都市デザインの話
新東京スタイルの予感  「時間」の視覚化


(有)岡田裕庸・建築設計工房主宰  岡田裕庸


 日本の街並みがつまらなく思われる理由のひとつに,時間をかけて地域社会の中で育まれてきたはずの様々な要素がほんの少ししか残っていないため,地域の歴史が視覚的に感知されにくいということがあると考えている。見慣れた街角が経済の流れのままにどんどん変化してしまうことが,都市の記憶を薄れさせ,地域の個性をすり減らしているのである。保存の問題として建築の歴史的価値や文化的価値が話題になることが多いが,今やすべての建物はそのような立派な価値はなくても,街並みに流れる時間の連続性という意味では何らかの価値を持っていると考えるべきであろう。単なる歴史主義ととらえられては困るのだが,個々の建物を計画するうえでは上手に縁を切って設計したくなるような意匠上価値の低い隣接建物からも,うまく「時間」を引き出して視覚化させる工夫が,これまで以上に求められていると強く感じている。


変貌する住宅地

 やや古めの住宅地図を頼りにある住宅地を散歩する機会があった。古いといっても10年程度前のもので,道の案内には充分に役立つ。しかし街角の銀行名が記載されているものとは変わっていたり,お屋敷風の敷地が分割されて建売り物件が連続している所が随分とあった。驚かされたのは敷地や建物はそのままなのに,表札から判断して居住者がまったく関係のない他人に代わっている住宅の多さである。ある区画では半分近くにまで達しているように感じられた。所有者ではなく単に借家人が代わっただけなのかもしれないが,はからずも建物や入口の入れ替わりの激しさを実感させられた。おそらく住まい方も住宅地の内側から変化しつつあるはずである。近年キャリア女性向けの雑誌や男性誌等に掲載されるインテリアや建築の取材傾向からは,巷に溢れている陳腐化した間取りに対し,より多様なライフスタイルに対応できる内部空間が大衆的レベルで求められているように感じられてならない。

上手な暮らしの風景

 街を歩いていると雑然とした街並みのなかに,時々上手に暮らしているなと思わせる一角を発見することがある。狭い路地での宴会風景とか,隣家とのちょっとした隙間を利用したテラスとベンチとの関係を見かけた時などである。私有財産として分割され尽くした土地利用に対し,近隣関係を誘発しそうな空間を見つけたときにそのように感じるのかもしれない。落語の登場人物たちは,このような半公共的な空間利用がかつて文化として根付いていたことを今に伝えてくれている。

 元来街並みは,その風土や建築技術に密接に関わりながら,地域の中で時間をかけて醸成された文化的な存在であったはずである。私には子供の頃から雑多な表情と感じ続けられていた日本の街並みも1970年代前半ぐらいまではそんな残滓があったように今では思う。

 現在の街並みは,産業社会から生み出される商品で覆い尽くされた「文明的な存在」に変質してしまい,とても制御することなど不可能のように見える。しかし先に述べた上手な暮らしの風景は,生活と地域の文脈を読み込んだ丁寧な建築設計こそがきわめて「文明的」になってしまった街並みに対して有効であることを教えてくれているように思う。これまでのどちらかといえば大味なものに成りがちであった地区計画だけではなく,小さな単位に分節された肌目細かな横丁計画といえるようなものが,街並みにたいして新しい切り口となるのではないだろうか。

新東京スタイルの予感

 「時間の視覚化」「多様な生活に対応する内部」「近隣関係を誘発する外部」等の事柄は,単に建築の基本について判りきったことを言っているにすぎないのかもしれない。しかし現代日本の生活の変化と街並みを構成する建築の現状との落差を眺めるにつけ,かつて町屋の文化が生まれてきた時のように新東京スタイルとして新しい建築の可能性が潜在的に高まっているように感じているこの頃である。


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