JIA Bulletin 2003年06月号/海外リポート


モンゴル国の建築視察



ウランバートル市からアマル・バヤスガラント寺院まで

田中 暎郎

2002年9月初旬,当会員の吉田晃氏,庫川尚益氏などとモンゴル国に向かった。吉田氏,庫川氏などはモンゴル国の建築視察の目的でだったが(本誌2002年12月号「モンゴルの健康住宅はゲル」参照),筆者の目的は以下の3点で,書籍出版のためであった。
1. 中国内モンゴル自治区の調査,東南アジア諸国の視察のため6年の空白期間が生まれたモンゴル国の再調査
2. 未調査のウランバートル市以北の主要都市調査
3. 首都ウランバートル市の再調査

写真2―青年技術宮殿(現在大学と高校に使用変更,ウランバートル)
写真1―
ウランバートル銀行本店(ウランバートル)
写真3―庶民の共同住宅(ウランバートル)

第1日目,5日目,6日目 ウランバートル市内の再調査
 街並全体はほとんど変化は見えないが,7年前に竣工したポストモダンのチンギス・ハーン・ホテルの影響か,ミラーガラス・カーテンウォールの高層ビル(写真1)が目立つ。
 市街は新しいピル,特に銀行ビルが増えた。国立デパートがファサードを変え,映画館が改築中で,青年技術宮殿(写真2)が大学と高校に使用変更されていた。
 市内の交通は車が格段にふえ,冬季のスモッグは改善される見通しはないという。この時期マンホール・チルドレンは見かけなかったが,経済が停滞しなかなか明るさが見えないとの話である。

上:写真4―:ゲルと小屋 下:ゲルと小屋の平面図,立面図,および配置図

第2日目 ウランバートル北北西210kmのダルハン市に向かう
 同市はウランバートル市と同時期に都市計画が策定された。大草原の中,シベリヤ鉄道の支線でスフバートルとウランバートルの中間駅を設定し,ここを中心とする工業都市を目指した。そして現在人口8万で,この国第一の工業都市に発展した。市は新旧の工業地域に分かれ,おのおの勤務労働者の住居地域をもっている。
 市庁舎,市民センターなどはほぼ中央に位置し,旧住居地域は5〜8階建てロシア様式のRC造(写真3),新住居地域はやや郊外にあり,10〜15階建ての東欧様式の大団地(写真5)で,博物館などの文化施設も近接して設けられている。
 街中の商業建築はロシア,中国,東欧の混合様式が多く評価は高くないようだ。しかし,全体に緑地が多く,街路樹が美しく清潔な街という印象が残った。
 この日,途中で2箇所の遊牧民ゲルに立ちより,聞き取り調査を実施した。調査の中でゲル(写真4)の事情に詳しい遊牧民の話では,東北部およびブリヤート・モンゴル共和国ではゲルが比較的小さく,荷物を屋外に置くが,西方およびカザフ共和国では,ゲルが大きく,荷物をゲル内に収納することが多いという。また,最近は遊牧専用の小型ゲルで遊牧し,本拠は教育施設のある都市近郊に置く場合が多い。
 以下に聞き取り調査の一例を報告する。

ゲルの聞き取り調査
所在地   : セレンゲ県,バロンブルン チョロフンデイ
戸主    : ダンブ
家族構成  : 夫婦・子供3人
家畜    : 羊・山羊240頭,馬60頭,牛50頭
ゲルの大きさ: 直径5.70m 床面積25.50m2 5ハン

ゲルに関する質問 回答
a. 良いところ 移動しやすい,どこにでも建てられる
b. 不便なところ ゲル生活に慣れている。ゲルは最高
c. 建てるときの条件 牧草があり手ごろな所, 水場(川,湖沼,井戸)に近い
d. 移動範囲(年間) 年5,6回
e. 調度品,衣類の収納 ゲル内に収納,隣接したコンテナ転用 の倉庫は寝室を兼ねる
f. ゲルの製造 自家製
g. その他 材料ハルモト

写真6―スポーツセンター(エルデネット)
写真5―大型共同住宅(ダルハン) 写真7―市中心部の共同住宅(エルデネット)

