都市デザインの話
「子どもプロジェクト」から 「われらプロジェクト」へ
        第四のクライアントとアンビルドの建築家


有限会社 人イエまち ネットワーク  山田 清


 2000年1月号のこの欄で,「おぎくぼ塾のこと」と題して私が関わるまちづくり的なことの紹介をした。そこで挙げた事例の「善福寺川がつなぐ〜人・水・いのち/子どもプロジェクト(以下子どもPJ)」のその後をご報告したい。
 まず,「子どもPJ」を簡単に振り返ってみる。97年に東京都により「循環型社会に向けた学習プロジェクト」の一つとして水の循環という観点から善福寺川が取り上げられ,まちづくり面での推進役としておぎくぼ塾主宰者の私に相談があった。私は,子どもを社会の構成員として位置付けることを狙いに,流域の小学校の授業に組み込む「子どもPJ」の提案をした。教育委員会を通した呼びかけに四つの小学校が呼応した。というのが99年末に原稿を書いたときまでの状況である。
 そのとき次のことを書いた。この事業の取り組み直後に予算がカットされ事業主体がなくなった。「善福寺川がつなぐ」はテーマとして様々な展開が期待できる。流域に関わるものにあらゆる予算をパッチワーク的に組み入れ、継続的な事業としたい,と。
 2000年明けに各校にヒアリングに行き,個別の対応をした。それは年度途中の取り組みである上,地域との連携の授業が相互に未体験なことに加え実行委員の間にも十分な検討がなされないままの,手探りで走りながら考える状態の進行だった。
それぞれ対象とした学年や実行内容,スタッフの顔ぶれなどが異なったものの,幸いにも好評のうちに99年度を終えた。また,次年度以降の取り組み希望のメッセージを各校長から頂戴した。おかげで複数のメディアから取材を受け,総合的学習に関する書物にも事例として紹介されることになった。しかし,新年度に入ってすぐに継続できたわけではなかった。学校の要望に応えるための予算がどこにもなかったからである。
 しかし年度の途中からだが,厚生省関連の助成事業の「地域調べ事業」で2000年度から3カ年計画の総合的学習に関する試みにつながった。これは青少年の健全育成という枠組みで,「子ども自身を知り……」という長い正式名を「われらプロジェクト(通称われP)」として取り組んでいるものである。また,2001年度には建設省関連の助成事業に取り組む予定で校長との協議をしている。これは防災まちづくりという観点からである。どちらもわずかではあるが講師謝金という形で人件費の捻出ができ,予算面で取り組むことが可能となった。そして一年前に提唱したパッチワークが実現した。
 このような取り組みに関わる専門職能が無報酬であることに私は反対である。適正な対価が支払われるべきと考える。しかし残念ながらわが国にはその仕組みや慣習もない。このことが建築家がまちづくりに関わるときに,ともすればハードづくりへの関与に傾斜していくことと無縁ではない。ハードウエアの整備に直結しない部分でもフィーを得られるように,新たな職能の開発に建築家が視野を広げるべきではないかと実感している。
 「第四のクライアントとアンビルドの建築家」。言い始めて20年が経つ。


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