JIA Bulletin 2026年春号/海外レポート

2025年エジプトの旅

長崎辰哉

 エジプト建築を初めて意識したのは浪人時代『建築行脚(1)ナイルの祝祭』(六耀社)でカルナック神殿の見事なグラビアに心を奪われた時だったと記憶している。しかし私の知る古い街は卒業旅行で訪ねたアテネやローマまでで、以来30年以上の間、エジプトを訪ねる機会はなかった。これはギリシア・ローマから始まる日本の西洋建築史教育に起因していると思われるが、日本人を含む多くの観光客が犠牲となったテロ事件は、私が大学院に在籍していた時期で、その記憶も自分を無意識のうちにエジプトから遠ざけていた要因かもしれない。
 しかし昨年、ついにその地を踏む機会を得た。
 古代エジプト文明が栄えたBC3000年頃は、日本の縄文時代にあたる。日本で縄文土器が作られ、自然と共に生きる暮らしが営まれていた頃、エジプトではピラミッドが建造され、高度な階級社会が展開されていたのだ。
 古代エジプト王国は3つの時代に分類される。
◯古王国時代:ピラミッドが建造された時代 (BC27~22世紀頃)
◯中王国時代:文学や芸術が発展した時代 (BC21~17世紀頃)
◯新王国時代:ツタンカーメンやラムセス2世の時代(BC16~11世紀頃)

 本稿では古い順に4つの建築を取り上げたい。
◯三大ピラミッド (BC2550年頃)
◯ハトシェプスト女王葬祭殿 (BC1500年頃)
◯アブ・シンベル神殿 (BC1260年頃)
◯カルナック神殿 (BC1320-1085年頃)

三大ピラミッド(7月28日/ギザ)

 ギザの三大ピラミッドは全人類のアイコンとも言える。ギザはナイル川を挟んでカイロの西に位置するエジプト第三の都市で、カイロから20kmほどしか離れておらず日帰りできる。「ナイルの賜物」の呼び名通り、エジプトではナイル川沿いに緑地と都市が繁栄し、そのすぐ外側に広大な砂漠が広がる。その砂漠の入口に3つのピラミッドが建ち並ぶ様は超人類的な威容を誇る。体積・重量とも世界最大とされるクフ王の大ピラミッドは石灰岩を積層して建造されたが、完成当時は化粧石で覆われた完全な四角錐で、頂部のキャップストーンは黄金色に輝いていたという。ピラミッドが太陽や天文学や数学などの自然科学、そして神や死後の世界などの概念を表徴する記念碑であることは疑いようもなく、その神秘性と謎は、想像力と創造力を刺激する存在として人類を永遠に魅了するに違いない。

クフ王の大ピラミッド:青空の下、初源的かつ数学的形状が際立つ

クフ王の大ピラミッド:青空の下、初源的かつ数学的形状が際立つ

ハトシェプスト女王葬祭殿(7月25日/ルクソール)

 ルクソールまではアブ・シンベルから500kmの道のりを車で爆走して到達したが、何時間も変わらぬ砂漠の風景に気が遠くなるドライブだった。早朝6時にハトシェプスト女王葬祭殿へ。ルクソールの対岸=ナイル川西岸は、王家の谷(BC1567-1200年頃)に代表される墓所で「ネクロポリス(死者の街)」とも呼ばれる。ハトシェプスト女王葬祭殿も王家の谷に隣接しているが、1997年のテロの舞台でもあり見学には緊張が伴う。3つの階段状テラスを中央軸線上の斜路でつなぐ唯一無二の形式を持つ建築で、背後にそびえる岩山が直線で構築された建築とは対比的な背景として特徴あるランドスケープを形成している。
 ハトシェプストはエジプト初の女性ファラオで、夫(トトメス2世)の死後、幼いトトメス3世に代わり摂政の役割を長く果たしたが、それを疎んだトトメス3世に恨まれ、葬祭殿に刻まれた彼女の名前の多くが上書きされてしまった。史実を後世に伝える観点からすれば迷惑な話だが、その愛憎劇がいかにも人間的で身近にすら感じられる。

ハトシェプスト女王葬祭殿:岩山の断崖と建築の直線が織りなす対比的ランドスケープ

ハトシェプスト女王葬祭殿:岩山の断崖と建築の直線が織りなす対比的ランドスケープ

アブ・シンベル神殿(7月23日/アブ・シンベル)

 カイロから約3時間のフライトでエジプト南部、スーダンとの国境に近い「ヌビア地方」アブ・シンベルへ。素朴な空港に降り立つと乾いた熱風が頬を撫でる。ドーム型コンパウンドのようなホテルにチェックイン。ランチで一服。米粒大パスタがたくさん浮かぶスープとナイル川で獲れるスズキのタジン鍋が絶品。小さなホテルの友好的なスタッフにひと安心。褐色と漆黒の肌の方がいて「ヌビア人」としての誇りに満ちている。彼らは約100年にわたりエジプトを統治したブラックファラオの末裔なのだ。
 15時過ぎ、アブ・シンベル神殿(BC1260年頃)へ。ナセル湖(人工湖)を望む素晴らしい立地。1964~68年にアスワンハイダム建設による水没回避のため現在の高台に移築されたが、砂岩の岩窟神殿は素晴らしい保存状態。ラムセス2世の巨大石像4体が私たちを出迎える。大学時代に教科書の白黒写真で脳裏に焼き付けたその姿がいま目の前に総天然色でそびえ立つ。感無量である。気温40℃超。夕刻だが強烈に暑い。神殿内では多くのコウモリが天井からぶら下がり眠っていた。

