JIA Bulletin 2006年12月号/海外リポート


誰でも知っているエチオピア、だけど
誰も知らないエチオピア
エチオピア訪問記(2006年9月)―第1回
若林 康夫 氏


本稿は若林氏が毎年夏に配信しているメール旅行記の転載です。若林氏はボランティアとして国際的に活躍されており、ここでは、日本ではほとんど知られていないエチオピアが、建築家とは異なった視点から語られています。本誌に掲載するにあたり、メールの体裁をほぼ踏襲いたしました。2回に分けて掲載いたします。(櫻田修三)


エチオピア連邦民主共和国ってどこにあるの?

1.明けましておめでとうございます
 明けましておめでとうございます。一体、いつこのメールを打っているのかって? 2006年9月12日。お正月の次の日です。頭でも殴られて日付の感覚がおかしくなったのかって? 大丈夫、正常です。この旅行記はアフリカ。エチオピアからお送りしています。
 エチオピアは公的文書などでは、日本などと同じく西暦を使ってはいますが、国内では広くユリウス暦が使われています。ユリウス暦の1年は13ヶ月。1ヵ月30日の月が12ヵ月。13ヵ月目は5日間(閏年は6日間)。このため毎年、西暦でみると新年がずれて今年の新年は9月11日。エチオピアはすっかり正月気分です。
 エチオピアの公用語はアムハラ語。それ以外でも部族ごとに独自の言語が使われており、その数は200以上とも言われています。英語も広く使われており、道路標識や看板などはアムハラ語と英語の併記。一般の人にも英語がかなり通じます。
 商店には「Happy New Year」と「アルカム アディス アメット」「ウンコワン アディス アメット アデラッソー」(耳で聞いたエチオピアの言語なのでいいかげんですが )などと様々な言葉で新年の挨拶が書かれています。
 エチオピアはイスラム教国と思っておられる方も多いようですが、原始キリスト教の流れを汲むコプト教系のエチオピア正教会のほうが半分以上を占めています。国内でも教会の数のほうがイスラム教のモスクの数を遥かに上回っています。
 日本人がイメージするエチオピア。
 ある程度の年配の方は東京オリンピックのマラソンで優勝したアベベ選手。コーヒーの好きな方はエチオピアコーヒーの代名詞でもあるモカコーヒーでしょうか。経済に詳しい方なら、世界最貧国であることを思い浮かべるかもしれません。
 確かに首都アジスアベバ(Addis Ababa:英語風に発音すると標記通りアジスアババとなり、アジスアベバと発音してもアメリカやドイツでは通じません)でも高いビルはほとんどなく、中層階のオフィスや役所のビルの横にはトタンや板で作られたバラックの住居が混在しています。
 貧富の差も激しく、ピカピカのベンツが走る道路の脇では栄養失調からか、力尽きた路上生活者が倒れています。この風景があまりにも普通で、倒れている路上生活者に声を掛ける人もありません。バス停などのベンチの下では誰かが捨てたボロ布のゴミかと思っていた塊がいきなりもそもそと動き出し、「あれ?もしかして人?」と驚くことも。
 おまけに今は雨季。朝と夕方、雨が降りますが、日中は強い日差し。ほとんど舗装がされておらず、排水施設も整っていない道路は雨が降ると泥の川。晴れると一気に乾いて砂埃で町が霞むほど。普通に生活をしているだけでも大変ですが、路上生活者はもっと大変。はっきり言って、ゴミだか人間だか……。
 さらに、エチオピアでは昨年まで3年以上続いた大旱魃。村々では雨乞いの儀式までして雨を待ち望んでいました。その願いが聞き入れられたのか、今年は待望の雨が。雨が。雨が。大旱魃でほとんど草木が枯れてしまった大地に、大雨が。今度は大洪水です。家屋や土地を失い難民となった人が数百万家族。死者はいまだに正確な数が分からないままです。医療設備もほとんど完備していないため、洪水前の平均寿命も短く、総人口6500万人に対し約26%が14歳以下。全人口の半数が34歳以下でしたが、洪水後はもっと平均寿命が下がっている可能性もあります。エチオピアに在住している外国人は「病気になったらすぐにエチオピア国外の医療施設に行け」。これが常識になっているそうです。
 さて、このようなエチオピアから、はたして電子メールを送ることが可能なのでしょうか。エチオピアでは、インターネットに繋がっている回線がわずか1回線。その1回線を国内でシェアしているのですからほとんど繋がらないという話も。もしかしたら、リアルタイム送信ではなく、あとからまとめてお送りすることになるかもしれません。

