月例会の案内と報告
◆ 2005年愛知万博報告


JIA/UD部会視察ツアー
(2005.5.21-22)
「愛知万博・周辺街(岩村・大正村・足助)見学の旅」レポート
小野麻実

■全体のコメント
5月21,22日に実施されたJIA/UD部会ツアーは、愛知万博会場で7名が合流して見学しました。夜は岐阜県恵那郡明智の森「こもれび」に宿泊、地元の鳥料理と地酒「女城主」に舌鼓を打ち、翌朝から城下町岩村、明智光秀の出身地とされる宿場町の日本大正村、「塩の道」の中継宿場町として栄えた足助町を見学し、最後に熱田区の蓬莱陣屋でお腹いっぱい鰻のひつまぶしを食べて、名古屋駅にて解散という、街も食に充実した旅となりました。
今回、一番印象に残ったのは岐阜県岩村の街です。霧の中の岩村城址、街並み、路地、なまこ壁、元祖カステラや名物の味噌味の鳥料理、どれもこじんまりまとまりが良く、昔ながらの雰囲気が残っていました。

● 愛知万博
愛知万博は、JR名古屋駅からリニアモーターカーに乗り到着。会場では、100時間待ちという表示はごく普通で、ゴンドラも40分待ち、移動するのにも一苦労で、暑さと人混みに疲れきった感がある。ディズニーランドより大変である。午後になると、会場全体をぐるりと走る空中回廊「グローバル・ループ」の上を、人と同じ速度で動く自転車タクシーや、グローバル・トラム等に乗って移動する人々が増えていた。トヨタ自動車が開発した大型低公害バス「IMTS」等、環境に配慮した移動手段が多い。瀬戸会場へのゴンドラは、民家への配慮のため、途中2分ほど窓ガラスが曇るのが面白かった。
パビリオンへの入場は事前予約がないと難しく、三菱館の50m幅のスクリーンが圧巻であったとのこと。日立グループ館の外観には滝が、三井・東芝館は水滴のカーテンがあり目に涼しい。また、森林体感ゾーンでは、日本庭園の奥に、宮崎駿監督の『となりのトトロ』主人公のサツキとメイの家が再現され、緑豊かな散策コースとなっていた。外国館は、世界121カ国のブースがあり、それぞれお土産店や簡単な食事をできるスペースが設けられている。大きさが統一されているため、外観のデザインに各国工夫をこらしていたが、個人的にはポーランドの流線型の外観や、スペインのオレンジと黄色のタイルが美しく印象的だった。

●女城主、森蘭丸の岩村城址(岐阜県恵那市岩村町)
街はゆるやかな坂道で、その一番高いところから、別名『霧ヶ城』と呼ばれる『岩村城』跡への登城路が始まる。資料館を過ぎ、瓦の乗った塀沿いに坂道を上がると、実践女学園を創設した下田歌子女史の勉学所がある。庭には緑が美しく、藤棚とベンチがおかれた静かな空間で、向かい側は、樹木の植えられたポケットパークになっている。
その先の道を右に曲がると、鬱蒼とした森が現れ、山城への登城路として使われた石畳の山道が奥へと続いている。ところどころ藤の花が咲いている藤坂を過ぎ、一の門に着く。30分程登る間に、いくつかの苔むした石積みの門を通る。詰所、長屋、屋敷跡は今は草むらと石垣のみとなっている。雨上がりの森の中は適度な湿り気を帯びて、気持ちがよく、『霧ヶ城』と呼ばれたのもうなづける。言い伝えでは敵が攻めてきた時、二の丸付近の「霧ヶ井戸」に蛇骨を入れると、たちどころに霧が湧いてきて、城を包み込んだという。
岩村城は、日本3大山城のひとつで最も高所にあり、海抜721mに位置する。この登城路を毎日通っただけでも、鍛錬になりそうな山道である。次第に霧が深くなるなか、ところどころにある立て札の説明書きを読み、当時を想像しながら歩いていくと、六段壁と呼ばれる、苔の生えた段々状の高い石垣が出てくる。その脇の階段を上ると、ようやく二の丸、本丸跡である。1185年、源頼朝の家臣加藤景廉に始まり、武田信玄の家臣、織田信長の叔母であった女城主(これは御酒の名前になっている)、森蘭丸、松平家と次々城主を替えたこの城は、明治の始めに取り壊されている。本丸跡からの眺めは、やはり霧である。樹木と山並みの間に立ち込める濃い霧は、霧ヶ井戸の伝説を彷彿とさせ、往時にタイムスリップさせてくれる。

