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JIA Bulletin 2016年9月号/覗いてみました他人の流儀

池田 修氏に聞く
アーティストが街に1人住めば…

池田 修

池田 修氏


歴史的建造物や産業遺構などを文化芸術に活用し、都心部再生の起点にしていこうという、横浜市が推進するクリエイティブシティプロジェクトのひとつ、BankART1929。旧日本郵船倉庫を改修したBankART Studio NYKを拠点に、現代美術の作家を育て、クリエイティブシティ実現に向けてさまざまな活動を行う池田修さんにお話をおうかがいしました。(聞き手:Bulletin編集委員)


―BankART1929の名前の由来を教えてください。
 Bank+ARTです。最初に活動の拠点としていた旧第一銀行、 旧富士銀行のふたつの銀行だった建物を文化芸術活動の場にという意味を込めた造語です。1929年はこのふたつの建物がともに竣工された年であり、世界恐慌の中、ニューヨーク近代美術館が設立された年でもあります。現在は紆余曲折あり、元港湾倉庫の建物を運営しています。

 

―どうして横浜で活動することを選んだのですか。
 僕が選んだというより、選ばれたと思っています。じつは名古屋の港湾地区に大きな倉庫が残っていて、そこを将来的にアートスペースとして、どのように運営できるか案を作っていたのですが、実現には至りませんでした。たまたま同時期の2003年末にこの場所をどう活用するか、横浜市の運営者公募コンペがあり、名古屋で考えていたことをベースにした案が通り、2004年3月に事業がスタートしました。

 

―BankART1929の活動を教えてください。
 横浜市はクリエイティブシティの実現に向けて、4つのプロジェクト(ナショナルアートパーク構想・創造界隈の形成・映像文化都市・横浜トリエンナーレ)を推進していましたが、この中で、「創造界隈の形成」が私達に与えられた最も大きな使命だと捉えています。
 具体的には、カフェ&パブ、ショップ、スクールなどのベースになる事業を重要視しながら、 展示等の主催およびコーディネート事業で年間約350本に及ぶ事業運営を行っています。
 横浜の都市の歴史や経験を引き継いで、歴史的建造物や港湾都市的なロケーションを生かしながら活動を行ってきました。この場所を文化芸術を発信する場にするとともに、街と協働し、食に代表される生活文化、都市、祭り等の多様なジャンルの人々と交わり、市民や専門家、国内外からの提案を幅広く受け入れ、この施設を開かれたものにしてきました。

 

BankART Studio NYKで行われた「Expand BankART 川俣正展」(2013年)

 

―最近BankARTでは韓国を多く取り上げています。
 BankARTはアジアから見ると、アートについて経済も含めてきちんとやろうとしている実験事業なので、国内外の行政視察は年間200を越え、海外からの視察も非常に多くあります。
 その中で特に韓国は芸術部門に力を入れていて、全国各都市から視察に来ていたのです。それに対して何かできないかと思っていたところ、たまたま朝鮮通信使のことを知り、まず2010年に日朝関係の歴史家である仲尾宏さんにBankART Schoolで8回授業をお願いし、さらにBankARTの日韓の都市や施設のネットワークとリンクさせて「続・朝鮮通信使」を実施しました。日本?韓国間を何度も行き来する中で、日本の都市同士さらに韓国の都市が繋がり、だんだん膨らんできました。
 台北についても台北と横浜の作家を3か月ずつ滞在して制作するという交換レジデンスプログラムが12年続いています。そうした活動の中で、歴史的に横浜と台湾との深い繋がりを知ることができ、その大きな流れの中で現在活動していることを感じています。

 

―ひとつ突き詰めると、広がりますね。
 「ひとつ突き詰める」ことは僕たちのキーワードです。もともとのBankARTの活動テーマに「国内外のネットワークの構築」がありますが、国内外=世界中となるとあまりに広すぎます。だからまずは、「続・朝鮮通信使」で韓国と国内と地方都市とのネットワークの構築、都市としては台北、欧州ではベルリンだけに絞りました。何かひとつを突破した方が、結果的にそこを起点に全体性をもつことができるので、そのようなやり方をしています。

