JIA Bulletin 2007年4月号/海外リポート

続・誰でも知っているエチオピア、
だけど誰も知らないエチオピア
エチオピア訪問記(2006年9月)―第2回
若林 康夫 氏

本稿は若林氏が毎年夏に配信しているメール旅行記の転載です。
前回(2006年12月号)の続きです。(櫻田修三)


4.コーヒーは2時間かけて

 エチオピアといえばモカコーヒー。コーヒー好きの私としては期待に胸を膨らませやって来ました。コーヒー国エチオピアでは日本の茶道と同じようにコーヒーセレモニーがあります。1度、地元の人にお願いして参加させてもらったのですが、コーヒー1杯を入れるのに約2時間。おまけに、事前の知識なしで参加したため、セレモニーの途中、どう対応していいのか分からない。
 2時間かけて出てきたコーヒー。
トルココーヒーやアラビアコーヒーのようにカップの底に挽いたコーヒー豆が残るようなことはありませんが、かなり濃いコーヒーです。中近東やアフリカではコーヒーにこれでもかというくらい砂糖を入れることが多いのですが、エチオピアではコーヒー本来の味を楽しむため、ブラックで飲む人が多いようです。また、砂糖を入れる人も最初はブラック。最後にちょっと砂糖を入れて飲み干す人が多いようです。
 味と香りはというと、実はコーヒーセレモニーには参加しないまでも何箇所かでコーヒーを飲んだのですが、いずれもほとんど香りがしません。というより、ドリップしたコーヒーをさらに火にかけて暖めるので、出される頃には香りは飛んでしまっています。エチオピアの人は「コーヒーは味を楽しむもの」と割り切っています。
 味はコーヒー色というより黒に近いので、最初はかなり酸味がかかっているのではないかと思っていましたがそんなことはありません。アメリカンコーヒーよりは濃いですが、エスプレッソほど強くはありません。また、人によっては何か香料のパウダーを入れて飲んでいる人もいました。このパウダーには何種類かあるようで、カフェなどには必ず用意されているようです。
 首都アジスアベバではほぼ100メートルおきにカフェがあり、かなりの田舎町に行ってもレストランはなくても、カフェは必ずあります。このようにコーヒーが好きな国民ですから、コーヒー豆に対するこだわりもかなりのものがあります。日本では工場などでローストされ、粉に挽かれたコーヒーが一般的ですが、エチオピア人はそのようなコーヒーはまず買いません。もちろんスーパーマーケットなどで売られてはいますが、これは外国人向け。ローストされていないコーヒー豆を買ってきて、自分の好みの味になるようローストします。
 コーヒー豆を売っているお店の店頭では、お客さんが炒る前のコーヒー豆をパクッと口に入れ味見をします。私もやって見ましたがただ苦いだけ。慣れるとこの苦味ならこんなコーヒーを入れることが出来るな、とか、どうやってローストすれば美味しいコーヒーになるのかが分かるそうですし、それが楽しみでもあるようです。このように、店頭にある数種類のコーヒー豆を次々に味見をし、気に入ったコーヒー豆を買って行きます。もちろんローストするのは飲む直前。買って来たコーヒー豆をまとめてローストすることはありません。
 コーヒー以外ではビールもよく飲まれています。
もともとエチオピア人はアルコール耐性が強いようで、日本のように酔っぱらって街中を歩いている人はいません。国産のビールメーカーが数社あり、日本でいうビールの中瓶を1本100円ほどで飲むことが出来ます。とはいっても、平均月収が5,000円前後ですから、ビール代はかなり高価です。味はアメリカのビールのように日本のビールと比べるとちょっと薄味です。
 最近ではワイン作りも始まったようで1本300円前後で販売されています。フランス系のワイナリーが技術指導をしているようですが、味はまだまだかなぁ、という感じです。

