都市デザインの話
住まうためのまちづくり


日建ハウジングシステム技術部長  渋田一彦


司馬遼太郎の随想集「風塵抄」の冒頭に、都市の色使いについて苦言を呈した一遍がある。街道やまちなみ、そこでの人々の生活に深い関心を持つ筆者であるが、建物の色ではなく、”都市色彩”という表現をしているところが興味深い。

昨年の都市デザインセミナーで、五十嵐敬喜法政大学教授は、3大職能についてこう述べられた。医師は人の健康を守り、弁護士は人の権利や経済を守る。建築家は都市の美を守るはずが、実は破壊している。

まちなみの中でその建築がどう見えるかを考え、周囲に調和するよう設計することは、すべての建築家が心がけていることであろうが、私は都市デザイン部会の活動の中で、いっそうその感を深めている。都市景観に対する批判がある一方で、相変わらず自己本位の建物が造られ続けていくのには、都市景観やまちづくりに対する人々の関心が、建築主を含めて低いことが根底にあるのだろう。よくやり玉にあがるマンションであるが、見識あるデベロッパーは、周囲の環境や、オーナーに引き渡した後の維持管理にも気を使う。自己の責任において生み出した都市資産の評価が、結局はそのデベロッパーについて回るということに気がついているからである。これから、住宅供給戸数が減少し、数多いデベロッパー間の生き残り競争の中で、真に評価の高いマンションが生まれてくる可能性が高い。

ガイドラインに添ってまちづくりが行われている幕張新都心住宅地区では、その特徴である中庭を利用した催しが住民主体で行われるなど、居住者のこの町への愛着と誇りが感じられ、マンションの新しい住み方が予感される。その中で幕張中央公園に近い街区の設計を担当した。都市環境研究所の土田旭さんがブロックアーキテクト、都市デザイン部会長の南條洋雄さん、SKMの柴田知彦さん、私の3人が建築を担当し、ランドスケープに上山良子さん、照明に近田玲子さん、色彩計画に吉田慎吾さんを迎えた密度の高いコーラボレーションの成果は、コストを含む様々の障害を乗り越え、2000年夏に出現予定。

利根川上流の吾妻川をせき止める、治水利水目的の八ッ場ダムは、川原湯温泉街を含む5つの集落を水面下に飲み込む。ダム建設は戦後間もない時期に立案されたが、長い係争の時を経てようやく着工に向けた準備が始まった。道路や線路、橋の付け替え、沈む集落の移転先の計画などである。一昨年来、私は、ダム本体に取りかかる前段の整備事業の一環である、長野原地区のモデルまちなみづくりに取り組む機会を得た。道路計画や大まかな宅地割り計画はすでに終わっており、我々の仕事は、新しいまちをどうやって造っていくか、実際に数軒のモデル住宅と、インフォメーションセンター(八ッ場ダムに関する情報や、まちづくり、住宅造りの様々な資料を展示する予定)を造って示すことにあった。延藤安弘千葉大学教授を地元での講演会にお呼びして、「住まい手自身で地域の宝を探しだし、それをテーマにしたまちづくりをしよう」といった話をお聞きし、またその夜、川原湯温泉に浸りながら語り合った。この地域の伝統的な民家は、せがい造りまたは出桁造りと呼ばれる。モデル住宅はこれをモチーフとしたが、内部はもちろん現代的な生活に対応できるプランになっている。3月に竣工し、6月にはインフォメーションセンターに展示品を納めて公開される予定だ。地域の人々の心に響くものになることを期待するばかりである。(せがい造りは、切り妻平入りで、2階を出桁で持ち送って載せ、棟には気抜き櫓があがる。写真の関氏邸は上流六合村の赤岩という集落にある、珍しい3階建てせがい造り。)



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