JIA Bulletin 2022年冬号/海外レポート

コスモポリタンな都市、ムンバイ

後藤 克史

■ムンバイに住む
 私がインドのムンバイ(1995年まではボンベイ)に住み始めたのは2017年頃からです。現代美術家の妻と私の設計拠点としてのスタジオ兼自宅を改修・設計することから始まりました。私は2003年からムンバイの北400キロほどにあるインド西部のグジャラート州・ヴァドーダラーに住んでいたこともあり、グジャラート州からの商人が昔から多く住むムンバイを拠点とすることは、当初から不思議と居心地の良いことでした。私にとってのムンバイへの印象はそんな親和感からでしたが、ムンバイの成り立ちを知るにつれて、実はムンバイがインド国内でもまれなコスモポリタンな都市と認識されていることがわかりました。それ故に、インドをルーツとしない私でも生活者として馴染むことができると今では感じています。
 この機会に、ムンバイのコスモポリタンな様子を歴史的背景と私の個人的な経験を交えてお伝えできたらと思います。

■アールデコ建築の流行がコスモポリタンな都市につながる
 ボンベイは1660年にポルトガルから英国へ譲渡され、南北戦争(1861~65年)、スエズ運河の開通(1869年)を契機に世界でも有数の繊維工業地へと発展し、19世紀終わり頃の人口は約80万人でした。南ボンベイのフォート地区はイギリス東インド会社によって発展したのですが、イギリス人は宗教や言語の隔てなく、イギリス人と貿易することのみを条件にフォート内の土地を譲渡したと言われています。また、繊維工業は主にパールシー(ペルシアを起源とするゾロアスター教信者)、グジャラーティ(グジャラート州出身の商人)、マルワリ(インド北西部のマールワール、現在のラジャスターン州出身の商人)等をはじめとする、多岐にわたるコミュニティによって経営されていました。
 19世紀の中頃以降、イギリスの労働者階級の住宅改善とほぼ同じ時期に、ムンバイでも繊維工業に従事する労働者の住宅改善への関心が高まり、1896年の鼠蹊そけい腺ペストの大流行により、公衆衛生を基盤とした都市計画が敢行されました。主に道路の拡張、埋立地開発、イギリスのガーデンシティーをモデルとした郊外の開発がなされました。1930年頃からは、この新しく開発された区画に、それ以前のネオゴシック、ヴィクトリアン様式の建築とは対象的に、当時の世界中の港湾都市がそうであったように、アールデコ様式の建築が多く建てられました。結果的に、ムンバイにはアメリカのマイアミに次ぐ数のアールデコ建築が現在でも存在します。JJスクール・オブ・アーキテクチャーの教授によると、今日のムンバイがコスモポリタンな都市となった理由は、アールデコ様式の集合住宅が登場し、そこに多様な宗教やコミュニティを背景に持つ家族が、互いに違いを認識しながらも隣人同士となり得たからだと言っています。


1933年に作成されたムンバイの計画地図
(大英図書館所蔵)
Map of the Island of Bombay,
The Times of India Press, Bombay, 1933
(British Library 所蔵)

筆者の自宅兼スタジオが入る、
アールデコ様式の集合住宅
 私たちの自宅兼スタジオもアールデコ様式の集合住宅の一戸で、1930年当時から住み続けている家族はいないと思いますが、現在の住人はパールシー、グジャラーティー、マルワリ、パンジャービー、ベンガル人と、とても多様です。特に共通の宗教や季節の行事があるわけではないので、隣近所が集まることはないのですが、排他的なところもなく、隣人の違いを許容しているところが私にも心地よく感じられますし、ムンバイがコスモポリタンな都市になり得た理由を体験から理解しています。ちなみにムンバイは雨季の降雨量が多いため、アールデコ建築は水平方向に伸びた庇が特徴的で、集合住宅は簡素なファサードに水平の要素がとても映えるデザインが多くなっています。
 ムンバイにはフォート地区を中心に19世紀以前の街区も数多く見られます。それらは中世的に建物が街区いっぱいに建てられているのに対して、20世紀以降の埋め立てで開発された街区は、公衆衛生の観点からも建物は街区よりセットバックし、歩道も整備されました。しかし、1930年代に建てられたアールデコ建築は、セットバックはあるものの、歩道との距離は程よく保たれており、集合住宅の住戸と街路の関係性が保たれています。
 ムンバイでは、欧米よりも少し遅れて2020年の3月中旬頃にコロナの影響で最初の都市封鎖となりました。しかし、このような街区からなる地域では、小さな商店も徒歩圏内にあり、日用品や食料も近くで手に入ることから、日常生活に関してはほぼ封鎖以前と同じように過ごすことができました。もちろん、商店の営業時間に制限があったのですが、買い占めや商品がなくなることはありませんでした。さすがに、アルコール消毒液等は需要が一気に上がったので、最初の1、2ヵ月は品薄になり、マスクも同様で自作しました。
 一方で、郊外や新興住宅地では一部のスーパーマーケットに客が集中したことで商品がなくなったとニュースで見ました。生活圏が広がり、隣人の顔が認識できないような地域では、身勝手な行動に出るのはどの国、地域でも同じだと感じました。逆に街区や建築を含めた環境としての生活圏がコンパクトになることで、自ずと形成される社会があることも再認識できました。


オーバルマイダンに面するアールデコ建築

ロイヤル・ボンベイ・ヨット・クラブのシェフと筆者

■今も残る社交場文化
 ムンバイでは英国の統治時代から会員制のクラブがあり、独立後も社交場としてクラブの文化は存在します。クラブはそもそも同じ社会を構成する者だけの社交場であって、排他的で特権的でした。ムンバイはコスモポリタンな都市ですが、クラブの文化が残っていて、特権的で排他的な面も見られます。それでも、今は以前のような、男性のみ利用可能で女性は同伴のみということはなくなりましたし、クリケットクラブをはじめスポーツクラブも一般的になってきました。もちろん、これらも会員制のクラブであり、社交場としてのクラブ利用ができます。
 私と妻はムンバイに拠点を持つと決めた時に、1846年設立のロイヤル・ボンベイ・ヨット・クラブのメンバーになりました。私たちにとってとても良い社交場となっています。古いクラブなので近代的な設備がなく、他のクラブと比べて若いメンバーは少ないですが、毎晩多様なメンバーで賑わいます。インドでは牛肉も豚肉も、それぞれヒンドゥー教とイスラム教の影響で普段は見ないのですが、さすがはムンバイのクラブです。宗教関係なしにメニューが用意されています。
 ようやく長いコロナにおける規制も緩和され、クラブでの食事も可能になったということで、なんと私が日本食をクラブで提供することになりました。ちょうどこのレポートの執筆中に2回ほど串焼き、寿司をテイスティングメニューとして提供して、クラブからいい反応を得たところです。これを書くのは、私の料理の腕が良いということを言いたいのではありません。インドの人が生で魚を食べたり、他の国の料理を好んで食べるのは大変珍しく、ムンバイだからこそ起こり得るのだと思います。
 この「海外レポート」で、これまでにインドからのレポートがないということを聞き、インドの建築事情や近代建築に関しての執筆も考えましたが、実体験をもとに少しでもインドの生活の一部を届けることができるようにという意図からムンバイを取り上げました。次の機会がありましたら、他の都市や古建築、近現代の建築についてもレポートできればと思っています。

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