 一般の人の食事事情ですが、干ばつや洪水の影響もあり、決して良好とはいえません。衛生状態もあまりよくないので、病気を防ぐ意味で香辛料はふんだんに使われています。電力供給も不安定なので、食べる肉はその場で屠る、が原則。それでも家畜の餌になる草木が不足しているので、特に田舎では野菜も肉も不足しています。このため世界各国からの救援物資に頼っているのが現状です。
 エチオピアの主食は「インジェラ」と呼ばれるクレープのようなパンです。「インジェラ」はテフという穀物の実を挽き、水でこねたものを4〜5日醗酵させクレープ状に焼いたものです。このため、かなり酸味がきいています。おかずは「ワット」と呼ばれ、ニワトリ、山羊、羊、牛などのシチューや煮込んだ野菜、魚の唐揚が一般的です。もちろん、これらすべてのワットが付くのではなく、この中の2種類程度が出てきます。ただ、ワットはかなりホット。インド料理とも異なり、いきなり舌を刺すような、強烈な辛さがあります。酸っぱいパンとホットなおかず。エチオピア在住の外国人で、エチオピア料理だけは苦手という人も多いようです。
 日本にも東京に「クイーン・シーバ(シバの女王)」というエチオピア料理店があります。日本に亡命したエチオピア人がやっている日本で唯一つのエチオピア料理店です。もし、体験したい方は行ってみてください。え、私ですか? 当分、エチオピア料理は遠慮させて頂きます。
 意外なことに、エチオピアにはパスタ料理も沢山あります。多分、イタリアが占領を試みていた頃に残していった文化なのでしょうが、どうせ料理を教えるのなら、きちんと教えて行けよ、イタリア人!
 田舎町のレストランに行ってもパスタ料理はあるのですが、どれも茹で過ぎでベチャベチャ。おまけにパスタにやたらと山羊の乳から作った溶けバター(この匂いが強烈)がかけてあり、目の前に出されただけで思わず「ご馳走様でした」と言いたくなります。一応、全部食べたけど……。その土地、その土地により現地の人の口に合う料理がありますが、エチオピア料理、日本人には合わないかもしれません。

5.国際援助隊
 日本ではエチオピアのニュースが流れることはほとんどありません。エチオピアでは昨年から首都アジスアベバを中心に全土で爆弾テロが続発しています。犯行声明は出されていないものの、民族闘争が根底にあることは確かです。
 隣国、スーダン(英語の発音だと「スダーン」。「スーダン」と発音したら「それ何処?」と言われました)に軍事介入しており、そのことも爆弾テロに関係があるとされています。特に爆弾テロでは政府機関など特定の建物や場所を狙うのではなく、普通のホテルや市場など一般の人が集まりやすい場所が標的にされています。このため、全土に非常事態宣言が出されており、街には武装した警察官や国防軍の軍人が溢れています。
 また、少し大きなホテルや銀行,ショッピングセンター,スーパーマーケットでは入り口にセキュリティチェックポイントがあり、空港さながらに金属探知やボディチェックを受けなければ中に入ることは出来ません。
 エチオピアでは民間のセキュリティ会社の警備員も武装することを認められています。日本では通常、警察官はピストルを携行しているだけですが、こちらでは警備員といえどもマシンガンやライフルで武装しています。幸い、ライフルやマシンガンで撃ち合いをしているシーンには出くわしていませんが、国中がピリピリした印象です。これはエチオピアに限ったことではありませんが、写真撮影も警察官や軍人が写ってはダメ。政府関係機関や軍事施設の建物が入るようなアングルでの撮影もダメ。さらに、路上生活者や行き倒れの人が写るようなアングルもダメ。路上生活者や行き倒れの人は、そこら中にいるので、じゃぁ写真撮影が可能な場所はどこか教えてくれと言いたくなります。
 一般の犯罪発生率は比較的低く、戦闘やテロ以外の所謂、殺人事件などはほとんどありません。また、強盗や引ったくりなども比較的少なく、警察官によると最大の犯罪は「スリ」だそうです。
 共同体としての意識も比較的発達しており、というよりも、古きよき日本の社会でもそうであったように、失業者や路上生活者に対し商店の人が商品の配達を頼んだり、人手が足りないときに手伝ってもらい、優秀であれば採用したりと、再チャレンジが可能なシステムが出来上がっています。このため、一定割合の失業者や路上生活者は存在しますが、その割合が急激に増加するようなことはありません。

 エチオピアだけでなく、エチオピアに来る前に立寄ったスーダンでもそうでしたが、国連をはじめ、国際赤十字委員会など多くの援助機関が活動を行なっています。エチオピアでもスーダンでも、街には「UN(United Nation:国連)」や「赤十字」マークを付けた車両が溢れています。空港には「UN」マークの機体が数多く駐機しています。
 このような機関で働いている西欧人は比較的真面目なのですが、所謂、現地採用のローカル職員が問題です。俺はエチオピア人であるが国連の機関で働いているんだ。偉いんだ。というエリート意識で満ち満ちていて、完全に援助を受ける人達を見下しています。運転手ですら、「UN」マークの車両を運転するときは特権意識むき出し。歩行者がいようがお構いなしに突っ込むわ、信号が赤であってもクラクションを鳴らしながら突進するわ、国連であればすべてが許されるという認識です。このような行動の積み重ねがあるせいか、一生懸命に援助活動をしている割には地元の人には国連や国際赤十字委員会の評判はいまいち。ピカピカの車両に乗り、好き勝手に行動をする鼻持ちならない奴ら、という評価が出来つつあります。実際、「UN」マークを付けた車両が援助活動のために走っていても、歓迎するどころか罵声を浴びせられることがしょっちゅうです。
 海外青年協力隊やアメリカの Peace Corps のように現地に溶け込んで活動をするのが理想的なのでしょうが、国全体を援助するような、大きなプロジェクトでは地域により援助の濃淡が起こったり、特権意識が芽生えてきたりと、どうしてもこのようなことが起こるようです。

