JIA Bulletin 2010年11月号/海外レポート

イスラエルに行ってきました

 

松永 基
松永 基

 

■「イスラエルに行ってきました。」と言うと多くの人は「安全だった?」「大丈夫?」という返事が返ってくる。イスラエルは一部の紛争地帯を除いて安全だ。その証拠に世界中から多くの観光客が訪れる。聖地エルサレムはイスラム教、ユダヤ教、そしてキリスト教の聖地。それぞれの宗教に熱心な人種は聖地巡礼で訪れるが、日本人はそれらの宗教を信じる人は少なく、したがってイスラエルに訪れる日本人は少ないのだと思う。 今回の僕の旅はイエス・キリストの足跡を追ってイスラエル(ヨルダン)をレンタカーで10日間旅をした。

 

■テルアビブ  

 テルアビブは100年前に出来た人工の街(街は全部人工なのだが、)テルアビブは人が造ったいう印象を強く受ける。
それはこの街が白いモダニズム建築で溢れているからだろう。1930年の街が世界遺産に登録されたのは興味深い。インターナショナルスタイルを中心にメンデルスゾーンの影響を受けた建築が多く建っている。
クリーンで若々しい白い街、ニュートラルで未来的な街から出発した。

 

■カイザリア・ナザレ・ティベリア湖周辺  

 地中海に沿って北上すると、小一時間でカイザリアに着く。ここはイエス時代のピラト提督(イエスに死刑を宣告した)の住まいがあった。ローマ時代の円形劇場、水道橋の遺跡が残る、この遺跡を探して行ったのだが、水道橋はただの海水浴場の駐車場の壁と化していた。釣竿は立てかけているは、海パンは干してあるは、登って日光浴をしている者・・・これでは、僕の住んでいる湘南の海岸の防波堤と変わりないではないか、イスラエルにとってローマ時代の遺跡は珍しくもなく貴重でもないのだろうか?
 3時間のドライブでナザレに着く。まったくのアラブの町、そのカオス、細い路地があり、ソーク(市場)があり、モスリムの塔が建っている。その塔からは日に5回、コーランが大音響でなり響く。深夜0時に鳴った時はさすがに驚いた。
そして、ナザレはマリアが受胎を告知された地だ。そこには、ギリシャ正教の受胎告知教会とカトリックの主張する受胎告知教会が存在する。前者はギリシャ正教らしくつつましい佇まいをしているのに対して、後者はコンクリート打ち放しのモダンな建築で、マリアが受胎を告げられたとされている岩の上に建てられていて、多くのキリスト教信者が訪れている。
その後、ベツレヘムで生まれたイエスは、ナザレに戻り伝導活動を始めるまで30年間暮らし大工(木工職人)として職を得た。そして、神の導くままにティベリア湖周辺で布教活動をし、多くの奇跡を生みだし、弟子を取るのだ。イエスの足跡を追ってティベリア湖周辺を巡ると、イエスが奇跡を起こしたという地の跡に建てられた教会や、「貧しき者は富めるも者なり。」と説教した場所に建てられた教会など多くあり、その地を回りイエスがこの地に存在していたのだと実感する、僕はキリスト教徒ではない。
しかし、2000年前の一人の人間(僕にとってイエスは実在した人間なのだ)の息吹きを感じることができた。ティベリア湖ではセント・ピターズ・フィッシュという魚が食べられる、イエスの弟子の漁師ペトロが捕っていた魚である。実際には大きなイサキ、白身で淡白、淡水魚にしては臭みもなく醤油が欲しい一品である。

 

■死海周辺

 死海・・・塩の湖、そう!ぽっかり浮くのだ、そして、ドロのエステ。
死海教本は世界で最も古い書物(紀元前2世紀)が発見された地である。イエス以前の世界、原始ユダヤ教の教えの写しだ。また、マサダという砦の跡がある。ここはユダヤの民にとっては忘れられない土地。ローマ時代、十字軍の攻撃をうけ、900名余りのユダヤ人が2年以上たてこもり、自殺の禁じられているユダヤ教徒は互いに殺し合い、最後にクジで一人を決め、その一人はローマ軍に捕まったという歴史を持つ岩の要塞であり、ユダヤの民の誇りである世界遺産だ。
死海周辺は砂漠と荒野が続く、ベージュ色の世界。砂漠と緑の自然が出会うところでもあり、対岸はヨルダンである。イエスが洗礼を受けたヨルダン川の聖地は、緑豊かな河で綺麗な水が流れていた。何千年ものこの流れがあり、何万人もこの地で、この河で洗礼を受けたに違いない。
その河が流れ込むのが死海だ。死海は何万年もかけ、水分が蒸発して塩分が残り、塩分濃度が濃くなったのだ。
死海はイスラエルの急激に進む砂漠の農地化・生活用水の確保でどんどん干上がっている。何万年も保たれてきた自然のバランスを、現代人はたった数年で壊そうとしている。

 

■紅海の一大リゾートーーエイラットからペトラ(ヨルダン)