2.誇り高き人々
 人類の直接の祖先であるアウストラロピテクスの遺骨が発見されたのがエチオピア東部のハダル地方。この遺骨は「ルーシー」(右写真)と名付けられ、放射能測定で約380万年前のものとされています。さらにルーシーの発見場所から75キロほど離れた場所では約440万年前の類人猿の化石が。
 また、最近(去年だったかな)では約580万年前のサルと人間、両方の特徴を持つラミドゥス・カダバと呼ばれる化石も発見され、人類発祥の地はエチオピアではないかとされています。そういえば、類人猿の親子の足跡(人類最古の足跡)が発見されたのもエチオピアの大地溝帯でしたね。
 もう少し新しい歴史ではシバの女王が治めた国であり、聖書に出てくる「十戒」を刻んだ石版が収められた「契約の箱」(失われたアークの名前で有名ですね)があることでも有名です。「契約の箱」はエチオピア北部、アクスムにある聖メアリー教会にあるとされていますが、固い宗教戒律により科学者による鑑定などは行われていません。
 現代に目を移すと、エチオピアはアフリカで唯一、植民地になったことがありません。1933年〜1941年にかけ、イタリア軍がエチオピアの占領を試みましたが、イギリスに亡命したハイレ・セラシエ皇帝の政治的な手腕により占領による植民地化を免れました。そのせいか、エチオピアではいまだにイタリア人を嫌う人が多いようです。
 さらに複合民族国家であるエチオピア。特に首都のアジスアベバでは様々な民族衣装を着た人とすれ違います。
もっとも、普段は若い人はGパンにTシャツ。勤め人は男女ともスーツ姿です。民族服の人が多かったのは、エチオピアのお正月で、パーティーなどがあったためでしょう。
 エチオピア人は国民としての誇りも高く、また各民族の誇りも高いため、結構、気位の高い人達です。話し始めるとやっぱりアフリカらしく、人懐こく、優しい人が多いのですが、街中では目線が合ってもニコリともせず、そのまま睨み返すような、「お前は一体何者だ?」というような視線が返ってくることが多く、慣れるまでちょっと時間がかかります。
 また、どんなことでも自分の意見をはっきり述べる傾向があります。物乞いの人ですら、ただ「お金を恵んでください」と言うだけでなく、「私は胃腸の調子が悪く普通の食べ物をなかなか消化できない。このため消化のいい、それなりの食べ物を買う必要があるからお金を恵んでくれ」「私には赤ちゃんがいる。2日前に最後の乳を与えたがその後、満足な食事をしていないので母乳が出ない。赤ちゃんのためにもお金を恵んでくれ」等々。中には外国人を見ると「私の祖先がいなければお前たち人類は生まれてこなかったはずだ。だからお前たちは私や私の祖先に感謝してお金を恵む義務がある」という380万年前の歴史を振りかざして物乞いをしている人もいますが。
