JIA Bulletin 2002年12月号/海外リポート−2


モンゴルの健康住宅はゲル

  庫川 尚益 + 吉田 晃

 すぐれた案内人とモンゴルの背景
 モンゴルの建築および建築史のエキスパート田中暎郎氏のプライベートなモンゴル国ツアーに同行する機を得た。氏は1988年モンゴル社会主義人民共和国(当時)を訪れて以来,モンゴルの建築を体系的に研究されている。山下設計という日本の高度成長を支えた老舗設計事務所に在籍された眼で,モンゴル現代建築をつぶさに把握し発表されている。(『世界の建築家581人』TOTO出版)
カラコルムへ
 草原の国,チンギスハーンの国という印象の強いモンゴル国であるが,1922年に社会主義国として近代国家となりソビエト連邦の衛星国となった。ソ連および東欧諸国の一番輝いていた時の技術と資金が首都ウランバートルに注がれ,町並みが形成される。そんな戦後の建築を概観されている。
 氏は,建築のみならずその計画者の目でウランバートルの都市計画を刻明に精査し提案されている(「ウランバートル市の副都心計画についての試案」田中暎郎,ボルド・エンヘバヤル『1998-10-8第2回アジアの建築交流国際シンポジウム論文集』)。氏は住まいの始原的形態であるゲル(中国語読みパオ)を数多く見聞してきた。モンゴル民族はモンゴル国および中華人民共和国内モンゴル自治区に存する。
 氏は内モンゴルでも同様のゲル調査を行っている。モンゴル国はかつてはソビエト圏にあり,内モンゴルは中国領土にある。中ソの政争に巻き込まれ,中ソ蜜月,離反の影響をもろに受ける。同じモンゴル語に対しモンゴル人民共和国は建国以降,キリル文字(ロシア文字)に置き換えたが,内モンゴルでは従来のモンゴル文字を今にいたるまで使用している。というようなことが影響してか,あるいはそれ以前からか両国間でゲルに差異が多くみられることである。
 氏の調査はモンゴル国と内モンゴルの双方にまたがっているが,双方を貫いた概説書がない。内モンゴル自治区の出版社が氏にその概説書執筆を依頼した。その上梓にあたってゲルを巡る最新の情報を組み入れるべくの調査である。概説書は2002年12月発刊予定。東京外国語大学モンゴル語科蓮見教授の訳によるモンゴル文字による出版である。このような企画は当事者ではなかなか語れない面が多い。従って日本人研究者の執筆によって上梓される意義は大きい。特にアジアの建築家の視点で語られる豊かさに期待したい。
 今回のツアーでもう一つ特筆する点がある。長崎国際大学細田亜津子助教授の同行である。細田氏の専門は環境社会学,アジアの共同体を身軽に踏査し,その村落共同体が否応なしに直面する都市化・観光化を,規模・人的資源を見極め,無理なく緩やかな開発をテーマとする。
最近ではインドネシア・スラウェシ島トラジャ県のトンコナンを日本の文化庁で修復する事業を成功させている。草の根国際交流のエキスパートである。
 今ツアーの水先案内人のモンゴル人ナランバータル・マンダハナラン君は細田研究室に学ぶ。長崎国際大学は新しい大学でアジアからの熱意ある留学生を積極的に受け入れる姿勢を持つ。細田氏の今ツアーの一つの目的はモンゴルの大学との大学間交流の道筋の可能性を探ることにある。
 ツアーは2002年9月2日から9日まで。同行者は6名。内,JIAから田中暎郎,岡秀世と吉田と庫川が参加した。北京からウランバートルに入る組と成田からウランバートルに入る組がウランバートルで合流し,その後,2組に別れ行動した。ウランバートルを拠点に,マイクロバスでカラコルム近郊に行き,ゲルのツーリストキャンプで1泊,40人乗り飛行機で南ゴビに飛びやはりゲルに1泊した。
 田中先生の調査報告は上梓される書に譲り,モンゴルの建築について我々の率直な印象を語る。

