JIA Bulletin 2021年冬号/海外レポート

フィンランド公衆サウナの存在意義とゆくえ
―裸のつきあいを蘇らせる、サードプレイスの新境地―

こばやし あやな

 コロナ禍以前の現地観光局の調査によると、この数年は「本場のサウナを体験するために」はるばるフィンランドへやって来る外国人旅行客が、着実に増えているという。日本で主流の高温乾式サウナと違い、フィンランド式のサウナでは、70度前後の熱すぎない空間で、焼け石の載ったストーブに入浴者が打ち水をするのが特徴だ。水を打つたび、石の表面から熱々の蒸気が噴き上がって部屋をゆっくり対流する。その心地よい熱気の流れを素肌で浴びて、体を芯まで温め、リラックスするのだ。全身が火照ったら、屋外に出て外気浴をしたり、湖畔なら眼前の湖に飛び込んだりして、クールダウンを挟む。
 そもそもサウナは、冬の厳しい北国の暮らしで十分に暖を取り、日々の汚れや疲れを落とすため、フィンランド人が先史時代から実践してきた入浴法だ。そして古来、人々が家族や近隣住民たちと裸を見せ合い、同じ蒸気を共有しながら、穏やかで健全なコミュニケーションを楽しむためのコミュニティ空間でもあった。だが19世紀以降、新規開拓された都市部に農村からの移住者が急増した結果、誰もが自宅にサウナ室やサウナ小屋を持つ時代は一度終焉を迎える。当時はまだ薪焚きのサウナストーブしかなく、集合住宅にサウナを造るのはほぼ不可能であったし、そもそも首都の全域に温水が供給されたのも1960年代以降ようやく……というくらいに、都市部のインフラ整備には時間を要したのだ。
 サウナ難民となった都市移住者のために、19世紀後半から街角に出現したのが、フィンランド版銭湯「公衆サウナ」である。強力な蒸気を生む巨大ストーブが設置された男女別の広いサウナ室で、週に何度かサウナ浴を楽しみ、体をきれいにして、余裕があればマッサージや吸い玉療法などの追加サービスも頼む。ピーク時の1940年代終盤から50年代序盤にかけては、首都ヘルシンキだけでも120軒を超えるサウナ屋さんが軒を連ね、どこも連日にぎわっていたという。
 ところが50年代中頃から、各集合住宅に住民が当番制で利用するシェアサウナが普及し、ジムや市民プール、オフィスなどにもサウナが導入されて、まさにあらゆる場所で、よりプライベート化されたサウナ浴の機会が提供され始めた。その結果、公衆サウナはにわかに衰退の一途をたどり、80年代にはヘルシンキ市内での営業店舗が10軒を下回っている。
 公衆サウナ文化の衰退には、電気サウナストーブの開発で安全な省スペースサウナが造りやすくなったこと、人々のライフスタイルの個人主義化、オイルショックによる燃料高騰、働き手の高齢化など、いくつもの社会的変化が複合的に作用した。日本人としては、この盛衰の流れやタイミング、そして背景要因はすべて、我が国の銭湯業界がたどりつつある運命と重ねて固唾を飲まずにはいられない。赤の他人と裸のつきあいを楽しみ、心地よさを分かち合う……という古き良き公共空間は、もはや時代に不適合なのであろうか。


多くのフィンランド人が所有するサマーコテージのサウナ

1929年創業の老舗公衆サウナの巨大サウナストーブ

 実は、時が流れて2010年代に入ったころから、フィンランドの都市部において、興味深い新現象が目につくようになった。端的に言えば、公衆サウナという営業形態の店舗数が、緩やかながらV字回復を始めたのである。注目すべきは、この10年内に新設された公衆サウナは著名建築家による現代的なデザインの施設が多く、ビジネスモデルの創出や経営においても、それまで浴場業界に無縁だった人々、とりわけ都市計画や文化事業のエキスパートが主導する事例が多いことだ。

湾岸再開発エリアにできた新公衆サウナ、ロウリュ
(photo: Kuvio.com ©Löyly)