 確かに物乞いの人は多いですが、服を引っ張ったり、ずっと後をつけて来たりするようなことはありません。首や手を横に振り、施しをする意思がないことを伝えればすぐに離れて行きます。
 物乞いではありませんが、街中では生活が厳しい家庭の子供たちが家計を助けるため、学校が終わると靴磨きの少年に変ります。夕方近くになると、幹線道路の脇にはずらりと靴磨きの列が。それも、ただ靴を磨くだけではありません。雨季で道路がグチャグチャなので靴はすぐに泥だらけ。革靴ならまだしも、スニーカーなどはちょっと磨いただけでは綺麗になりません。そこで靴磨きの少年たちが使うのが洗剤とスポンジ。そう、靴磨きならぬ靴洗いをしてくれるのです。ただ、我々と違うのは、靴を洗ってもらうお客さん。少年が靴を洗っている間も靴をはいたまま。靴が綺麗になる頃には足も綺麗に……。靴を洗ってもらったお客さんはお金を払い、満足気に去って行きますが。あのー、靴も足もびしょ濡れで気持ち悪くないですか?
 足(脚)といえば、エチオピアの人の脚。
特に若い人の脚はどの人も陸上選手のように素晴らしい筋肉が付いています。お医者さんによると、公共交通機関があまり発達しておらず、小さい頃から歩く距離が半端ではないことや、舗装された道路がほとんどなく、あっても舗装されている部分が車道のみなので石ころだらけの道をヒョイヒョイと歩いているため。また、小さい頃から水汲みや家の手伝いで重い荷物などを持って歩いているためだそうです。
 ましてや、陸上選手が練習している様子を見ると、とても人間の脚とは思えません。筋肉もさることながら、バネの力が日本人とは全く違います。まるで加速装置が付いているようです。ただし、小さい頃から筋肉への負担が多いので、杖を使っている老人がやたらと多いことも確かです。
 街中でも杖を売っているお店を数多く見掛けますし、教会など老人の利用が多い施設では、必ず貸し出し用の杖が入り口に置いてあります。ここエチオピアでも高齢者対策は大変なようです。
 下の写真は首都アジスアベバで中心から1.5キロほど離れた所にある、ある私立大学周辺の様子です。中央にあるビルが大学ですが、その周りはスラムではなく、所謂、一般の住宅。きちんとした都市計画がないため、いきなりこのような住宅地の真ん中に高層建築を建てることが出来ます。
 また、建物は立派ですが周りのインフラ整備が追い付かず、大学へ続く道路は舗装どころか砂利すら撒かれておらず、雨が降ると緩やかな坂の上にある大学へ辿り着くまで大変なことになります。スラム街はトタン屋根すらなく、ビニルシートが屋根の代わりです。
 アジスアベバ中心部でも高い建物は12階前後のものしかなく、現在、シェラトンホテルが25階建ての新館建設に向け地盤調査を行っており、この新館が出来るとエチオピアで一番高い建物になると話題を呼んでいます。

