建築家子供の頃インタビュー

いま活躍している建築家の皆さんはどんな子供時代を過ごしていたのでしょう?皆さんに聞いてみました。

005

矢板久明・矢板直子やいた ひさあき・やいた なおこ

矢板 久明・直子

PATIOという作品で、 2013年度の建築家協会新人賞 を受賞されました。ご夫妻で建築事務所を共同主宰されています。美術館を主に手がける設計事務所、住空間を多く手がける設計事務所、からそれぞれ独立されたお二人の個性が融合し佇まいの美しい建築をつくられています。

建築家のホームページ

作品紹介

PATIO-01 PATIO-02
PATIO-01

Photo:新建築社写真部

PATIO-02

Photo:小川 重雄

インタビュー

Q.生まれ育った地域や環境をご紹介ください。
久明:
父の転勤先である鹿児島で生まれましたが、父に連れられ各地を転々としました。
それぞれの引っ越し先での異なる景色と新たな体験が強く記憶に残っています。
直子:
偶然二人とも同じ出生地ですが、私は生粋の鹿児島生まれです。
3才まで鹿児島にいましたが、その後、父の転勤で全国色々な街に住みました。
数多くの街や、家を経験できたことが、今となっては大きな財産となりました。
Q.子供の頃好きだった遊びは何ですか?
久明:
小学校2年の夏休みに一月ほど病気をした時、マッチで家を作りました。 校倉造りの様にマッチを組み上げ、庭の花までマッチで作りました。楽しくて夜寝るのが惜しく、翌朝また作ることを、ワクワクしながら楽しみに寝たことを記憶しています。
家造りの楽しさをこの時に知ったのかも知れません。
直子:
兄と弟の3人兄弟でしたので、男の子と一緒に体を動かす事が大好きなおてんばでした。又、小さい頃から絵を描く事も好きでした。
いつも印象に残った出来事を、話しながら、楽しく絵を描いていました。
Q.子供の頃や学生の頃に好きだった場所や、印象に残っている建物、
空間はありますか?
久明:
マッチで家を作った頃の八戸の家は、父が海上自衛隊にいましたので、返還された米軍の建物をそのまま引き継いだ官舎でした。芝生の中に住宅が点々と建つ日本離れしたところで、春には芝焼きをし、秋には白い家の壁が真っ黒になるくらい、壁一面に赤とんぼがとまった光景が目に焼き付いています。四季折々の変化が本当に印象的なところでした。
ある冬の夜、「こんばんは」との声に目を覚ますと、辺りはシーンと静まりかえり、いつもと違う静けさでした。窓を開けると、真っ白な一面の銀世界の中、腰まで積もった雪の上でスキーを履いた隣の女の子が覗きこんでいました。
私の原風景といえるものですが、まるで、おとぎ話のように思い出されます。
直子:
2〜3年毎に転勤で引っ越すものですから、色々な家に住むことができました。
家毎に住み心地が違い、生活まで変わるので、家がそこに住む人に与える影響の大きさを、身を持って体験しました。
新しい引っ越し先のプランを見て、どんな家かを想像するのがとっても楽しみでした。
Q.建築家を知った時期、建築家を志したのはいつ頃でしょうか?
  またどのようなきっかけですか?
久明:
中学3年の時、実家を改修した際、建築家による設計図を初めてみました。自分たちが住むことになる夢の家が描かれていて、その図面は香しいほどに素晴らしく見えました。
その時、そうだ、これだ!私も建築家になろうと思いました。
直子:
住宅に興味があったので日本女子大学の住居学科に入りましたが、大学に入ってから勉強するうちに建築の本当の素晴らしさを知り、建築家になりたいと思いました。
小川信子先生や林雅子先生、山田初江先生のように、活躍する女性の建築家が見近なお手本として、いらして下さった事は大きな影響でした。
私が就職した頃は、まだ、女性に十分な活躍の場が用意されている状況ではありませんでしたが、何とかここまで来られたのは、やはり建築に対する可能性と、奥深さに魅了されたからだと思います。
Q.子供たちへのメッセージ
久明:
建築家は人々の夢を具体的なものとして描き、未来を創出する素晴らしい職業です。
夢を描くことで、人の役に立つことの出来る仕事です。私は、建築の素晴らしさを伝え、建物を造る喜びを教えてくれた先人の優れた仕事にいつも驚嘆しています。
まずは、先人の遺した素晴らしい建築を体験してみて下さい。そこに感動を覚えたならば、あなたはもう既に建築家になる道を歩み始めているかもしれません。
直子:
人々を幸せにする建物を造ることが、建築家の大きな役割です。そこで人々が生き生きと暮すことに貢献できることが、建築家としての喜びです。大きな責任も伴いますが、喜んでくれるお施主さんの顔を見た時が一番うれしい瞬間です。とてもやりがいのある仕事だと誇りに思っています。

ページトップへ