都市デザインの話
経験のデザイン


(株)加藤宏之建築設計室 主宰 国立音楽大学デザイン学科講師  加藤宏之


ケントステイト大学事件追悼コンペ

Bunkamuraミュージアムでの写真展・ピュリツアー賞を見ました。戦争・テロ・事件・事故、カメラに切り取られた20世紀は悲劇のオンパレードのようです。展示されていたケントステイト大学の写真が興味深いデザインコンペを思い出させてくれました。ヴェトナム派兵に反対した学生たちは図書館が望めるキャンパスの丘に州兵によって追いつめられ、4人の学生が銃弾によって死亡しました。

1970年ケントステイト大学は死亡した学生の追悼モニュメントのコンペを実施しました。当選案は4人が死んだキャンパスの丘に至る4本の小道です。大理石の彫刻や構築されたモニュメントではありません。4本の小道は事件を抽象化して「かたち」として表すという手法ではなく、モニュメントの体現者に過去の出来事を方法的に「経験してもらう装置」としてデザインされたのです。樹林の中の4本の小道は銃火を避けるために逃げまどった学生たちの乱れた足跡を辿っており、最後に見たであろう青空が広がる小さな三角形の広場まで続いています。そしてデザイナーは「どうだい、銃声が聞こえるかい」と私たちに呼びかけているのです。
参考文献:都市環境デザイン/学芸出版

タイムランドスケープ

ニューヨーク・マンハッタン高層建築群の一角に12m*70m四方のナラの林があります。アラン・ゾンフィスト作「タイム・ランドスケープ=時の風景」です。ゾンフィストは空き地にナラを移植することで空間を作品化したのですが、林が作品だと言うのはどういうことでしょうか。これは「時間の仕掛け」です。樹齢数百年の樹木を植えるのではなく、若木がそよぐ昔のまんまの風景を作り出すことによって、体現者に200年前のマンハッタンを経験させたのです。ここでもまた彫刻という視覚装置ではなく、林の中の風や小鳥の声、かいま見られる青空によって過去の出来事を「経験してもらう装置」としてデザインされています。
参考文献:平安京 音の宇宙/平凡社

音のデザイン

印刷術を発明した15世紀以降ヨーロッパ社会は視覚文化の時代です。そして視覚時代の究極の記憶装置がカメラです。カメラが切り取った20世紀が悲劇のオンパレードであるという写真展・ピュリツアー賞が示す事実は、ヨーロッパの神々はなんと皮肉な方々なのだろうと思わざるを得ません。皮肉な神々に見切りをつけ、反視覚文化を模索してきたのが未来派以降の音のデザイナーたちです。騒音を出すことを音楽だと宣い、ピアノを前に座っているだけ、ひどい時にはピアノそのものを破壊することこそ音楽だという彼らの活動は常人には決して理解できるものではありません。しかしそういうデザイナーたちの仕事が視覚だけでは決して捉えることが出来ない人間の持つリアリティを再登場させてくれました。そういう彼らの活動が都市や自然環境が持つ経験的側面を明確に浮かび上がらせてくれたのです。

どの時代もデザインを支える基盤は想像力です。テーマパーク化していく都市、商品化していく建築、想像力の衰退したデザイン時代はかえってデザインを矮小化してしまいました。もっとも想像力の衰退は視覚中心の分野だけではありません。反視覚主義を主張されるのは結構なのですが、環境に音を仕込みさえすれば音のデザインとおっしゃる人々には大変困ります。私たちは目をつぶることは可能ですが、耳をつぶることはできないからです。

 

<< BACK >>



Copyright (C) JIA Kanto-Koshinetsu Chapter Urban Design Committee. All Right Reserved.