3.あなたのために祈ります
 エチオピアの宗教はコプト教系エチオピア正教会(Ethiopian Orthodoxy Catholic)。旧約聖書を読み賛美歌を斉唱します。ただ、違うのは賛美歌。普段、我々が耳にする賛美歌とは全く異なり、エチオピア独自の、民族音楽に近いものです。
 ドラムを打ち鳴らし、聖歌隊が手に持っている杖を床に打ち鳴らしと非常ににぎやかなものです。ラジオで流れている賛美歌だけを聴いていると、とても賛美歌とは思えません。
 イスラム教とユダヤ教、キリスト教。元は一つの宗教から分かれたものですが、エチオピア正教会はその後、独自の進歩をしてきたようです。同じ原始キリスト教である純粋なコプト教徒などは日常の儀式にもイスラム教につながるものが多いのですが、エチオピア正教会は日本人から見るとキリスト教でもイスラム教でもない印象を受けます。
 人口の半数以上がエチオピア正教徒ですから、病院や孤児院、難民キャンプ(エチオピアは隣国、ソマリアと戦争状態にあり、戦闘地域では多数の難民が出ています。また、スーダンからは内戦を逃れた難民が数多く逃げ込んで来ています)など多くの社会的施設を教会が運営しています。
 その中で、私が個人的に違和感を覚えるのが救急車。
日本では救急車は消防署の管轄ですが、エチオピアではそれぞれの病院が運行しています。病気や怪我などをしたときは収容されたい病院に直接電話などで連絡し、その病院の救急車で迎えに来てもらいます。
 もちろん、急な病気や事故で収容されたい(収容したい)病院が決まっていない場合などは赤十字の救急車が出場し、最寄りの病院まで搬送します。
 さて、話を戻して、エチオピア正教会が運営する病院から出動する救急車。運転手,救急隊員以外に必ずシスターが同乗します。このシスター、現場に臨場したさい、すでに亡くなっていた場合にお祈りをするとか、救急隊員と一緒に救急救命活動を行うのではありません。
 その役割とは、病人や怪我人に「大丈夫ですよ。あなたには神がついています。私もあなたの病気(怪我)がよくなるよう、あなたのたに脇で祈ります」と勇気づけることです。宗教心が厚いエチオピアの人には、結構効果があるのかもしれません。
 さて、今度は患者さんが収容される病院に目を向けると。はっきり言ってエチオピアでは治療を受けたくないというのが正直な感想です。エチオピアの大学には医学部はないので、医師はヨーロッパや中東の大学の医学部を卒業しています。このため、知識的には問題がないようなのですが、病院の施設が ……。最高水準と言われる私立病院でも日本の診療所よりちょっと設備が多いかなという程度。脳や心臓など高度な医療を必要とする手術はブラックジャック先生を呼んで来ても無理でしょう。
 HIV/AIDS 感染者も多いので注射器などは日本と同じ使い捨てのものが使われていますが、地方に行くと冷蔵庫すらない病院が多く(電力供給が不安定なので冷蔵庫があっても機能しないこともあります)、医薬品そのものの品質管理も出来ていません。
 さらに、診療費や投薬代には多額の税金が課せられます。エチオピアはもともと日本でいう消費税の税率が高いのですが(15%)それにプラスして特別税が加算されます。税率は病名や診療内容によって異なっているそうです。医療関係者によると、事実上、医療制度の一般化を阻止しようとする政策のためということです。
 確かに、GNPが年間110ドル前後の国ですから、誰でも安心して医療が受けられるようになると、あっという間に国の財政が破綻しそうです。どうしてもお金がない病人や怪我人は赤十字や国連,教会が運営する無料の診療所に行くことになりますが、あまりにも患者が多く、きちんとした治療を受けられないのが現状です。
 ちなみに、お金持ちや外国人は入院が必要な事態になるとすぐにヨーロッパや、長時間搬送が無理な場合は、アフリカでは医療水準が高い隣国ケニアのナイロビの病院に向かいます。この患者の国際搬送。結構需要が高いようで、アジスアベバにあるボレ国際空港には患者輸送専用の設備を搭載した特別機がいつも数機、駐機しています。
 エチオピアには医学部はありませんが、大学はかなり沢山あります。国立大学は4つしかありませんが、私立大学の数は政府ですら数を把握できないほどあるそうです。
 首都のアジスアベバではちょっと歩くと大学。
中にはバラック作りの建物に「○○ College」と看板を掲げている大学も。実は、大学設立に関する認可基準がありません。このため、誰かが大学を作ろうと思い、生徒が集まりさえすれば明日からでも大学が設立できます。
 日本の小学校低学年にあたる初等科にはストリートチルドレン(結構沢山います)以外はほとんどの子供が通っているようですが、中等科以上に進学する子供はかなり少ないようです。
 そもそも国勢調査のように国民の数をきちんと把握するような調査が行われたことがないので、政府が発表する統計そのものが推計です。その推計によると、男子の場合は中等科にまでの進学率はかなり高いようですが、女子は中等科まで進学する子供は50%程度だといわれています。首都アジスアベバは大卒(どんな大学かは聞かないように)の人が溢れていますが、地方に行くと高等科(日本の中学)を卒業すれば立派な高学歴者です。
 ただ、英語に関しては日本の負け。
初等科からほとんどの授業が英語で行われるため、小さな子供でも比較的きちんとした英語を話します。複合民族国家であるエチオピア。英語が共通言語ですから当然かもしれません。

[→次号に続く]


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