JIA Bulletin 2021年夏号/海外レポート

ブータンの伝統的な集落と民家

吉村 晶子

■ブータンとの出会い
 前任校に着任した2013年、ご縁あって伝統住居の実測調査に参加させてもらったのが私のブータンとの出会いである。ブータン人のプロポーション感覚はとにかく素晴らしく、大自然を背景に建つ彼らの建築には何とも言えない存在感と美しさがある。この調査ですっかりブータンに魅了された私は、翌年から調査団長を引き継ぎ、住居単位から集落単位に調査範囲を広げ、さらに3回の調査を仲間らと学生、そしてブータン王国政府で都市・地域に関わる若手技術者らと協働して行ってきた。
 ブータンは日本人にとってかなり親しみを感じる場所である。ブータン人と日本人は人種がとても近いようで、はっとするほど日本人と似た顔・似た表情の人たちがいる。また、ブータンと日本は、同じ照葉樹林帯の東端(日本)と西端(ブータン)の関係にあり、稲を育ててお米を食べるところも共通している。チベット密教が国教であるので、人びとはみな敬虔な仏教徒であり、六界輪廻図などを見て育ち、その地獄絵に子どもごころに恐怖した記憶や輪廻に基づく死生観、また、四十九日までは成仏せずまだ中有に、といった話も通じる人びとである。いつも「すみませんすみません」と言いながら対応してこられる人びとでもある。海外にいるとは思えないような、懐かしいようなほっとするような場所である。
 日本とブータンとは、このように近いところがある。けれども、ブータンの建築は、見たことのない建物ばかりで、なんとも興味深い独特の空間が広がっていた。

山を背に建つブータンの寺院。地形や風の道からみて理に適う場所に建っている。
垂直の旗はダルシンと呼ばれる祈り旗で、旗に書かれた経文が風にはためくごとに
1回お経を唱えたのと同じ功徳が得られるとされている。

■集落と住居の伝統的なかたち
 集落の空間構造の要所にはチョルテン(Chorten:仏塔)がある。多くは地形の特異点にあり、魔が山から降りてきたり風に運ばれてきたりするのを防ぐ。集落の領域の内外を画する地点に置かれるものもあり、外から集落に入る旅人は、そこで身なりを整え正装してから集落に入るようにしないと賊と思われて斬り殺されても文句は言えない、というのが一昔前の常識であったという。家々にはルー(Lue)と呼ばれる小さな祠があり、こちらは仏教由来でなく土着信仰に基づく。家を地上に建てる際には地下におわす地中を司る神(地域により異なる)に伺いをたて、ルーを建ててなだめて祟りを避ける。どの集落にも寺および集落内各所にダルシン(Darshin:祈り旗)があり、死者が出た際に供養の108本のダルシンを山に立てる風習もある。集落近くに里山(Sokshing)があり、その先の山々は遠く神聖なる山嶽まで続く。これらのものがブータンの風景をかたちづくり、人びとを見守っている。
 伝統住居は、地方や標高により様式に違いはあるが、主に版築(地域により石積)と木造の混構造で構成される。屋根は躯体とは別構造の小屋組で支えられ、その軽やかな姿から flying roofとも呼ばれている。調査して分かってきたことは、伝統住居は「牛の家」「仏の家」「人の家」からなるということである。以下、ブータン西部パロ県での調査をもとに語る。
 「牛の家」は、住居最下層(1階)にある。家族の大切な財産でもある牛を家の中で飼うのが伝統住居の原型である。出入口のほかには通気用の小窓しかなく暗い空間だが、厚い版築で囲まれ、寒い冬にも熱を逃がさない。一方、「仏の家」と「人の家」は、住居最上層(屋根裏を除く)にある。「仏の家」は、内陣外陣2間続きの仏間(CHOSHOM)のうち内陣にあたる方の部屋(TSHAMKO)である。仏教国ブータンではどの家にも仏間があり、なかでも内陣の仏壇周囲の空間は、背面と両側面の3辺が開口部のない版築壁(家により一部間仕切壁)で囲まれ、大切な仏様をしっかりと護っている。残る1辺は外陣の部屋と繋がり、そこで仏事が営まれ祈りが捧げられる。内陣と違い外陣は祈る空間、つまり人がいる空間だから、窓があり風と光が入ってくる。「人の家」の中心となる部屋(YOUKHA)は外陣に隣接し、普段は居間、食事時には食堂、来客時は客間、夜は寝室として使われる。この部屋に見られる大きな窓は、窓のある壁の1辺全体が躯体より外に出た独特の出窓(RABSEL)の重要な部分を構成し、善き(RAB: good)清らなる(SEL: clarity)風と光を家の中にもたらす。この窓は、男性器または女性器を表す形の窓枠が付き、子孫繁栄や吉祥の象徴や文様に彩られた特徴的外観を形成するとともに、室内の空間作法上も特別な価値をもち、窓に近い方が上座になる。来客時や食事時等この部屋に人が集まる際、伝統的作法では当主の座を囲んで人びとが輪となり、人数が増えても輪を二重三重にはせず輪を大きくして必ず一重とし、窓に近い上座側から年齢や位の高い者が座り、年少者である子どもたちは窓から遠い下座側へと座る。そうして子どもたちは「人の家」の輪のなかで、大人たちのやりとりや作法を見て育っていく。


