣いができる心」「感謝できる心」を大事にしており、集団生活を通してそういったことを身につけてもらいたいと思っています。今のようにお客様の前で自己紹介してもらうこともしょっちゅうです。1分間の自己紹介をきちんとできるようにするのが最初の訓練です。今の自分を知り、それを相手に伝えることが大事なのです。そして親への感謝の気持ちがないといけません。
 最近は技能五輪で1位、2位を独占し、全国から打倒秋山木工と言われるまでになりました。創業から50年で技量も一流だと認めていただいています。これからも日本人の技術を若者に伝え、人の心を動かすことのできる職人を育てていきたいです。

―貴重なお話をいただきありがとうございました。

 

インタビュー: 2022年3月10日 秋山木工にて
聞き手:望月厚司・関本竜太・中澤克秀(『Bulletin』編集WG)

■秋山 利輝(あきやま としてる)プロフィール

家具職人・秋山木工グループ代表
1943年奈良県生まれ。16歳で家具職人の道に入り、1971年に有限会社秋山木工を設立。秋山木工の特注家具は、高級ホテル、一流ブランド店などで使われている。丁稚制度を用いて、人間性を重視する独自の人材育成は、国内だけでなく海外からも注目を集める。
著書『丁稚のすすめ』(幻冬舎)、『一流を育てる』(現代書林)

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