JIA Bulletin 2015年5月号/海外レポート

サファリ・サーフィン・UIA大会

松永 基
ダーバンビーチでサーフィンする著者
―ビーチフロントには高層ホテルが立ち並ぶ

松永 基


2011年5月、東京

 3月11日の東日本大震災を経て、2011年のUIA東京大会は「Design2050-災害を克服し、一丸となって、新しい未来へ」というテーマの下に開催され、秋の東京フォーラムには多くの人が訪れた。中でも次回開催国の南アフリカを中心に伝統的衣装のアフリカ勢の姿がひときわ目を引いた。
 次回はダーバンか、南アフリカ、アフリカ大陸の南の端、世界有数のサーフシティ、サーファーにとっては映画「エンドレスサマー」の果てしなく割れる波、そしてアパルトヘイトの国、たいした知識もなくそんなことを思った。そして、東京に多くのアフリカの方が来てくれた恩返しの為にもダーバンに行こうと思った。

 

2014年7月、ヨハネスブルグ〜ダーバン〜サファリ

 東京から香港、ヨハネスブルグへのフライトだ、飛行時間だけでも20時間、アフリカ大陸は大きく遠い。ヨハネスブルグの郊外のロッジに到着、ヨハネスブルグでは、アパルトヘイトミュージアムや、ネルソン・マンデラ元大統領ゆかりの地、スワトなどを訪ねる、ほんの数十年前までは人種差別政策のあった国だ。この国が豊かなのか?貧しいのか?僕には分からなかった。ただただ、会う人は陽気でビールが美味しい国であるということはすぐに分かった。
 ヨハネスブルグからダーバンへ翌朝7時から7泊8日のサファリキャンプツアーが始まった。ガイド、ドライバーを入れて19名。様々な国の人が集まっているが日本人は僕一人。移動はトラックを改造したバスのようなトラック、プロパンガスや鍋窯、テーブルや椅子、食糧や調味料、一切合切を積んで移動する。ランチなどは景色の良い所であっと言う間にテーブルセッティングをして料理を作ってしまう。夜は大きなキャンプファイヤーを囲んでビールを飲む。星が頭上に輝き、森の中には野生動物の気配を感じ、テントの中で眠りにつく。
 サファリを移動しながら様々な所を訪れる。クルーガー国立公園は野生動物の宝庫だ。ビックファイブ(ライオン、ヒョウ、象、サイ、バッファロー)を始め様々な野生動物に出会うことができる。4WDで野生動物を探すことを「ゲームドライブ」と言う、乗ってみて初めて分かったのだが、探すことそのものがゲームなのだ、昔は猟をしたのだろう。「探して、見つけて、撃つ」という行為から「探して、見つけて、観察する」というゲームに替わっているだけのことだが、人の狩猟本能だろうか?以外に興奮するのである。
 スワジランド王国―南アフリカの中にあると言っていいような人口100万人面積約1,700m2、四国位の小さな国で伝統的な文化を重んじる国王がいる。この国では小さな村を訪れた。南アフリカの民家の伝統的様式は煉瓦造の壁にプラスター(土)を塗り、木造の小屋に萱葺だ。スワジランドの民家はドーム型をしていた。細い竹で円弧の連続でドームを作り、萱を乗せて作っている。
 スワジランドは小さくても違う国、きちんとした国境がありイミグレーションコントロールもある。一同はバスを降りて徒歩で国境を超える。南アフリカの大きさに比べるとスワジランドは本当に小さい。どうしてこんな小さな国が独立した国家なのだろうか?日本にいると国という概念は単純で簡単だ、単一民族の島国であるからだ、どこまでが日本で誰が日本人かはすぐに分かる。(北方領土や竹島、尖閣諸島問題、アイヌの民族問題には触れないで下さい。)ところが世界に出るとその問題は単純でシンプルではなくなる。今回のツアーメイトにバスク人の夫婦がいた。言葉の話になり、オラ!とかセルベッサとか知っているスペイン語を並べると、彼らは英語で答えてくれた。「私達はもちろんスペイン語を理解できます。でも話しません。何故なら私達はバスク人だからです。」
国と民族の関係は僕が思っている以上に複雑だと思う。スコットランドや香港、バスクやカタロニア、民族や属性で独立できるものではない。この小さなスワジランドで考えた。