 例えば、2016年にヘルシンキ南岸に伸びるヘルネサーリ再開発地区の海岸線上に新設された公衆サウナ「ロウリュ」。敷地面積1,800平方メートルに及ぶ、多面体オブジェのようなファサードで、公衆サウナとダイニングバー、屋上展望台の複合施設となっている。最も伝統的で都会では珍しいスモークサウナを体験でき、さらにウッドデッキからバルト海に飛び込めるという、サマーコテージの極上サウナ体験を都心で気軽に追体験できる趣向が、当初から話題になった。設計は、木材を用いた建築の設計に定評のあるフィンランドの建築事務所アヴァント・アーキテクツ。2018年にはシカゴ・アテナイオン博物館主催のアワードで新国際建築賞を受賞し、タイム誌の選ぶ世界観光名所100選にも選出されるなど国際的にも注目を集め、近隣住民どころか、いまや国内外各地から入浴客が訪れる不動の人気浴場施設となったのだ。
 ウォーターフロントや新興住宅エリアにおいては、ロウリュの成功事例に続けと言わんばかりに、個性的なサウナ施設のオープンラッシュに加速度がついた。また、新設サウナの人気とともに、ヘルシンキ市内に残るわずか3軒の老舗公衆サウナもこの10年で軒並み入館者数を大きく回復させ、一昔前には見られなかった若者や外国人の入浴客も目立ってきている。つい10年前には、公衆サウナという業態の存在さえ知らなかった世代の人々が、いまやインフラとは別次元でなんらかの魅力や可能性を感じ、古き良き浴場文化をみずから再興し始めたというわけだ。そして、「いまなぜ公衆サウナなのか」という問いを咀嚼すると、「公共性」に対する人々の価値観やアプローチの刷新、という側面が見えてくる。

公衆サウナ入口前の路上でクールダウンする客たち

 アメリカの社会学者レイ・オルデンバーグが1990年代に提唱した「サードプレイス」は、自宅(ファーストプレイス)とも学校・職場(セカンドプレイス)とも切り離された、個々人が肩書を忘れて自由で創造的なひとときを楽しめる公共空間―つまり「街なかにある第3の居場所」を指す概念だ。一般的には、カフェや居酒屋、図書館などを指す。そして現代フィンランド人にとっては、公衆サウナが新形態のサードプレイスになりつつあると言えそうだ。
 浴場がカフェなどと違うのは、隣席に座る他者との交流や共生意識が助長されやすい点にある。閉鎖空間で、裸という無防備な姿で赤の他人と共存するには、互いへの信頼感と思いやりなくして秩序や安穏は保てない。これが日本の銭湯であれば、店舗側が細かな禁止事項を貼り出して客の行動を抑制しようとしがちだ。ところが多くの公衆サウナでは、客にルールを強いる意思は極めて薄い。実は、客同士で他者や空間の雰囲気をそれとなく気遣い合い、互いに寛容に振る舞うようになるので、秩序は意外と乱れないものだと経営者たちは口々に言う。まさに性善説に依拠した公共性の創出である。
 さらにサウナの中では、肩書どころか身も心もオープンな状態になれるため、一期一会の他人とでも心地よくスモールトークが弾む。都会で一人暮らしをする人のなかには、他者との交流を楽しみに公衆サウナに通う人だっているし、旅行者であれば、旅のよき思い出となるローカルとの交流も生まれやすいのだ。

 2020年春以降、例に漏れず公衆サウナも一時休業を余儀なくされ、6月に適宜人数制限を設けながら再オープンを果たしてからもやはり客足は伸びず、外国人客も望めないので、どこも苦境にあえいでいる。少人数グループに定額・時間制でサービスを提供する貸し切り営業を導入する店舗も出てきた。とはいえ、このような時代だからこそ、公衆サウナでの「心と体の浄化」を必要とする市民も少なくない。今後この古くて新しい公共空間がどのように時代と寄り添っていくか、筆者自身も通い続けながら見守っていきたい。

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