JIA Bulletin 2019年秋号/覗いてみました他人の流儀
中村 好文よしふみ氏に聞く
「自分らしく
 住宅と家具にこだわり続ける」
中村 好文氏

住宅を数多く手掛けてこられた建築家・中村好文さんに、クライアントとの打ち合わせの進め方や、住宅、家具に対する思いやこだわりなどをうかがいました。また、今号の特集:建築ウォームアップでも取り上げている、設計の導入部分についてもお話しいただきました。

―今メインでやられている仕事はなんでしょうか。

 住宅設計がほとんどですが、ここ数年、新築の住宅だけでなく、伝統的な町家や古い民家を改修する仕事が増えています。新築と違って改修の仕事は不測の事態が続発しますが、そういう時に臨機応変に対応するデザインの反射神経が要求されます。クラッシック音楽の演奏というよりジャズ・セッションのように、アドリブ的に当意即妙に対処していくところが改修仕事の醍醐味ですね。それから今は、住宅以外の仕事で、キリスト教のチャペルや、こども園(保育園+幼稚園)や、美術館の計画などにも取り組んでいます。
 大学 2 年生のころから住宅設計と家具デザインを自分のライフワークにできたらいいなぁと考えていました。これといった理由があったわけではないのですが、ビッグプロジェクトではなく、住宅と家具ぐらいが自分の身の丈に合っているし、そういう仕事をしていければ背伸びをしないで自分らしい生き方ができるだろうと漠然と考えていたんでしょうね……で、ふと気がついたらそうなっていました(笑)。

―仕事の依頼はどういうきっかけで来るのですか。

 著書を読んで依頼してくれる方が多いですね。本の内容に共感してくれたり、著者のぼくになんとなく親近感を抱いてくれたりした上で連絡してくれるので、どことなくぼくと似たタイプの人が多いような気がします。依頼してくれる方は20代後半の年若いご夫婦から年配の方まで幅広い年齢層です。著書といえば、15年ほど前、女優の檀ふみさんと対談したことがあるんですが、そのとき檀さんが「中村さんはホンカク建築家ですよね」と言いました。ぼくはそれがなんのことか分からずポカンとしていたら、檀さんが即座に悪戯っぽい目つきで「本、書く、建築家でしょ?」と言いました(笑)。先日数えてみたら、これまでに出版した著書がいつの間にか20冊近くなっていましたから「本、書く、建築家」という肩書きはあながち的外れではなくなったような気がします。
 文章は40代の半ばからポツリポツリと書き始めましたが、書き始めたときから、建築家にありがちな難解な文章やひとりよがりの文章ではなく、だれが読んでも分かる平易な文章にしようと肝に銘じていました。書くべき内容さえしっかりあれば、書きようはあるはずだと……。井上ひさしさんは「むつかしいことをやさしく」と言いましたが、文章を書く時はいつもこの言葉を脳裡に浮かべます。

―文章を書くことはもともとお好きだったのですか。

 いいえ、本を読むことは好きで10代の頃からよく読んでいましたが、原稿用紙でいうと20~30枚ぐらいの少しまとまった文章を書き始めたのは、雑誌『CONFORT』に連載していた「住宅巡礼」からです。文章を書きだしてみたら、はっきり好きな言葉や、好きな言いまわしがあったので、自分に書くべきことや伝えたいことさえあれば、あまり苦労せずに文章にすることができました。若いころからさまざまな文章に親しんでいたおかげで、自然に「自分の文体が身についていた」のかもしれません。本の内容だけでなく文章の呼吸、リズム、語り口などが自分の中にいつのまにか染み込んでいたんだと思います。

