JIA Bulletin 2010年9月号/海外レポート

坂の下の海

      ——シアトルの都市形態観察

 

浅野 浩
浅野 

 

■私が19年住み慣れたボストンからシアトルに来て、6年になる。シアトルを簡潔に紹介するのに適当な言葉を探していると、司馬遼太郎の小説の題が浮かんだ。閑話休題。それで気がついたのだが、人は坂を上がるときは上の雲を見ることは無く、足元を見て歩くのではないか。坂を下るときに人は景色を眺める。
 
 坂で有名なのはアメリカではサンフランシスコだが、シアトルも、訪れた人が一様に驚く坂の町である。市の中央部は、西にエリオット・ベイと東にレーク・ワシントンに挟まれ南北に伸びている。そのほぼ中央を稜線が走っていて、東西の水面にむかう傾斜地に街路がグリッド状に敷かれて発展した。 
私の世代の人は古いテレビ番組「幌馬車隊」、ワード・ボンド隊長の指揮の元、オレゴンの緑滴る牧場をめざした西部移民の話を覚えていると思う。彼らは主にワシントンとオレゴン州境の偉大なコロンビア川流域に定住したが、1850年頃木材を求めて北への移動が始まり、それがシアトルの起こりである。
 坂があることと穏やかな湾は材木の輸送におおいに便利で、丘の上の原生林を伐採しては逆落としに海まで降ろして、そこからカリフォルニアの大市場に輸送することができた。英語で広く使われている貧民街を意味するスキッド・ローは、材木をスキッド、滑らせる道筋に失業者が仕事探しにたむろしていたことが語源だそうだ。19世紀の終わりから1930年ごろまで林業が寂れるにつれて、何回もの丘の切り崩しと谷間の埋め立てがあったが、今でも東西に走る街路にはこの歴史を思い出させる急傾斜がある。そして、その坂の下にはいつも海がある。

 といっても港沿いにアラスカン・ウエイという1953年建設の2階建ての高架道路が走っていて、見晴らしは著しく妨げられている。現在そのトンネル化の設計が進んでいる。私が関与したボストンのビッグ・ディッグのミニ・バージョンである。
とにかく、どこへ行くにも坂上りと坂下りが要求される。市役所やレム・クールハース設計の中央図書館ある辺りは約75m四方の区画だが、東西方向に10から12 mの高低差がある。図書館では高い5th Avenue側にメイン・エントランス、低い4th Avenueにはセカンダリー・エントランスがあり、2階分のエスカレーターで結ばれている。年寄りや障害者にはダウンタウンの歩行は難儀である。現に数年前、観光客を乗せた輪タクのブレーキが壊れ交差点で止まらず、死者をだす事故があった。

 


右にシアトル美術館


 驚くことにこの傾斜をうまく利用した建築は少ない。普通は図書館のように、建物を斜面に掘り込んでおしまいだ。ロバート・ベンチューリの設計で1991年建設のシアトル美術館は、傾斜に沿った室内の階段を展示空間として利用    している。観光客で混雑しているパイクプレース・マーケットも1910年から継続的に市場として使われ、崖っぷちに次々と建て増ししたユニークな構造で、バーナード・ルドフスキーの“Architecture without Architects” に出てくるような建物の面白さがある。

 しかし他の太平洋北西岸の都市、バンクーバーやポートランド、またサンフランシスコに比べてシアトルが劇的要素にかけるのは、橋が無いことだと思う。いやもちろんかわいい跳ね橋などはあるが、ライオンズゲート・ブリッジ、ゴールデンゲート・ブリッジのような、大きな展望のある吊橋が無い。エリオット・ベイとレーク・ワシントンをつなぐ狭い運河と汚いドワーミッシュ川は、知らないうちに高速道路で渡ってしまう。なんとなく町が始まり、なんとなく終わってしまう物足りなさがシアトルにはある。

 例外は、東から国道90号線でのアプローチだ。私も、ボストンから4日間かけてポンコツ車で5,000キロ走り、レーク・ワシントンに架かる浮き橋を渡った時は感動した。対岸まで、湖の南半分中央に浮かぶマーサー・アイランドから約2.5キロの道のりで、丘の向こうに見えるシアトルのスカイラインはまさにエメラルド・シティーの名にふさわしい、緑の光景である。

 豊かな自然のためか、シアトルの商業建築、公共建築はほかの西岸の都市に比べ規模、デザインともにおとなしい。最近の建物でアメリカ国内で話題になったのは、前述の図書館と美術館に加え、フランク・ゲーリーのEMP、スティーブン・ホールの聖イグナチオ教会、ワイス&マンフレディのオリンピック彫刻庭園ぐらいだ。これは建築家、施主ともに保守的なモダーニストであるのが原因なのかも知れない。シアトルとその近郊には、ボーイング、マイクロソフト、アマゾン、スターバックス、アドービなど優良企業がそっろているのだが、それが今のところ建築の斬新さに反映されていないと言える。

 しかし住宅建築は1940年代からの秀作が数多くある。ノースウエスト・スタイルと称され、開放的なプラン、木造柱梁構造、大きな開口部、水平線の強調、フラットルーフなど日本や北欧建築の影響を強く受けた建築である。気候と景観、それにこれらの国からの移民が多かったことも要因であろう。
こうしてみるとシアトル市民は、仕事より個人の生活をより重要と考えているのかもしれない。だから仕事嫌いの私にあっているようだ。



SAM ベンチューリ設計 シアトル美術館

 

SAM ベンチューリ設計 シアトル美術館

Pike Place Market パイクプレース・マーケット
Pike Place Market パイクプレース・マーケット

〈2010年5月28日 シアトル〉

 

浅野 浩 氏 略歴
● 1973年 千葉大学大学院卒業
● 1975年 トロント大学建築修士

● 2004年より NBBJ 勤務


 


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