 


キャンプサイト—夜中焚き火は絶やさない

サファリ

ランチの準備

スワジランドの小さな村

 

ダーバンビーチ&サーフィン

 インド洋に面したダーバンに着く。ダーバンはバスゴダ・ガマが発見し以来重要な港湾都市として発展してきた。
 世界有数のサーフシティ。長く続くビーチウェイには高層ホテルが立ち並び、ビーチでは毎日いい波がブレイクする。僕はダーバン滞在の5日間、毎朝サーフィンすることができた。毎朝ビーチカフェに集まって、皆でコーヒーを飲む、「やあやあ、今日の波はどうだい?」「昨日は飲み過ぎてない?」「おはよう。」・・・毎朝握手を何人ともしながらの会話。日の出を待って、三々五々ウエットスーツに着替えて海に入る。季節は冬、インド洋の暖流で水温は高い、僕は友達に借りたシーガル(半袖長ズボン)に着替えて、ダーバンで削ってもらったサーフボードを持って海に入る。
 「今日の波は小さいよ!」「ヘイ!!カモン!モトシ!」皆声をかけてくれる。小さいという波は結構大きく、ブレイクは早い。一時間半程度波に乗って上がってきてビーチカフェでシャワーを浴び、「またね!」「また明日!」それぞれが仕事に行く。ダーバンに滞在中の毎朝同じようにサーフィンをした。五日間と短い間だったが最高の仲間となった。

 

UIA2014ダーバン大会

 皆さんご存知のようにUIA大会は国際建築家連合が行う世界的な行事で3年に一度世界各国で開催される。2014年は南アフリカ、ダーバンでの開催となった。会場はダーバンICC、市の中心街にあり交通の便もいい。最初は徒歩で移動は危険という話しだったが、ビーチフロントのホテルからは徒歩15分、結局、ほとんどは歩いて会場に向かった。会場は盛り上がっていた。参加者4,500名、102カ国、国際色豊かだ、得に若い学生が多い。また、熱心に質問してくる。我が日本建築家協会はJIAブース「JIA東北支部会員と災害からの復旧・復興の関わり」というテーマでパネル展示した。ジャパンフォーラムではまず、岩村氏の3.11の被害と復興の様子、次に伊東豊雄氏の講演。会場は満席、伊東氏の講演は2回とも満席でなりやまぬ拍手であった。
 他には建築大賞などを受賞した「けんちく体操」、ゴールデンキューブ賞の「子どもたちが応援する歴史的建造物の震災復興〜地域・小学校との協働プロジェクト〜」--建築と子供たちネットワーク仙台--など、小ホールも賑わいをみせていた。残念ながら同時進行も多く全部の講演を聞くことはできなかったがとても有意義な時間を過ごすことができた。(詳細な報告はJIAマガジン2014 10月号の岩村氏を参照して下さい。)


JIAブース

会場風景

 

 ダーバンの町を歩いた印象は、「様々な様式、様々な人種が渾然一体となっている。」だった。建築的には様式のある1900年代の近代建築と1930年代のアールデコ建築が目立つ、得にアールデコ建築は、テルアビブやバウハウスのものと違ってカラフルだ。ダーバンのアールデコはパステルカラーだ、グリーンやピンク、ベージュ、可愛らしくアイスクリームのような建築だ。

 

 2週間の南アフリカ滞在はとても楽しかった。沢山の人に会い、様々な動物を見た。何よりダーバンの人は明るくて陽気だ、良く会話をし挨拶をする。僕はこの町が好きになった。
 南アフリカが好きになった。もう一度、あのアルコールの強いキレとこくのある南アフリカ産ビール“Black Label”を飲みたいと思う。

 


バニーチャウとBlack Label
UIA特設ビアホールにて

〈エムズワークス一級建築士事務所 〉


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