―設計するときは何から考え始めることが多いですか。

 それはケース・バイ・ケースですね。敷地の形状がきっかけになる時もあるし、クライアントの言葉や人柄がきっかけになる時もある。他にもいろいろな要素が設計のヒントになりますから、「ここからスタートする」という決まりごとはありません。最初のヒアリングもお医者さんの問診的な形式ではなくて、クライアントとの雑談のなかから設計の手掛かりを見つけることが多いような気がします。クライアントには要望書を書いてもらうようにしていますから、それをだいたい頭に入れたら、あとはその要望書の行間を読みながら設計するという感じですね。クライアントとは一緒に食事したりお酒を飲んだり、ときには旅をしたりしますが、結局、そういう付き合いが一種の問診になっているのかもしれませんね。一見、設計とは関係のなさそうなお喋りからもクライアントの価値観や人柄はにじみ出るものですから。このクライアント一家は、こんな経歴で、こんな価値観を持ち、こんな感じ方や考え方をし、こんな暮らし方をしている人たちなんだなということを知ることで「この人たちの住まいはどうあるべきか」と目指すべき方向、つまり設計の方針が見えてくるような気がします。そうしたお喋りを通じて信頼関係が結べて、クライアントには「この建築家に自宅の設計を任せよう!」と思ってもらい、ぼくは「この家族に相応しい住宅を設計しよう!」と意欲が湧いてきたら、あとは大体うまくいく……ような気がします(笑)。

―住宅にはどのような空間を求めていますか。

 自分がそこにいたくなるような居心地のいい空間や場所をつくりたいと思っています。極端に言えば、住宅の価値はそうした居場所の数でも測れるような気がするからです。ただ、それを作り出すのはそう簡単なことではないですね。なによりも居心地に対する動物的なカンが必要です。論理や理屈からは居心地の良さは生まれませんから。ぼく好きな建築家は例外なくそうした居心地に対するカンの良さを備えていました。グンナール・アスプルンド、ルイス・バラガン、チャールズ・イームズ、アンジェロ・マンジャロッティ、チャールズ・ムーア……彼らの設計した住宅や別荘を実際に訪れることで、ぼくはその居心地の良さをたっぷり味わわせてもらいました。

―家具もデザインされています。間取りから入り、だんだん家具など小さい部分を設計していくのですか。

 いいえ、たぶん同時にしていると思います。基本設計の段階から、頭の片隅で家具のことを考えています。ここの家では家具はこうしたいという、ぼくなりの方針がありますから。そして作り付けの家具は毎回すべてデザインします。キッチンはその家に合わせてステンレスシンクに至るまでその都度デザインして特注製作しています。置き家具は既製品を使うこともありますが、自分のデザインした家具の定番が増えてきているのでその中から選んで入れることが多くなっていますね。僕にとっては家具をデザインするのも住宅を設計するのも同じ仕事で、あまり区別して考えていないんですよ。


取材中にご自身で設計した別荘を案内してくださる中村さん。

―家具デザインはどこで学ばれたのでしょうか。

 どこかで誰かに学んだわけではなく、古今東西の家具をつぶさに見ることや、実際に使うことで学んできました。学生時代は日本民芸館に通ってウィンザーチェアや李朝時代の家具など、手当たり次第にスケッチしました。20代の終わりぐらいからは、目白にある「古道具・坂田」という店で、イギリス、フランス、スペインの16~19世紀の古い家具を撫でまわしたり、実測させてもらったりして勉強しました。名作といわれる椅子は、その日暮らしの貧しい家計をやりくりして買い、身近に置いて使ってきました。
 実務でいえば、大学を卒業して小人数のアトリエ事務所で働いた後、品川にある家具職人を養成する都立の職業訓練校に入り、鋸や鉋や鑿などの木工道具の使い方や、木工機械の操作、また、木材の性質など木工職人になるための基礎的なことついて学びました……といっても職人になろうとしていたわけではなく、そういう基本的なことを身につけた上で家具のデザインをしようと思っていたからです。訓練校のあとで吉村順三先生の設計事務所に入りました。学生時代から吉村先生の住宅が好きで、何回か入所希望の手紙を出したり、吉村先生に会いに行ったりしましたが、なかなか入れてもらえなかったんです。そこで、作戦を変えて正面玄関ではなく裏口のほうを狙って(笑)ですね、「吉村先生の下で家具デザインがしたい」と志願して入所できたのです。吉村先生は日本の建築家の中では珍しく家具のデザインができる建築家でしたけど、入所希望者に家具デザインがしたいという若者はいなかったんでしょうね。作戦はまんまと的中したわけです。結局、吉村事務所には 3年半ほどいて、吉村先生の家具デザインの助手として、来る日も来る日も家具のデザインに明け暮れました。そのときの成果のひとつが八ヶ岳高原音楽堂などで使われている「たためる椅子」で、吉村先生と丸谷芳正さんとぼくの協働デザインです。