6.部族闘争
 すでにご連絡したようにエチオピアとスーダンは戦争状態にあります。元はエチオピアとスーダンのように国が関係する戦争ではなく、この地域に住む部族闘争が発端でした。スーダンではこの部族闘争が全土に広がり部族対部族の内戦になりました。
 ユニセフ国連大使である黒柳徹子さんが内戦に巻き込まれたスーダンの子供達に援助をと日本国内でも大々的にキャンペーンが行われていたことを覚えている方も多いでしょう。アグネス・チャンさんもキャンペーンに参加していた記憶が。
 この内戦が続いていたスーダンに国連が介入。何とか部族間での平和協定締結が実現し、総選挙が行われた結果、スーダンにイスラム政権が誕生しました。また、反対側の隣国、ソマリアでも内戦の結果、イスラム政権が勢力を把握しました。
 このイスラム政権の影響を非常に懸念したのがエチオピア正教会の影響を受けている現エチオピア政権です。いまは何とかエチオピア正教会系の政党を中心に国がまとまってはいますが、爆弾テロなど様々な紛争の火種を国内に抱えています。現エチオピア政権はイスラム政権が台頭すると国内が以前のスーダンのように部族闘争から内戦状態になることを非常に恐れています。そこで、誕生したばかりのスーダンのイスラム政権を潰してしまおうと隣国に戦闘を開始しました。
 島国の日本から見ると、隣国の政権に介入するなど余計なお世話であるとしか思えませんが、民族や部族が複雑に入り組んでいる地域に、西欧諸国の植民地政策により、勝手に国境線を引かれ、分断されたこの地域では我々が考えつかないような力関係があり、それが政権に複雑に影響をしているようです。また、エチオピアとスーダン国境付近で油田が発見されたこともあり、その利権も絡み、問題をさらに複雑にしています。エチオピア国内ではスーダン国境付近の地域に行かないとあまり戦闘を意識することはありませんが、スーダンでは全土が非常事態宣言下にあります。

 エチオピアに来る前、スーダンにも立寄ったのですが、国際空港のあるカトゥームには数多くの高射砲が設置され、いつでも全土決戦の準備はOKとなっていました。現在では国連軍が両国に介入し、何とか戦闘を回避できているのが現状です。
 このように複合民族国家であるエチオピア。訪れる地域により衣装が全く異なります。わざわざ地方に行かなくても、首都アジスアベバで街を歩いている女性を見ているだけでも、様々な民族の衣装が楽しめます(男性はほとんどの人がスーツかシャツ姿です)。
 全体として言えるのは色使いがとても明るいということです。赤・黄・緑など原色に近い色をうまく組み合わせ、民族ごとの刺繍や織り方でそれぞれの特徴を現しています。布を専門に扱っている市場に行くとほとんどの部族が使う色が揃っており、まるで色見本のようです。本当は写真でお見せ出来ればいいのですが、上にも書いたように写真撮影が非常に難しいため撮影することが出来ませんでした。

 話し変って、2006年、小泉首相がアフリカ中近東諸国を訪問したさい、エチオピアにも立寄りました。お土産は学校建設。アジスアベバに上下水道建設の専門家を養成する学校です。地方出身の生徒に彼らの住む街や村の上下水道建設の技術を教えるため全寮制。首都アジスアベバですら下水道が完備されておらず、雨が降れば道路が生活排水で溢れ、歩くことすら出来なくなります。水道はアジスアベバですら完備していません。この新しい学校がこれらの状況の改善に少しでも役立ってくれればと願っています。
 また、ボレ国際空港に日本の援助でエチオピアではじめてのエスカレーターが設置されました(設置費用は日本持ちですが、エスカレーターは国際入札の結果ドイツ製)。もちろん、ホテルやビルなどにはエレベーターはあるのですが、階段が動くエスカレーターを見たことも使ったこともない人が多く、空港では恐る恐る利用をしたり、乗るタイミングが分からずエスカレーターの前で立ちすくんだりしている人達が沢山います。
 たまたま荷物を持ったままエスカレーターの前で立ちすくんでいるおばあさんの手を引いてエスカレーターに乗せてあげて上まで昇ったら、下から「私も助けてくれ」と次々に声をかけられ、かなりの回数、エスカレーターを上下しました。別にエスカレーターに乗るのを手伝っただけなんだから、チップはいりませんよ。一人が渡そうとしたら、他の人達も渡そうとしたのには参りました。

