JIA Bulletin 2003年04月号/海外リポート


何もないと豊かになる



ミャンマー仏教建築を見る

中山 庚一郎

田村泰顕氏によるアジア近場建築探訪の旅は,昨年11月13日から18日,名古屋・京都の会員も合わせて17 名の参加をえて,下記のスケジュールで催された。
 11月13日 成田→ヤンゴン  ヤンゴン泊
    14日 早朝パガンへ   パガン泊
    15日 パガン地区視察  パガン泊
    16日 早朝パゴーへ   ヤンゴン泊
    17日 ヤンゴン市内視察
    18日 朝帰国
11月15日には田中瑛也氏の難解なアジアの仏教建築,そして上座仏教の思想,さらに感性と知性,無分別知,阿頼耶識に至る講義があり,久しぶりに緊張した時間をもった。
 buddham saranam gacchami
 ミャンマーは祈りの国である。

 パガン王国址
 ミャンマーの荘厳な朝があける。
東の空があかね色に染まり,黒々としたバゴダのシルエットが少しずつ赤みをさしてくる。朝焼けのバゴダをスケッチしていると,まだ闇の残る農道を自転車に乗る少年が近寄ってくる。
 この南国の平原を埋める当時5000余といわれたおびただしいパゴダ群,その建設の情熱は何であったのか。1044年パガン朝の建国,仏教に熱心なアノーヤター王は,シュエージーゴンパゴダを建て,戦いそして祈り,国は栄え豊かになり,人々も王にならってパゴダを建て祈った。
イラワジ川の眺め
 僧は尊敬され喜捨をうけ,寺院は次第に巨大になり,その運営維持に従事する者は増えていった。やがて祈るものが生産をし商いをする者とのバランスをこえたとき,国家は弱体となり,1284年パガンは滅亡する。
 往時の人々の住んだ家は草葺きで,今は土にかえり跡形もない。イラワジ川に面して堀をめぐらし,わずかに城門を残す小ぶりな王宮址があり,その城内に王の寺院とバゴダが残る。そのころの生活は寺とバゴダと共にあったのか,だれも知る人はいない。南国の植物のしげるなかの,おびただしい赤い焼成レンガのパゴダのみが,かつての栄華をしのばせる。
 11月15日イラワジ川の岸辺のレストランで昼食をする。川の岩場で洗濯をするもの,水浴をする女,小舟を並べて網をしかける男たち,岩の岬に黄金のパゴダが川からそそり立つようにそびえる。パガン博物館の王国の資料によると,そこはパガン王国の貿易港であったらしい。思えば11〜15世紀は海のシルクロードの時代,この川辺にはアラビアやら中国やらの珍品産物があふれ,交易で賑わったであろうが,今や知る人もいない。

 サステイナブルの文明のありかた
パガンで最も高いタビィニュ寺院
■古いバス
 日本で使い古したバス,トラック,タクシーがミャンマー全土で元気に余生を送っている。
 我々の乗った観光バスにも「お降りの方はこのボタンを押して下さい」の赤いボタンがついている。都バスも東野バスも○○建設のトラックも,屋根に黄色いチョウチン灯りのついたタクシーもTADANOのクレーン車も元気に働いている。部品の調達がしやすく,まだ40〜50年は使えるという。
■はだし
 寺院に詣でるには,裸足でなければならない。
バスの中で靴下をぬぎ,そこから裸足で土の道を歩いて寺院にお参りする。子供のとき以来ひさしぶりの足の裏の感触が,最初は少し腹立たしかったのに,半日もすると気持よく若返って健康になったような気がしてくる。コンクリートの感触,御影石の感触,大理石,タイルみなそれぞれ違う。中でも土の感じはいい,水はけのいい土の感触はあたたかく優しくとても気持がいい,これは何かに使える,とピピッとくる。
子供たち
■清貧にして礼儀正しく
 それにしてもこれだけのパゴダや寺院を建立した人々は,何処にどのような生活をしていたのか。その人口を養う農地はどこにあったのか,市場はどこにあったのか,どこからそのような富が生じたのか。全く跡形がない。パゴダの管理をする小さな子供のいる家族をみた。四畳半くらいのヤシの葉を葺いて,丸木を組み,編み竹を張った高床の小屋に生活していた。へっついは外にあり,いくらかの食器と夜具がわりの布切れがあるだけのシンプルな住まいである。しかし小屋のまわりは掃き清められ,おはようと言うと子供たちは礼儀正しく,控えめにほほえんだ。
 カンボジャのアンコール王朝も同じであったが,国家の滅びた後の醜い残骸を曝すことなく,跡形もなくその国家を自然にかえす,アジアの王国の文明のあり方は見事である。

 豊かさの呪縛
 現代文明の豊かさとは一体何であろう。
貧困は悪である,と相変わらず飢えと不安を叫ぶ政治家とマスコミ。いくら注いでも注いでも満たされぬ世界に,焦りとむなしさを感じながら,現代文明は行き詰まって行く。
 ところがこの国にあるものは,何もない豊かさ。
「喜捨の心」,自分の持つものをない者にあたえる,ここには持つ者ともたない者の間に静かなつながりがある。寺院の片隅で物を乞う盲目の老婆の目をみよ,この国の人は喜捨のとき,身をかがめ地にひざをついて与える。そのとき乞う者と与える者に喜びが満ちる。
祈る母子
 炎天下,乳のみ児をかかえる物乞いに1000kyatを与えた。喜びの色が相手の目の中に輝く。しばらくして御堂の傍らで豊かな乳房をあらわにして,今日の食は得たりと安心して乳を与える姿をみた。そこには日本では見られなくなった母と子の強いつながりが,何もないからこそ鮮やかにあらわれていた。
 豊かになった我々の失った心の世界が,そこに悠然として存続していた。

   
写真:田村泰顕
スケッチ:中山庚一郎
<(株)石井建築事務所 主宰〉

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