都市デザインの話
面白くなければ街ではない


(株)アーバン・ハウス都市建築研究所 主宰  倉田直道


 地方都市の顔である駅前商店街を中心とする古くからの中心市街地の衰退と,郊外の幹線道路沿いにおける大規模量販店など大量なロードサイド・ビジネスの集積化という二つの現象は,急激な自動車社会の進展に象徴される生活者の価値観やそれに基づく生活行動の変化に起因し,相互に深く係わりのあるものであり,我が国の地方都市に共通する構造的な都市計画やまちづくりの課題が現われたものといってよい。

 この現象をモノの交換すなわち売買という点からみると分かり易い。伝統的な店舗ではモノの交換に常に人が介在していた。すなわち,モノの交換を通して売り手と買い手の間にコミュニケーションが発生していた。別な見方をすれば,モノあるいは売買という行為(コト)が人間と人間の関係をとりもっていたのであり,モノの交換と人と人のコミュニケーションという二つの意味がそこに存在していたのである。

これに対して,コンビニや郊外の大規模量販店は,効率的なモノの交換(商品の売買)によってのみ成り立っている。そこでは商品の量と価格,そして標準化された質が最優先される価値であり,それを実現するための効率化がとことん追求されることになる。売買という手続きだけが意味をもつのである。すなわち,現在多くの都市生活者にとって,モノを買うことと人と人のコミュニケーションが独立した行為となり,生活行為が分節化されてきているといってよい。

 地方の都心は遊びの場ではなくなってしまった。そしてそこに生活する人々も,街で遊ぶことを忘れてしまった。少なくとも自由にできる時間が増えたにもかかわらず,遊ぶという点では不自由になってしまった。カラオケ,パチンコ,ゲームセンター,車,ショッピングセンターなど,一見遊ぶモノは溢れているが,これらは何れもあらかじめ用意されたお仕着せの遊びである。遊びの真髄は発見や工夫することの楽しみであり,本来創造的
なことである。遊びこそが街の文化の源である。工夫する楽しみや発見,そして人との出会いのなくなった街の空間はもはや遊びの場ではない。

かつての都心では街のすべてが遊びの対象であった。食事をして人と語らうこと,表通りから裏通りへそして裏通りから脇の路地へと心の赴くままに街を散策すること,市場や商店の店先を覗いたり冷やかしたり,人々が行き交うのを眺めることなど,そうした日常の行動のすべてが,ちょっとした工夫をすることで新鮮な体験になったものである。単純なことだが,面白くなければ人は街を訪れない。今,楽しく遊びたくなるような街が必要なのである。そして街が地方文化の孵化器であるなら,まず多様な遊びの場や仕掛けを準備しなければならない。ここで言う遊びの場や仕掛けとは,必ずしも遊興施設を指すのではない。

古今東西,街を楽しむことの基本は,街を歩くことから始まる。歩くことで人と出会い,発見があり,賑わいやコミュニケーションも生まれる。中心市街地の活性化とは,街をコミュニケーションの場として復興することである。街を歩くことの楽しさを再評価し,街をもう一度歩行者の手に取り戻すことから遊びの場,コミュニケーションの場としての街の再興が始まる。遊動空間としての街路空間の復権は,衰退する中心市街地の再生には不可欠である。街路空間をカタリスト(触媒)として,街のコミュニケーションは活性化される。

伝統的な街路空間の再評価は,単なる古き良き時代へのノスタルジーといったものではなく,自動車社会の進行とパラレルに進められてきた近代都市づくりを教訓とするまちづくりの実践である。

空洞化した地方都市の中心市街地 遊動空間としての街路空間
(東京・自由が丘)

 

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