JIA Bulletin 2022年春号/覗いてみました他人の流儀
大山顕 氏に聞く
肉眼でよりよく見るために写真を撮る
大山顕

今回お話をうかがったのは、写真家でライターの大山顕さん。「団地マニア」であり、『工場萌え』(東京書籍、2007年)の著者としても知られ、20年以上にわたって工場、団地、ジャンクションなどの建造物を撮影されています。2020年に出版された著作『新写真論』(ゲンロン叢書)では、スマホ社会ゆえの写真の在り方を示し、新しい写真論を展開。大山さんに写真と風景、建築について、そして写真とは何なのか、今考えておられることをお聞きしました。

―写真を撮り始めたきっかけをお聞かせください。

 僕は千葉大の工業意匠学科出身で、都市デザインが専門の柘植喜治きはる先生のもとで学びました。プランニングというよりマスタープランのつくり方を教わり、商業施設をつくる課題ではフィールドワークも行いました。地形図を見ながら現場周辺を歩き、現地の人に話を聞く。その後、フィールドワークで得た情報をもとに自分のプランニングを発表するのですが、その時間が面白くて好きでした。
 当時、あちこちで工業地域が衰退し、その跡地に商業施設が建っていました。卒業制作では、壊されることが決まっていた川崎製鉄(現 JFE)の工場跡地を敷地に選び、その構造物をなるべく活かして転用することを提案しました。当時は工場を残すという考えに驚かれましたが、現地で見る工場はとても格好良かったので、発表の時はその格好良さを伝えるために写真を使って説明しました。それがきっかけで工場の写真を撮るようになり、修士でも同じことをテーマに、社会調査をしたり事例を集めて、工場の転用を正当化する論文を書きました。
 卒業後は松下電器(現 Panasonic)のシンクタンク部門で働いていましたが、趣味で工場や団地の写真を撮り続けていました。ちょうどその頃、1996年頃ですが、インターネットが普及しはじめ、電子掲示板で工場や団地が面白いと思っている仲間に撮ってきた写真を見せてやり取りするようになりました。次第にそれがネットの世界で知られるようになり、それに気づいた若手編集者が声を掛けてくれて、2007年に『工場萌え』という格好良い工場を紹介するガイドブックを出版しました。それがすごく売れて、それ以降テレビ番組の出演などいろいろなお話をいただくようになり、仕事との両立が難しくなったので会社を辞めてフリーになりました。
 写真や出版を取り巻く環境がちょうど変わる時でしたし、運が良かったと思っています。

―工場や団地、ジャンクションなど大きな構造物を撮られていますが、その魅力を教えてください。

 土木構造物に惹かれるのは、地形や日射、地震など、人間がどうにもできないものを引き受けた形でつくられているからです。それは用の美や機能美ではなく制約美なのだと思います。そういうものが好きで撮っています。
 転用も同じで、敷地や法律、費用、スケジュール、地元住民などさまざまな制約があります。学生の時はそれらを邪魔なものと思っていましたが、そういう制約も味方に付ければクリエイティビティーにとって非常に有用なものになることがわかってきました。例えば、日本橋川の上の首都高は景観を台無しにしていると言われていますが、日本橋川も当時の首都高で、日本橋を起点とした街道も首都高、そして昭和に今の首都高ができて、各時代の首都高がレイヤーになって重なっているのです。都市がどういうものなのかが表れている非常に貴重なものと言えるのではないでしょうか。今の首都高を通すことができたのは、かつての首都高である水運があり、制約をうまく味方につけた結果だと思います。

―今はスマホで誰でも写真を撮ることができます。

 以前は写真を撮るのも見せるのもお金と時間が掛かり、カメラもプロダクトとして未熟だったので扱うのが難しく、使えるだけで写真家のふりができました。また、家庭では写真はお父さんの趣味であることが多く、お母さんや子どもは写るだけで触らせてはもらえなかった。それが今スマホの時代になり、撮って5秒後にはSNSにアップできるようになりました。きっとスマホが初めての自分だけのカメラという方も多いでしょう。カメラは民主化され、ようやくまともなものになったのです。
 僕は今はデジタル一眼レフを使っていますが、大判カメラで撮っていたこともあるので1日に数枚しか撮れない面白さも知っていますが、やはり今のスマホの形態がカメラとしていちばん健全だと思っています。ただし、僕自身はスナップを好んで撮るタイプではありません。僕の理論とやっていることはあまり一致していません。