7.中華料理
 何人かの人達から、なぜエチオピア? 何をしているの? どうして退避勧告が出ているような国に入国できるの? という質問を頂きました。
 当然のことながら、ツアーではエチオピア国内の比較的安全な地域の観光は可能です。個人旅行ではアジスアベバと一部の地域の観光は可能ですが、国境に近い難民キャンプや戦闘地域への立ち入りは難しいというか、危険が大きすぎると思います。
 実は私、ボランティアチームに所属しており、難民キャンプや戦闘地域への立ち入りの際は軍人が同行しています。通常は4人一チームとなり活動します。全員がボランティアで、皆、休暇などを利用して世界各国から集まってきます。
 私が所属しているチームは私を含め3名がいつも同じメンバー。そのうちの1名は実戦経験のある軍医で我々のセキュリティ担当でもあります。残る1名が派遣される地域のエキスパートで毎回変ります。固定的なメンバーの内訳は、フィンランド人(軍医)、インド人、私。そして、今回のみ参加でスーダン生活3年目のエキスパートは中国人です。
 我々の今回の活動はエチオピアまでの救援物資の輸送と難民キャンプ間の通信の確保。活動日は早朝(午前4時頃)、国連やエチオピア国防軍の飛行機かヘリコプターで難民キャンプに行き、救援物資の配布(だいたい、いつもパニック状態になり、威嚇のために拳銃やマシンガンを空に向かって撃つことになります)、通信機器とそれに必要な発電設備の設置を行います。軍医はその間、我々の警備と難民の診療活動を行います。
 作業は原則として午後2時〜3時には終了。それ以降は暑すぎて屋外での作業が難しいので現地の現状調査などを行ない、夜には首都かベースに戻ります。資材輸送の関係で、現地で夜を明かすことはありません。資材そのものが1箇所につき数トン(救援物資を含む)ありますから、2〜3日分をまとめて輸送することが輸送力的に無理なのと、夜明かしをすると、場合によっては難民に次の難民キャンプ地用の救援物資を強奪されるリスクがあるためです。
 朝と昼ごはんは出来るだけ現地の人と同じものを食べます。夕食はレストランに行くこともありますが、今回は中国人の自称シェフがいるので、なぜかエチオピアで中華料理。
――シェフ「今晩はフレッシュな牛肉が手に入ったからビーフ料理だよ」
――私「ん? 牛肉なんて売っていたっけ?」
――シェフ「ほら、今日の作業場のそばで、鉄道に子牛が轢かれいてたじゃない」
――私「もしかして、難民の人達がナイフ持って線路の上で争って解体していた肉持ってきたの。あれ、ノラ牛でしょ。BSE や寄生虫は大丈夫?」
――シェフ「ドクターが問題ないって言うし、寄生虫などは影響がないよう、きちんと調理するから期待していて」
――私「あのドクターはなぁ、パレスチナ難民キャンプに行ったとき、大丈夫、問題ないと難民と一緒に生肉食べて、翌日から医者になる前に患者になった人だぞ」
 さて、夕食の時間です。テーブルの上には美味しそうな牛肉と野菜の炒め物が。「いただきま〜す」パクッ
――インド「み、み、み、水〜」
――医者「ちょっと今日は遠慮するわ」
――私「一つ聞きたい。口を開く度に炎が出るような気がするし、シャワーを浴びたわけでもないのに、全員が汗でびしょ濡れになっているのはなぜだ? 何入れた?」
――シェフ「肉はよく火を通したよ。更に寄生虫などを退治するために、インド人が持ってきたカレーパウダーと青唐辛子,赤唐辛子,鷹の爪も入れた。更に豆板醤少々と山椒。これだけ入れれば牛肉が原因で病気になることはないよ」
――私「全部一人で食え 」翌日の夕食はポークを使った焼きそば。
――私「ん? 豚肉なんて売っていたっけ?」
――シェフ「ほら、今日の作業場のそばで、現地の人が狩をしていたじゃない」
――私「採っていたのは豚じゃなくてイボイノシシだろ」
でも美味しく頂きました。
 まぁ、毎年こんな生活をしています。普通では入れない地域に行けるし、通常では味わえない緊張感があるからいいかなと。