ブータン人の少年。
この風土のなかで、自分の心の中の龍を大きく育てていく。

山裾のチョルテン。
山(左側)から降りてくる魔が集落(右側)に入るのを防ぐ。
この集落では他に風が魔を運びこむのを防ぐ辻のチョルテンもあった。

■近年の変化と人のかたち
 ブータンの集落・住居は近年急激な変容をとげつつある。例えば、住居の屋根は、伝統的には板葺きの上に石を置いた素朴な石置屋根であったが、森林保護のために木の伐採が厳しく制限されるのに伴いトタン屋根が推奨されていった結果、今では多くがトタンに替わっている。木の伐採がよろしくないということで、寺のダルシンの柱も木から真鍮製に替わり、死者供養の108本のダルシンも、柱の木が調達困難で風習が廃れつつある。また、道路整備が進み、遠くから建材を運ぶことが容易になり、外来建材の使用が進んでいる。調査時に増築工事をしていたある家では、家族がインドで買ってきた煉瓦で意気揚々と壁を作っていた。彼らにとって憧れのハイカラな建材らしい。家の内部にも変化は及び、ソファーやテーブルなどの西洋家具を置く家が増え、部屋の用途が固定化されつつある。また、近代的衛生思想が入ってくると、家屋内での牛の飼育が禁止され、1階の「牛の家」の用途が失われた。中部トン集落(住居は主に石積と木造の混構造)を調査した際は、こうして空いた1階部分を居室とするため石積壁に通風採光の窓を設ける改装をした家が多く見られたが、主要な出窓のある上階と1階とで窓の基線が揃わなくなるなど外観意匠に変化が及んでいた。
 時代が変わると景色も変わる、というのは、ある意味自然なことだが、変化が急すぎると歪みも懸念される。ブータンの近代化は急速に進んでおり、ある政府高官は「我々世代が政府の中枢を担っているうちは、国の方向を決めるような重大な意思決定の際にもブータン人として正しいと思える決断をしていけると思う。けれど、次の世代が担うようになった時どうなるかは分からない。我々とは違う判断になるかもしれない。我々世代は地方の伝統的な家で伝統的な暮らしをして育ってきたが、次世代にはそうした風土にふれることもなく都市の近代化した生活しか知らずにきた者も多い。ブータン人の“人のかたち”が変わってきているのではないか、という気がしている」との危惧を話していた。生活が変わると住居も変わる。住居が変わり風景も変わると、そこで育つ子どもたちは、以前とは違う“人のかたち”をした人間になる。この彼の危機感には大いに共感を覚える。そして私たちもまた、この問題を共有する者である。彼らはその意味でも貴重な友人・仲間であり、今後も学び合っていきたい。


ブータン西部の伝統的集落。
住居建築の屋根にかけてのプロポーションが美しい。
前に水田、後に里山があり、写真左側ではダルシン(祈り旗)が風に揺れている。

この集落の住居外観の例。
これは村長の家で、3層目にある出窓(RABSEL)の各部に宗教的祈りをこめた装飾がよく見られる。
なおブータン建築のRABSELには、西部パロ近郊の住居によく見られるこの様式の他にもさまざまな形式があり、ブータン政府公開のBhutanese Architecture Guidelines(2014)に多くの例示とともに解説がある。

主要な居住空間がある住居最上階(屋根裏を含め4階建てなら3階)の間取り例(左の写真とは別の住居)。
階段を登ってこの階に入り右回りに進むと、続き間を経て出窓に面したYOUKHAの生活空間に至る。さらに右回りに進むと、仏様がおわしますTSHAMKOが最奥にある。

■吉村 晶子(よしむら あきこ)プロフィール

東京大学建築学科卒・東京工業大学大学院社会工学専攻修了。博士(工学)・RLA。国土交通省国土技術政策総合研究所、千葉工業大学などを経て、現在、名城大学環境創造工学科教授。著書に『日本風景史』(共著)など。

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