JIA Bulletin 2018年春号/覗いてみました他人の流儀
尾崎文雄おざきふみお氏に聞く
「美術を深く知り
 作品の良さを引き出す空間をつくる」
尾崎文雄氏

 今回は、美術館や博物館の空間設計や展示デザインに携わっておられる尾崎文雄さんにお話をうかがいました。設計事務所に勤務したのち、現在は建築設計ではなく、学芸員が希望する空間の実現や、美術作品を美しく展示することを大切に数多くの美術空間を手がけておられます。インタビュー会場には、尾崎さんが昔からお付き合いのある美術商「瀬津雅陶堂」をお借りしました。

―どのようなお仕事をされているのでしょうか。

 自分の職を表わすうまい表現がないのですが、美術館や博物館のよろず相談のような仕事をしています。美術館をつくる時、学芸員の人たちは思い描くイメージがあっても、それを図面にしたりうまく表現できない場合があります。そういう時に、僕がレイアウトや展示ケースの配置などを簡単な図面にして、設計者に見せて相談します。あるいは、「これを展示したいけれどどうしたらいいだろう」という相談に対し、展示案を絵に描いて提案することもあります。また、美術館を設計する際には独特の肝腎要な部分があるので、設計者をサポートすることもあります。学芸員や設計者の言葉を翻訳し伝える仕事ですね。仕事の依頼は、学芸員や美術商からが圧倒的に多いです。

―現在のお仕事を始めたきっかけを教えてください。

 大学卒業後は組織設計事務所に勤め、集合住宅や病院、都市開発などの仕事をたくさんしていました。当時は地図に残るようなものから、原寸のものまで関わりたいと思っていました。けれど大きな組織的な事務所では、ある程度経験を積むと設計チームをまとめてマネジメントする業務にシフトしていき、自分で手を動かす時間が少なくなってしまいます。それがどうなのかなとずっと感じていました。そんな環境から抜け出したかったのだと思います。
 1995年に会社を辞めて、「MIHO MUSEUM」(滋賀県甲賀市)の日本側の設計チームである紀萌館に参加しました。デザインはアメリカ人建築家のI.M.ペイで、彼の仕事の仕方や、美術に詳しく現代美術家とも親しい姿を間近で見ることができました。そういう人と接する機会があって、「やはり建築にしても何にしても、もっと深く取り組まないといけないんだな」と思いました。
 そして、今回インタビュー会場として使わせていただいた瀬津雅陶堂せつがとうどうで、美術品の見方や展示の仕方を勉強させてもらうようになりました。

―瀬津雅陶堂で美術について学ばれたのですね

 瀬津雅陶堂とは20年以上の付き合いになります。当初お世話になったのが先代のご夫婦で、とくに奥様には大変お世話になりました。ここで教わりながら、店の展示を手伝うようにもなりました。先代が亡くなられて、当代に引き継がれる時に、4階のギャラリーを改造したいという話がありました。デザインは杉本博司氏で写真家であり美術家でもあり、今や建築も手がけられる方で、僕は設備の納まりや照明の位置や器具の選択などを手伝いました。完成したギャラリーでは一年に一度秋に展覧会をやるのですが、その展示デザインも手がけるようになり、今年で10回目になります。
 そのようなことを続けているうちに美術業界で繫がりができ、仕事を依頼してくれる人が増えて今に至ります。

―美術や古美術に以前から興味があったのでしょうか。

 子供の頃から絵は好きでよく描いていました。それから、父親がミュージアムグッズのようなものを自作の台に並べていたのを見ていたことも影響しているかもしれません。設計事務所時代には古美術系の本をたまに買って見ていました。だぶん日本の古い物が好きだったのだと思います。それでなおさら今の世界にのめり込んでしまったのでしょう。