―SNSによって写真の展開の方法も変わりましたね。

 僕は「現像」という言葉を再解釈しようと思っています。以前は撮影→現像→プリントというプロセスがあり、それぞれ別のテクニックと時間がかかっていました。しかし今はデジタル写真がネットでやり取りされ、これらがすべて一体となって行われています。撮影は現像の一部で、SNSにアップしてリツイートやLikeをもらうのも写真を見た人による現像と言えます。要するに、この写真はなんであるかということを確定していく、その行為を現像と呼ぶのであれば、今やフォロワーによる評価は写真における現像の大部分を占めています。写真家はそれがどういうことであるかを学ばなくてはいけないし、訓練しなくてはいけないと感じています。
 人間はカメラのように固まって見るのではなく、目や体を動かしながら見て、それを頭の中で合成しています。僕はそれと同じことを写真で表現したいと思い、写真を繋いだり合成したりしますが、それも今の時代の現像だと思っています。

―風景と写真の関係はどのように考えておられますか。

 僕らの目はカメラとは違いますし、頭に思い浮かぶ絵は透視図法ではありませんが、風景を説明する時はいまだに竣工予想図やパースなど、カメラアイでビジュアライゼーションされたものが用いられています。
 本来僕らは風景を言葉で受け止めるべきだと思うのです。建築でも優れた設計コンペでは言葉に感動したりしますよね。言葉は建築でも都市でも風景でも重要なものなのです。しかし、都市や建築の批評が盛んだった80年代と比べると、今はそれほどではありません。皆さん言葉によって建築や都市を風景として立ち上がらせることにあまり興味がないのでしょうか。僕は写真家ですがそこにとても興味があります。写真を撮っているからこそ、建築における言葉の重要性に気がつきましたし、それはスマホが普及したから気づいたことです。

―写真の変化は建築にも影響があるのでしょうか。

 スマホで誰でも写真が撮れるようになったのはいいのですが、問題はみんなの写真体験がスマホの小さな画面でなされていることです。昔から建築は、現地に行ったことはなくても雑誌の写真を通して知ることが多いでしょう。せめて雑誌のサイズで見ればいいのですが、小さい画面では空間全体は表現できず、断片化されたグラフィックやテクスチャーの一部ばかりがSNS上で“えるデザイン”として注目されるでしょう。これはファサードのデザインなどに大きく影響を及ぼす気がしますし、このままでは建築が小さくなってしまう。都市と建築は最終的にはスケールの問題なので、それが画面上ばかりで展開されるのは良くないことだと思うのです。


各時代のインフラが地層のように重なる日本橋。
日本橋川が通されたのは15世紀、街道整備が1603年(今の橋は19代目1911年築)、
首都高ができたのが1963年。さらにこの地下には銀座線が通る。

―現在はどのように仕事をされているのでしょうか。また、今後のことについてもお聞かせください。

 写真を撮って、それを各種SNSで発信していますが、今は論じる方にも力を入れています。僕が工場は素敵だと発信した当時は、公害などの歴史はいったん置いておいて、見た目が素敵だという言い方をしました。そのやり方に後悔はしていませんし、それがあったから工場が注目されるようになり、写真を撮る人が増えました。しかし、今工場の写真を撮る人は夜景を撮るのです。僕は夜景がいいとは一言も言っていません。工場が面白いことを説明するために写真を使いましたが、今では「工場を撮ると“映える”」となってしまい、僕がやりたかったことと違うかたちで定着してしまいました。これに対して改めて工場はなぜ素敵なのかというのをきちんと語りたいと思っています。

―最後に改めて写真の魅力を教えてください。

 僕はよりよく見るために写真を使っています。写真によって建築がより理解できたり、肉眼ではわからなかったことに気付くことがありますよね。目だとスルーしてしまうものをスルーさせないようにする装置として、カメラは非常に優れています。だから僕にとって良い写真というのは、写真自体が良いかではなくて、より肉眼でしっかり見ることができる写真が良い写真だと思っています。

―貴重なお話をいただきありがとうございました。

 

インタビュー: 2021年12月10日 LifeWork Cafeにて
聞き手:会田友朗・関本竜太・望月厚司(『Bulletin』編集WG)

■大山 顕(おおやま けん)プロフィール

写真家/ライター 1972年生まれ。主な著書に『新写真論』(ゲンロン)、『工場萌え』(石井哲との共著、東京書籍)、『立体交差』(本の雑誌社)、『団地の見究』(東京書籍)など。
Twitter:@sohsai

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