 エイラットは紅海に面するイスラエル最大のリゾートだ。その海岸線は僅か6kmしかなく、西はエジプト東はヨルダンに接している。エジプトに行って、シナイ山に登るか、(シナイ山はモーゼが神から十戒を授かった山だー旧約聖書の出エジプト記)ヨルダンに行ってペトラ遺跡を見るか悩み、結局、ペトラの壮大な岩宮殿に惹かれヨルダンを選んだ。
イスラエルとヨルダンは何キロもヨルダン河を挟んで接しているにも関わらず、数箇所しか行き来できない。エイラット国境でもレンタカーでの出入国は認められていない為、1kmほどの中立地帯を徒歩で渡る、なんだか難民のなった気分である。高い入国税を払いヨルダン側のツアーガイドに引き渡される、今度は冷戦時代の安っぽいスパイ映画のようである。
小さなマイクロバスに乗り、各人が自己紹介、アルゼンチンの夫婦、ガテマラの家族、アメリカ人などが乗っている。ペトラは自然の渓谷(岩ばかり)を人の手によって、神殿、墓、劇場などが作られた前4世紀から後1世紀のベトウィンの遺跡だ。入り口が一つしかない秘密の要塞、そして、何より広い。全部見ようと思うと、ツアーでも三日間かかるそうだ。歩くこと2時間あまり、突然岩の間から、アル・ハズネ神殿が現れる。ペトラで最も劇的で有名な場所だ。
イスラエル・ヨルダンでは、自然の地形を利用し人が手を加えることによって魅力を増している場所が多い。自然(神)の造形と人(意思)の造形とのバランスが絶妙だ。ペトラではアル・ハズネ神殿より奥はより人の手が加えられている。
円形劇場や墓の跡などが多く残っている。お約束のラクダ乗りもいるし、べトウィンもいる。

カイザリア

カイザリア

ペトラ
ペトラ

 
■エルサレム  

 イスラエルは南北に長い国だ、面積は四国ほどしかない小さな国だ。エルサレムはその中心に位置している。テルアビブから7日間かけてイスラエルを廻っていると、エルサレムのそばを何度か通る、エルサレムの周りをトグロを巻くように旅をしたのだ。それは、エルサレムを旅の最終目的地にしたかったからだ。
 エルサレムの旧市街は1km四方の城壁に囲まれている。城壁には8つの門が設けられている。(実際の開いているのは7つ)最も美しいと言われるダマスカス門の外、ホテル・エルサレムに宿をとる。19世紀に建てられた住宅をホテルにしている魅力的なホテルだ、石の積石造の壁は60cmもある。
 旧市街ではアラブのソーク(市場)が迷路のように入り組んでいる。足を踏み入れると、二度と出て来られないような錯覚と不安、不思議なものに出会いそうな期待でドキドキする。路地は屋根がかかり、空が見えないことも迷う要因なのだろう?さっそく迷ってしまって、このあたり嘆きの壁?と思い、何やら銃を担いだ兵士がいたので地図を見せて、「Where is here?」と聞くと「Where are you going?」と聞かれ、とっさに「Western Wall」と答えたら「Here!」と言われた。確かに、そこには飛行場で見るような、金属探知機と荷物のX線検査機があった。地下からの嘆きの壁の入り口だったのだ。
 イエスが十字架を背負って歩いた道(Via Dolosa)の一部も迷路のソークの中にある。 十字架の道では毎週金曜午後4時、フランシスコ会の行進があり、数箇所で祈りを捧げる、祈りの最中にスピーカーからコーランが流れる。その最終地に聖墳墓教会がある。イエスが十字架に架けられ、息を引き取ったとされる地に建てられた教会だ。その教会には十字架が立てられた穴や、イエスの聖骸に香油を塗った大理石などが残っている。巡礼者の多くは涙を見せていた。城外の東側、ユダヤ人墓地を挟んだ丘に、ゲッセマネと呼ばれる地がある。イエスが捕らえられた地だ。その晩イエスは自分が捕らえられ、弟子に裏切られ、処刑させられるのを悟り嘆き悲しんだ地だ。そこにも多くの教会が建っている。その一つ一つを巡り、復活したイエスが40日目に昇天した教会も訪ねた。
 ナザレで生を受け、ベツレヘムで生まれ、ティベリアで布教し、エルサレムで祝福されると信じ入城し、死を迎え、復活しこの地で神になったイエス。今回の旅はその地を廻り、イスラエルで大切なのは、今建っているもの(現在)ではなく、その土地(歴史)なのだと実感した。時間の果てしない軸、建築や土地や今そこにあるものの軸、そして、その中で営みを続ける人間。その奥の深さに魅せられた旅だった。
 最後にイスラエルには7つの世界遺産がある。その4つを廻ることが出来た。皆さんも是非、イスラエルを訪ねてみて下さい。そして、不思議な国、魅力的な国、異国を実感して下さい。

 

エルサレム

エルサレム

Via Dolosa
Via Dolosa

〈エムズワークス一級建築士事務所〉


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