● 伝建築『岩村本通り』
東西約1.3km続く岩村本通りは、平成10年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、特に東側は江戸時代に作られた商家が並んでいる。南北に長い(約60m)敷地割と、切妻・平入り、二階部分が低い「厨子二階」が特徴である。岩村町指定文化財に指定されている、木村家や土佐屋は、中が涼しくて天井が高く、黒い梁が横たわっている。中庭も整えられて、なかなか風流な住まい方であったことが伺える。なまこ壁の見られる路地散策も楽しいが、食も充実している。カステラの原型とされる「ポォン・デ・ロ」を売っている松浦軒は、牛皮を包んだ若鮎もふっくらして美味しい。ここで、お茶を飲みながら試食してお土産を買い、向かい側の「女城主」という御酒を売っている酒屋に入る。店内の奥まで酒を運んだトロッコのレールが続き、途中には立派ななまこ壁の蔵もあった。
一日目の夜は、鳥兵という鳥料理屋で、味噌味の鳥料理とこの女城主という吟醸酒を堪能し、安くて美味しいことに大満足で宿に戻った。この辺りの商家は玄関先の青い暖簾に、「女城主」にちなんで、女主人の名前が白く染め抜かれているのも面白い。朝食代わりに食べた、かんから屋の「かんから餅」はごまやきなこに包まれてしっとりと柔らかく、「しのだうどん」は胃にやさしい味である。

● 日本大正村(岐阜県恵那郡明智町)
明智光秀の出身地とされる明智町の日本大正村は、明治から大正にかけて生糸の生産地よして栄えた町である。川沿いに歩き、橋を渡って大正路地に入る。米蔵と呉服屋の蔵は白と黒の壁が印象的で、黒い羽目板は、桟をはずすと防火壁の役目を果たしていたそうである。この路地を抜けると町庁舎として建てられた白い2階建ての木造洋館が現れ(瓦葺寄せ棟造り)る。重厚な旧家のたたずまいをみせる、茅葺屋根に囲炉裏のある旧三宅家、元銀行の繭蔵(木造百畳敷4階建て)の大正資料館の黒い壁が面白く、うかれ横丁にある道路を跨いだ渡り廊下等も興味深い。全体としては、大正モダンをイメージした大正ロマン館に象徴されるのだが、あまり大正らしさは感じられず、町全体がテーマパーク的な印象である。

● 足助(愛知県東加茂郡足助町)
足助は、江戸時代から明治時代まで、宿場町・在郷町・商業町として栄え、名古屋・岡崎から信州へ通じる中馬街道(別名塩の道)の中継地点として発展し、現在では、香嵐渓と呼ばれる紅葉の名所で有名である。巴川にかかる赤い橋を眺めながらボランティアガイドの方について、足助川沿いに続く街の中に入る。蔵造りのマンリン書店の脇を入ると、マンリン小路と呼ばれる黒板の壁にはさまれた路地で落ち着いたカフェもある。他に、元銀行(稲葉銀行)を愛知県指定有形文化財として開館した「足助中馬館」のギャラリーなどを見学。昔の面影も一部に残っているが、街としてはやや散漫な感じで連続した、街並みの保存は難しいようである。

万博「さつきとメイの家」
万博「自転車タクシー」
万博「ポーランド館」
岩村城址・霧の登城路
岩村城址・本丸跡からの眺め
岩村・なまこ壁の酒蔵
大正村・道を横切る渡り廊下
日本大正村役場
足助・マンリン小路

   

 

<< BACK >>



Copyright (C) JIA Kanto-Koshinetsu Chapter Urban Design Committee. All Right Reserved.