JIA Bulletin 2025年秋号/海外レポート

ロマンチック街道のまちづくり

水島 信

まちづくりということ

 最もドイツ的とされるロマンチック街道を見て、美しい街並みをつくるのが街づくりの目的と考えるのは、短絡的で、しかも大きな勘違いです。建物の高さが揃えられているが故に街並みに統一性があって美しいと評価されますが、昔の建物がほとんどこの高さであるのは、体の限界に合わせて建設されたからと考えられます。
 ドイツでは、4階建て以上にはエレベーター設置が義務付けられていますから、4階以上を階段で上るのは苦労を伴うということです。個人的な体験では6階までが限界です。つまり、6階以上を階段で上るのは困難という人体能力に合わせて建設されたから、建物の高さが揃ったのではないのか。すなわち、街並みを美しくするために高さを揃えるのではなく、結果として揃ったというのが正確ではなかろうかと個人的には思っています。
 そこから、教会より高い建物を建てないという不文律は、単に宗教への尊厳という理由だけではなく、街中のどこからでも教会が見えることで、住民の共同体へのアイデンティティーに作用することや、教会の塔から城壁の外側を遠望するのに視界を遮るものがないということが共同体の防衛に有効であるということなどを鑑みると、高さが揃う街並みに、「美しさ」などという生活を保護するのに直接関連しない根拠などは皆無であると考えています。学術的根拠はなく、単なる実務的思い付きです。
 思い付きでいえば、壁面を揃えるのは街区景観を整えるためと解釈されますが、道路幅は両側壁面間隔の最狭部分で決まりますから、壁面が揃っていない他の広い部分は“余り”でしかなく、この無駄を省くためには街区の壁面を揃えるのが効率的という理由によるのではないかということができます。窓に花が並ぶのは観光客には綺麗な飾りですが、もともとは虫除けです。看板を同質のものにするのは、大きさも形も自己主張の強い看板が並べば看板で街路が埋まり、読みとるのが困難になって本来の機能を失い、加えて、大きさによっては落下の危険性も生じるからです。したがって、都市内の限られた土地を有効に利用する工夫や、自分の権利を確保するためには秩序を守るのが最善と認識することで、欠陥と無駄を取り除きながら居住空間の質を向上させた結果によって、街並みが改善され、景観が統一され、街が美しくなったのだと考えるのが順当ではなかろうかと思っています。

Rothenburg ob der Tauberの塔の上から城壁の外側が眺められる街並み

Rothenburg ob der Tauberの
塔の上から城壁の外側が眺められる街並み

ローテンブルク:住民生活優先のまちづくり

 日本では、にぎわいによって、つまり人を集めることで街を活性化させることがまちづくりと考えられていますが、これも大きな勘違いです。何故なら、ここで集められるのはその町の住民ではなく、他の町の人々で、観光に携わる商売には有効ですが、その他の住民には、塵や汚水の処理などで、町のインフラの許容量を超えることによる財政負担の要因でしかないからです。
 「まちづくり」はそこに住む人々のために行われるべきというのに好例なのは、ローテンブルクです。都市建設局で聞いた話を基にしますと、戦時中に、戦災を想定して伝統記念物をすべて防空壕に避難させ、戦後にそれらを用いて、廃墟の町を中世の本来の街並みに復元させたそうです。日本であればこれ幸いと新しい町に建設したでしょう。戦前からこの町を訪れる人は少なくなく、戦後の復興が安定期に入った頃からも観光客が再びこの町を訪れるようになります。元手のかからない観光事業は復興途上の町にはこの上もない収入源になりました。しかし、それが街の荒廃化をもたらすことになったのです。観光客の車が路地裏まで入り、勝手に駐車し、騒音と交通障害で住民の生活環境を侵害します。生活必需品を販売して住民の暮らしを支えていた店が、お土産屋という日常生活とは無縁の機能に変化して、生活が不便になります。住宅が宿泊施設に代わって、電気、ガス、上下水道の使用量とごみの量が急激に増加し、周辺の住環境が劣悪になってしまいます。
 観光だけに目を向けて街づくりを行ったら「町が生活する場でなくなってしまう」ということに、住民も自治体も気付きます。そして、「町というのは住民が快適に生活できて初めて町と言える」という至極もっともなまちづくりを始めます。基本柱は、観光客相手の商売にはなるが住民の日常的生活を直接支えるものでない、飲食店やお土産屋などの新たな開店を抑制することと、生活を支援する目的以外の街の中の交通を規制することでした。
具体的には、店舗以外の建物の店舗への改築は不可能で、店舗であったのを店舗に改築するのは可能ですが、築かれてきた街並みを保つことが最優先で、ファストフードの店でも街の景観を損なわない形態にすることが許可条件です。そして、観光用の車が街の中に入らないように城壁の外に集中駐車場を設けます。訪問者はそこに車を止めて、街の中を歩くようになりました。必要な車以外が入ってこないので、歩行者にとっても街は快適な空間になり、ここを訪れる人たちにも当たり前のこととして受け入れられています。そのせいでしょうが、観光客は以前に劣らず多くなっている、という街づくりの方針とは(良い意味で)反対の結果になっています。