アブ・シンベル神殿:ラムセス2世の巨像が四体も立ち並び、彼の自己愛の強さを物語る

アブ・シンベル神殿:ラムセス2世の巨像が四体も立ち並び、彼の自己愛の強さを物語る

カルナック神殿(7月26日/ルクソール)

 エジプト建築の私的象徴であり、最も楽しみにしていたカルナック神殿(BC1320-1085年頃)へ。「掘る削る」でも「積み上げる」でもなく、柱と梁で床を支える建築様式の「原型」がいま眼前に。はやる心を胸に塔門を抜け多柱室へ。
 所狭しと建ち並ぶ巨大列柱。圧倒的。「神」へと捧げられた記念性のオーラを3000年以上経てなお強烈に放つ。柱表面に刻まれた象形文字やレリーフも見事。トトメス3世祝祭殿には豊かな色彩に溢れていた痕跡が色鮮やかに残る。人体寸法を凌駕する直径2~3.6mの巨大砂岩を加工し積層して柱と為す当時の建築思想。その超越的神秘性が今を生きる私の心に突き刺さった。

カルナック神殿:多柱室には採光用のルーバー状高窓も残っていた

カルナック神殿:多柱室には採光用のルーバー状高窓も残っていた

エジプト~古代から現代まで続くその魅力~

 古代エジプト文明が生み出した文化は、1年を365日とする「太陽暦」や「天文学」、ミイラ化を含む「医学」、高精度の巨大建造物を実現する「数学」や「建設工学」、象形文字(ヒエログリフ)や紙(パピルス)による「知識の記録と伝達」、壁画・彫刻・宝飾などの「芸術」、死後の世界を重視する「宗教」、ファラオ(神)を頂点とする「階級社会」など、枚挙に暇がない。エジプト文明が5000年以上の古から現代に通じる人間社会の礎を築き上げていた事実は驚異的だが、仮に一世代25年と考えればわずか200世代遡るに過ぎない。ある意味で人類の本質はさほど進化していないのかもしれない。
 一方で現代エジプトの生活文化も興味深い。スンニ派イスラム教徒が約9割を占める「エジプト・アラブ共和国」は、イスラム教を国教とし、1日5回、モスクからアザーン(礼拝の呼びかけ)が声高に流れ、日々の生活リズムを刻む。出会った現地人の多くは敬虔なイスラム教徒で、観光ガイド中でも時間が来れば礼拝を行っていた。今回見学できたムハンマド・アリー・モスクは19世紀に建造されたトルコ様式のモスクで、規模・質とも実に見事であった。

ムハンマド・アリー・モスク:圧倒的な煌びやかさを誇るイスラム建築

ムハンマド・アリー・モスク:圧倒的な煌びやかさを誇るイスラム建築

 大エジプト博物館は、2002年の国際コンペから23年がかりで昨年11月にグランドオープンしたが、一部展示を除いてすでに公開されていた。時代と文化をマトリクス化した展示設計が見事だが、観光客は現地人の3倍の入場料設定となっていたのが印象的だった。日本でもインバウンド価格を導入するなど経済効果を工夫してはどうかと考えさせられてしまった。
 食文化も海外旅行の醍醐味だが、現地の食堂でいただいたエイシ(平焼きパン)とタヒーナ(白ゴマのペースト)そしてタジン鍋は絶品であった。コシャリ(数種類の豆とパスタと米にトマトソースとニンニク水をかけ、混ぜ合わせて食べるスナック)もユニークで美味いが、炭水化物が多く食べ過ぎ注意である。イスラム圏のためアルコール入手が困難で、地方ではホテルでもアルコールの用意がなく、カイロ以外の街では図らずも肝臓を休めることができた。
 真夏のエジプトはオフシーズンで比較的人も少なく見学しやすい一方で、強烈に暑く気温は46℃に上る。呑気にラクダに乗ってピラミッドを眺めた後、熱中症の強烈な脱水症状で大変な思いをしたが、それも今となっては良い思い出である。人間の根源的な欲望や明暗両面のるつぼとして、エジプトは昔も今も、目を逸らすことのできぬ魅力を放ち続けている。そのことを体感する良い旅となった。

大エジプト博物館:大階段を上り切るとピラミッドのパノラマが眼前に広がる

大エジプト博物館:大階段を上り切るとピラミッドのパノラマが眼前に広がる

長崎辰哉(ながさき たつや) プロフィール

建築家。アトリエハレトケ代表取締役。
1996年 東京大学工学部建築学科卒業。1998年 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程前期修了。1998年~岡部憲明アーキテクチャーネットワーク勤務、2002年~ミリグラムスタジオ勤務。2008年 長崎辰哉建築設計事務所設立。2009年 株式会社アトリエハレトケ設立、2011~19年 東京電機大学非常勤講師、2011年~現在 東京理科大学非常勤講師。