8.現地職員(これはドイツからお送りしています)
 CNN のトップニュース。
日本の吉野家でアメリカ産牛肉を使った牛丼の販売が再開された。販売再開を待ち望む人が前日から徹夜をするほどなのになぜ日本政府はアメリカ産の牛肉を2年以上も輸入差し止めにしたのかというもの。トップニュースにして世界中に向け何回も放送する内容かぁ?
 それにしても、ニュースに映っていた、前の日から徹夜して、むさぼるように牛丼を食べていた人たち。根強い牛丼ファンがいるんですね。

 今回のエチオピア旅行記もこれが最後となります。
今回もエチオピアまでは Lufthansa でやって来ました。最初はフランクフルトからスーダンのカトゥームまで。カトゥームに飛行機が着き、お客様がまだ降りる前に、現地事務所にいるドイツ人職員がパイロットが持っている皮製の四角いフライトバッグを持って乗り込んできました。そして、通路のお客様を押しのけ、ギャレイ(機内の調理室)に突進。何事かと思ったら、機内であまりまだ解凍をしていない機内食を必死になってフライトバッグに詰め込んでいます。
思わずアテンダント(乗務員)に
――私「あの地上職員、何しているの?」
――乗務員「彼、スーダンの食事が全く口に合わないんだよ。そこで、ドイツからの飛行機が着くと機内食を持ち帰り、次の飛行機がドイツから来るまで、それで食い繋いでいるんだよ。機内食の残りは食中毒の予防と、貧しい国では売買の対象となるから飛行機が着いたら税関職員が乗り込んできて、確実に廃棄することに。だから、その前に食料を確保しておこうと必死なのさ」
 うむ〜、このような土地に赴任すると、普通では考えられない努力が必要なんだ。それでも Lufthansa だから週に2回はフライトがあるけど、そうでない会社などに勤めているドイツ人はスーダンの食事が口に合っているのだろうか?
 スーダン生活3年目の中国人は「三食自炊です。それ以外の食事は考えられません」と言っていたし……。

 エチオピアではある事情があって棺桶屋さんで棺桶を買うことに。棺桶に入れるのは行き倒れになった外国人旅行者。どうしてこんな所にノコノコ入って来て命を落とすかな。
 棺桶は日本と同じでに松竹梅のようにランクが分かれており、値段が高くなるほどデコレーションというか色が派手に。形は日本のものとは異なり、ドラキュラ伯爵が入っているような肩の部分が一番広く、脚に向かって細くなっているタイプ。取り敢えず一番安い、木製でデコレーションは一切ない、ふたの部分に十字架が書かれているシンプルなものを選びました。棺桶を買ったおまけにとハート型の直径1メートルほどの花輪を付けてくれました。こちらのお葬式にはハート型の花輪が並ぶのでしょうか???
 現地の人の話では、お葬式は別れの悲しい儀式ではなく、辛いこの世から、神の世界に行く楽しい儀式なので明るいハートの花輪とにぎやかな歌で送るのは当然でしょということでした。

ここから先は、読みたい人だけお読みください(ちょっと、グロいです)。
 さて、買った棺おけに遺体を入れようとしたら、入らない。亡くなってから結構時間がたっているのと、防腐処理や冷凍処理をしないで、そのまま常温に置いておかれたので体の大きさが……。押し込むわけにもいかず困っているとフィンランド人の軍医が「火葬にしちゃえ」このフィンランド人、たまに医者らしからぬことを言う。数年前、ほぼ同じ状態の遺体を火葬にしたら……。途中で、火葬現場にいたみんなが悲鳴を上げて逃げ出す状態になったことをすっかり忘れている。膨張したものを急激に暖めると大爆発。結局、棺桶に入れられる部分だけ入れ、当然のことながらふたは出来ず。そのままビニールを被せて移送しました。
 亡くなるのは自由ですが、あとの処理をする人のことも考えましょう。普通、こういう処理は、大使館の仕事だと思います!

 今回のエチオピア旅行記はこれでおしまいです。
日本ではほとんど知られていないエチオピアの理解に少しは役に立てたでしょうか。最後までお読み頂き、ありがとうございました。


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