―最近携わったプロジェクトについて教えていただけますか。

 昨年11月に竣工した伊豆下田の「上原美術館」は、建設会社の設計施工の建物ですが、学芸員の人に頼まれてプランニングから詳細な部分までの提案をさせていただきました。仏教美術の施設と近代絵画の施設が併設された美術館で、仏教美術館に展示室機能と収蔵庫を増築する計画でした。仏教美術に特化したものだったので、学芸員や設計者、施工者と奈良や京都の美術館やお寺を回り、同じものを一緒に見ることから始めたプロジェクトでした。
 それから、昨年は上野の森美術館で開催された書家の石川九楊きゅうよう氏の展覧会の展示デザインも担当しました。展示する作品のリストをいただき、それをどう展示するかを話しながら考えていきました。その時に、こういうレイアウトでこういう展示にしましょうと提案するのが僕の仕事です。スケッチを描いて、造作を発注して、現場の管理をして、最後はライティングの調整などもしました。

―美術館をつくる時に大切にしていることはなんでしょうか。

 美術館づくりは、まずそこが所蔵しているコレクションありきです。コレクションがないという美術館はまずありません。例えば日本の古美術であるとか、西洋美術というように美術作品の大きなジャンルが決まっている。また、もともとのコレクターの好みがあります。そのコレクションのよいところを引き出す、特徴を表わすことが大切です。

 


画像1 上原美術館の展示室断面スケッチ


画像2 完成した上原美術館の展示室

―好きな美術館や美術空間を教えていただけますか。

 以前はここがいいなと思ったりしたのですが、この頃どこに行ってもいいなと思います。展示室の設えや照明などはあまり関係なくなってしまいました。というのも、とことんまで突き詰めてつくられた展示室では、展示に対する制限が出てきてしまいます。光の関係から作品はここに置かなくてはいけないとか、それって堅苦しいですよね。もっと自由に展示できていいと思います。昔のコレクターは、美術作品を自宅に飾って見ていました。美術館のような設備がなくても作品は美しい。特に日本の古美術はそう感じます。だとすると、極端に言うと建築の空間のありようよりも、それをいかに愛でて、どういうところに置いて、どうやって見るかを表現することの方が大切だと思います。

―これからの美術館に必要なことはなんでしょうか。

 それは今の話と密接に関係していて、とくに建築を設計する人に考えてもらいたいのですが、美術館や博物館はただの箱ではだめだと思うのです。適当な大きさの展示室が空間としてできていればいいというのは違うと思います。
 展示室や展示デザインをする時にいろいろな形をつくる人がいますが、もっと控えめに、デザインの痕跡がなくなる方がいいでしょう。その方が作品を見るのに集中できます。控えめというのは設備機器もそうだし、一番要の照明も極端に言えばいらないくらいで、できるだけ自然の光をゆるやかに使えるような部屋が良いのではと思っています。人工光で自然のような光をつくろうとしてもなかなかできません。ですから部屋の構造が大切なんです。

―尾崎さんにとって美術とは。

 自分自身のようなところがあります。たとえば日本人であれば、「これは日本の書、これは中国の書かな」と自然に感じます。誰に教わったのでもないですが、それが自分自身のアイデンティティーですよね。それにすごく結び付いているのが美術だと思います。日本の古美術は茶道などの総合的な芸術の一部を成していている道具のひとつです。その中にいろいろな想いが込められて作られています。それが好きだということは、自分は日本の美術が本当に好きなんだなと思います。

―建築家にリクエストしたいことはありますか。

  もし美術館や博物館を設計する機会があったら、ぜひいろいろな作品をとことんまで見てください。やはり美術館や博物館は作品がなければ成り立ちませんから。見て感じて、作品のよいところを引き出す空間づくりを心がけていただけると嬉しいです。

―貴重なお話をいただき、ありがとうございました。

 

インタビュー: 2018年2月15日 瀬津雅陶堂
聞き手:中山 薫・有泉絵美(『Bulletin』編集WG)

■尾崎 文雄氏プロフィール

Studio REGALO代表
1957年、横浜市出身
1981年、早稲田大学理工学部建築学科卒業後、日本設計にて設計および都市再開発業務に携わる。
1995年、紀萌館設計室に入社し、MIHO MUSEUM北館展示室の設計を担当。1999年、Studio REGALOを設立。作品展示を中心とするコンサルティング、展覧会デザインや作品展示のライティングなどを手がける。五百羅漢展(江戸東京博物館)、春日大社国宝殿、上原美術館仏教館など。

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