第3日目 エルデネット市からアマル・バヤスガラント
 エルデネット市は東洋有数の銅鉱山採掘所のある鉱山都市で,ソ連時代はソ連軍が管理し,大量の銅鉱石を東欧に輸送していた。現在もロシアとモンゴル国の共同管理となっている。ダルハン市と同時代に計画され,緩やかな南斜面の丘に都市は展開している。
 人口8万と聞いたが,整然とした街並でモンゴル一ごみの少ない清潔な街といわれている。ここも市庁舎,公会堂,スポーツセンター(写真6),鉱業会館などを中心に10階前後の集合住宅群(写真7)が配置されている。銅の採掘,精錬は現在も経済の中心である。
 両市とも都市計画が生かされて整然とした都市であり,ソ連時代の影響か,ロシア系モンゴル人が大半を占め,建築をはじめ文化全般にロシアの影響が見られる。
 この日の午後アマル・パヤスガラント寺院近くのツーリストキャンプに着き,一泊する。

 
アマル・バヤスガラント寺院――上:写真8―正面外観 下:平面図・断面図

第4日目 アマル・バヤスガラント寺院視察後,ゲルを調査して,ウランバートル市に帰る
アマル・バヤスガラント寺院(写真8)はセレンゲ県のプレンハン山のふところに建設された現存するこの国有数の大伽藍である。この地は首都ウランバートル市から345km,エルデネット市からでも北東に80kmと交通の便が悪く,幹線道路から入って凹凸の激しい山道を走らねばならず,ツアーコースにも緑のない所である。
 資料によれば,木造伝統技術の最も優れた中国伝統様式寺院といわれ,修復のさいも技術者を日本に招き,日光で寺院建築枝術を習得させた記録がある。
 山門上に,勅建慶寧寺の扁額があり,清朝世宗帝の勅命で建立されたことを物語る。
 1723年,同皇帝を訪問中に死去したモンゴルの初代活仏ザナバザルの慰霊のために建立,36年に竣工した。
 伽藍の規模は正面175m,奥行207mの矩形で,周囲を磚できづいた塀で囲まれている。この中に本堂を中心に三段の高低差をつけた敷地の上に30近い建物が並んでいる。前方に南門,その後方左右に鐘楼,鼓楼,その奥に本堂が建つ。本堂の前方と左右に六角堂がならぴ,後方に百仏堂を挟んで,左右にボクド・ゲゲン一世と四世の廟が,その前面に薬師堂と長寿堂が向かい合っている。この一郭の後方に,客堂を囲んで厨房などの建物が並ぶ。これらの諸堂を囲んで東西と背面を10棟の僧房が囲む。
 創建当時910人の修行僧がいたが,1938年に閉鎖されてから寺は荒廃した。1973年,ユネスコの援助を受け,京都大学の西川幸治教授(現滋賀県立大学学長)などが調査に入り,現地技術者を日本の日光に招いて技術習得をさせるなどの援助もおこない,約8年を費やして1982年に修復工事を終了した。
 今回はその成果を確認するための調査であったが,本堂は外装と1階は元の壮麗さを取り戻したが,2階内部はまったく荒廃のままであることが判明したのは,まことに残念なことである。
 この寺院は典型的な楼台様式の2層伽藍で,一部モンゴル伝統様式の影響も見られるが,総じて18世紀の中国伝統様式を主体とする建物である。
 本堂は35m角の正方形平面の木造2階建であるが,1階は等間隔に64本の列柱を配置した大空間であり,2階は中央に独立した楼台があって,周囲を仏法修行室,講義室,図書室が取り巻く形となっている。中央と周囲の室との間に谷樋が通る空間があり,雨仕舞の大変難しい構造になっている。1,2階とも,外周に解放回廊がとられ,彫りの深い美しい外観の特徴となっている。
 内部はチベット仏教特有の色彩が溢れ,赤色の列柱と壁一面のタンカ,格天井の鏡板の模様絵が素晴らしい。
 現在,数十名の僧侶が起居を共にして修行に励んでいるが,小学生,中学生年代の若年僧も多数見受けられた。
 現在,この伽藍の創建当時の計画図が残されている。
〈英和設計企画 主宰〉

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