―やはり木の家具にこだわっていますか。

 ええ、木製の家具に対する愛着と思い入れは強いですね。木材という、縮んだり、捻れたり、割れたりする性質を念頭に置いて上手になだめつつ形にするところが面白いんですよね。木の家具をデザインする人は木材というものを熟知していないとしっぺ返しを食います。木をねじ伏せることはできないので、木の性質に自分が寄り添っていかないとうまくいかない。ぼくは暖炉やストーブもデザインしていますが、これも燃焼の法則を無視したカッコだけのデザインでは成立しません。そもそもそういうカッコだけの代物はデザインという言葉に値しないのです。デザインという言葉は「理に適った形」という意味だと考えると、ぼくが言わんとしているニュアンスは伝わりやすいかもしれません。


これまでに製作した階段の手摺の「切り落とし」は、
握り具合をチェックするサンブルとして保管しているという。
「この倍ぐらいはとってあるかなぁ」と中村さん。

―なかでも木製の手摺をとても大切にしていらっしゃいますね。

 よくぞ、そこに気付いてくれました(笑)。住宅の部材のなかで階段の手摺ぐらいやり甲斐のある仕事はないと思うんです。というのは、握り心地が良くて、手触りの良い手摺はその家のシンボルになり得ますし、家に対する愛着を育んでくれるので、クライアントに手放しで喜んでもらえるからです。階段の手摺はそこに住む人が必ず握りますから、ぼくは手摺を通じて住み手のひとりひとりと握手する気持ちでデザインします。毎回、そこに住む家族のことを思い浮かべながら素材と握り心地を決めているんです。スポーツに熱中している元気な男の子がいるからなら材で少し太めで頑丈なものにしておこうとか、女系家族の家だからかえで材で細身の優しい形にしようとか、そこに住む家族のことをあれこれ思い浮かべながら設計することは住宅設計ならではの愉悦です。もっともそんな風に、1軒、1軒、素材も形も違う手摺を作ることができるのは40年近く家具職人と二人三脚でやってきたおかげかもしれません。
 なにをするにしても「ここでは、ああしよう」「ここでは、こうしよう」と、ひとつひとつのことについて設計者の気持がこもっていることが大切だと思います。出来の良し悪しはともかく、誰かが一生懸命やったことは、必ず人に伝わります。逆に言えば、お座なりにやったことも人には伝わってしまうということも忘れないようにしないとね。


中村さんは家具だけでなく、食器などの小物も数多くデザインしています。
左/卵形のゴマすり器(片手で握り、もう一方の手の平にすり棒をあてがって回す)
右/竹串を束ねて作った包丁差しの試作品。

―最後に、住宅設計という仕事について、お考えをお聞かせいただけませんか。

 その質問のこたえになるかどうか分かりませんが、亡くなった林昌二さんがある対談のなかで「住宅を設計する人は暮らしの細部に興味がなければなんの面白みもない」「暮らしの隅々のことをキチンと温かく処理するところに住宅の面白さがある」と言っています。そして、ここからが極めつけの名言なのですが「一軒の住宅には世界が詰まっているんです」と続けています。「1軒の住宅に世界が詰まっている」というこの言葉に深く共感できれば、住宅設計の仕事はひとりの建築家が一生を賭けて取り組むに値する壮大なテーマだと思います。ぼくもそろそろゴールが見えてきましたが、住宅設計をライフワークにしようと志した初心を忘れず、もうひと頑張りしようと思っています。

―貴重なお話をいただき、ありがとうございました。

 

インタビュー: 2019年8月17日 大磯の別荘にて
聞き手:長澤徹・会田友朗・中澤克秀(『Bulletin』編集WG)

■中村 好文(なかむら よしふみ)プロフィール

建築家

1948年千葉県生まれ。1972年武蔵野美術大学建築学科卒業。宍道建築設計事務所勤務の後、都立品川職業訓練校木工科で学ぶ。1976年~1980年吉村順三設計事務所勤務。1981年レミングハウスを設立。1999~2018年日本大学生産工学部建築工学科教授。2014年~多摩美術大学客員教授。

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