フュッセン:住民主導のまちづくり

 ロマンチック街道の最南端に位置する町フュッセンの街づくりは、民主主義の基本形で実務的な例ということができます。小さいにもかかわらず、この町の中心街は南下してきた交通量の多い街道が中心を北から南へ貫通して、中程の地点で西と南に分岐し、南側に城館、東側に大きな街区、そして西側に小さな街区と三分しています。この西側の街区で、1960年代後半から70年代前半にかけて、建物の老朽化が進み、解体もあり、街並みにまとまりを欠くようになっていました。自治体は当初、この西側区域だけを対象としたB-プラン(Bebauungsplan=建設履行図:日本の地区計画詳細図)を作成して市民に公聴します。公聴会に参加できるのは計画対象区域の市民だけではなく、だれでも参加できます。それは、町の一区域で起きる問題は、発生した区域だけに影響を与えるのではなく、町全体に影響を及ぼすからです。一部市民の生活権にかかわる問題は、共同体が存在するためには全体の問題なのです。直接影響を受ける市民にしかその事柄に対しての公訴権がないという「原告不適格」は、市民の権利を差別して、非民主的なものです。
 このことを証明するように、市民は「街全体の将来像が明確でなければ、限られた一地区に関しての議論は不可能である」という明確な根拠をもって反論し、自治体は街全体の将来へ向けての街づくり展望を作成しなければならない事態に陥ります。結果は、中世の特徴を持つ建造物を残しながら、新しい時代の生活に適応できるような保全と修復をするという、二律背反の脈絡を保ちながらの政策の計画でした。官は民の参加がなければ行政の案も砂上の楼閣にしかなりませんので、市民の同意を得るために、古い街並みを可能な限り保全しながら快適な住空間に改善するという案を提示し直しました。短い期間で仕上げなくてはならなかったと自重気味に自治体は反省しますが、逆にそれ故に対応が早く、短い間に施策が取られたということで、大きな問題に発展する前に対抗策が執られたという模範的な事例と思えます。旧い市街地を歩行者優先空間にして車の弊害を取り除き、容積率の格差を是正して採光、通風のための空地を確保するといった、快適な空間が街の中に創り出されました。

まちづくりの基本

 まちというのは、そこで住民が生活を営むことで初めて成立します。それには、都市環境が住民生活のためには良好でなければなりません。ローテンブルクにしてもフュッセンにしても、千年以上も前の中世から培われてきた環境の中で、近代化に対応できる改築はいろいろな要素に絡んで困難であるにもかかわらず、あるいはそれ故かもしれませんが、古いものを残す不便さを承知で、その生活文化を継承してきた街並みの保全に力を入れ、「如何にしたら住民にとって街が住み良くなるか」ということを基本とした街づくりの手法を、明確に示してくれます。

人間優先の街づくり後のFüssenの街並み

人間優先の街づくり後のFüssenの街並み

水島 信(みずしま まこと) プロフィール

ドイツ・バイエルン州建築家協会登録建築家
1947年新潟市生まれ。1966年新潟高校卒業。1970年芝浦工業大学建築学科卒業。渡欧。ウィーン、ミュンヘンにて就業。1981年ミュンヘン技術大学建築学部卒業。Diplom Ingeniuerの称号取得。ミュンヘン、東京で就業。1990年ドイツ・バイエルン州建築家協会に登録、Architekt称号取得。独立、ドイツと日本で建築および都市計画を行う。