 

―多くの人に現代美術に興味をもってほしいですか。
 それはないです。「ひとりでも多くの人に」という考え方には時間軸が入っていませんね。千年や1万年という時間軸に耐えられないものは美術とは言えません。もちろん人が入らなくてもいいとは思いませんが、人数が来て成功だというあり方に僕はまったく興味がありません。その時に受けたとしても残るものはほとんどないことを歴史が証明しています。いま受けなくても、自分たちがいいと思ったものはやらなくてはならない。BankARTはそういうチームです。
 ただ、自らの企画も強く打ち出しますが、市民やアーティストなどのオファーを可能な限り受け入れ、コーディネートすることに最大の力点を置いてきていることも事実です。

 

―横浜には至る所にアートがあり活性化しています。
 前市長の中田宏さんの当時参与だった元横浜市都市デザイン室長北沢猛さんが大きく推進したことは確かです。
 北沢さんは、都市から切り離したアートではなく、街の建物、歴史、交通や人のとの関係のなかでアートの役割をとらえようとしていたかと思います。彼はアートのもつテンポラリーだけどインパクトのある瞬発力と都市の継続的な開発がリンクできると歴史的に理解していて、それを横浜で実践したかったのだと思います。だから横浜のまちづくりの試金石となるプログラムとしてトリエンナーレや創造都市を位置づけました。ところが現在は、残念ながら狭い解釈のアートプログラムになり始めています。

 

「続・朝鮮通信使」横浜パレード(2014年)

 

―現在日本の都市に足りないものは何でしょうか。
 現代美術のアーカイブはこの30年分ありません。現代美術の展覧会数は確かに増えてはいますが、常に接することができるパーマネントコレクションになってはじめて本物ではないでしょうか。
 海外では、大きな倉庫などをリノベーション(転用)してアートスペースにしている施設が多いです。日本でもそれをやらなければならない時期に入っていて、そこで手を挙げるべきなのが横浜市だと思います。トリエンナーレ、倉庫群、土地が安くて広い……それに海運の面もあります。自分がBankARTを運営するとともに新しいものにトライする重い腰をどうやったら上げられるか。そちらに力を入れないといけないと思っています。


―建築家に向けてメッセージはありますか。
 アートは、時代を先取っているというか常に予感を示してきました。そこを見ていてほしいです。単純に計画やデザインの参考として見るのか、それともリスペクトすべき存在として見るのか、それでアートに対する接し方が変わってきますし、空間の性質や街全体の見え方が変わってくると思います。
 日常や建築の計画や経済構造の中で滑り落ちていくさまざまな「とらえがたい」ものを、アートは常にテーマにし、格闘し続けています。アートを腫れ物、わからないもの、変人だとして遠ざけるのではなく、アーティストが表現している世界に正面からつきあってもらえるといいなと思います。

 

インタビュー:平成28年7月7日 BankART Studio NYK
聞き手:浦 絵美・八田雅章・長澤 徹

 

 

 

池田 修(いけだ おさむ)プロフィール

BankART1929代表・PHスタジオ代表

1957年大阪生まれ。Bゼミスクール卒業後、都市に棲むことをテーマに美術と建築を横断するチームPHスタジオを発足。展覧会や美術プロジェクト、建築設計等、多岐にわたる活動を行っている。代表作は広島のダム湖に沈む町でのプロジェクト「船、山にのぼる」。また、代官山ヒルサイドギャラリーディレクター(1986〜1991)等、コーディネーターとしての実践も長い。1994年から名古屋芸術大学(院)非常勤講師の他、他大学、他都市での講演も多い。2004年からBankARTの立ち上げと企画運営に携わり、今日に至る。編著にはBankARTの数多くの刊行物の編集を手がける他、「PHスタジオ1984-2002」等がある。2009年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2011年度、横浜文化賞文化・芸術奨励賞、2013年度、国際交流基金「地球市民賞」を受賞。

 

 

 

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