ウランバートルを見下ろす
 ゲル以外の住まいは仮の住まい
 我々の見たモンゴルの建築はウランバートル市内の近代建築,チベット仏教の寺院,そして遊牧民のゲルである。寺院は第一級の建築物といえるものが見られず,きちっとした建物は,国会議事堂,日本モンゴル文化センターなど少ない感じがした。それに比してゲルは非常によく出来ている。現代的な住宅を仮の住まいと言いたくなるほど,ゲルは今の時代を生きているという印象を受けた。
 旅行の最後に,マンダハナラン君の実家に招かれた。家はウランバートル市の中心部から車で40分位のところの,郊外の新興住宅地にあった。彼の祖父母,両親が我々一行を歓待してくれ,和やかなひと時を過ごした。それはまた,モンゴルの人々が,伝統的なゲル,あるいは現代的な住宅について,どう考えているのかを知る良い機会でもあった。ウランバートルなど都市やその周辺では定住型住居が多くを占めるようになり,移動性に優れたゲルは必然性が薄れ精彩を欠いている。ただこの敷地内にも,洋風建築の母家のほかにゲルが一棟あり,家畜も飼っている。単なるノスタルジーではなく,実際に彼らの親族がそのゲルで暮らしている。
 市の中心部は近代的な建物で占められているが,外周部にはゲルの住宅地が多い。都市生活者や富裕層は近代的な住宅に移りつつあるようだ。マンダハナラン君の祖母が,「あなた方が建築家なら聞いて見たいことがある」という。自ら縫い上げたというデール(民族服)に身をつつみ,控えめではあるがしっかりした口調で「健康的な住宅とはどんな住宅と思うか」というのである。もちろん,シックハウスやカビ,結露などに悩まされているのではない。モンゴルは年間降雨量が250mm(東京は1460mm)で空気も乾燥していて,新建材で囲まれた生活もない。どうも日本で考えられているような「健康住宅」とは少し意味が違うようだ。
 ゲルは,生活や風土に根ざしているという意味で健康的な(健全な)住まいのあり方を示している。事実,歴史的淘汰を経て今日にいたった,通気や断熱を含め構法などの合理性・居住性・移動性,そして何よりも,草原に家畜とともに佇むゲル群がかもしだす天・地・人のハーモニーは,たとえ自然は厳しくても,健康的な生活そのものではないか。彼女の考えも同じであったようだ。「今から40年前に良く働く人に,といって当時の政府がアパートをくれて,主人と一緒に移り住んだが,今すぐ,ゲルの生活に戻ってもいいと思っている」と言っていた。夕食後,牛の乳搾りに行く姿は,やはり生き生きしているように見えた。
マンタの実家 (写真3点:吉田晃)
 首都ウランバートルには69万人(総人口の約1/4)が居住している。約半数がゲルに住むといわれている。結婚すると,家畜を分け与え新しいゲルを建て,家畜を育てながら移動するという遊牧民の生活や文化が,歩を早める近代化によってどのように変容するのだろうか。市の東南に位置する小高い丘は廃棄物処理場になっている。処理場といってもかつての東京の夢の島のような,ただのごみ捨て場である。ここから市内全域が見渡せるが,市内の火力発電所や工場などからでる煙や,排気ガスなどで大気汚染が発生しているらしい。実際その日は風が殆どなかったためか,我々は煙ったウランバートルを見下ろしていた。
 モンゴルは世界一過疎の国である。そうしたイメージからは想像しにくいのだが,現にマンダハナラン君のお父さんは,市内は空気が悪いので,ここの場所を選んで家を建てたのだといっていた。日本を始め,かつて先進国が歩んだように,経済成長と環境問題との兼ね合いの難しさに,これから直面するのではないだろうか。

〈庫川尚益:倉川プランニング設計 主宰〉
〈吉田晃:吉田晃建築研究所 主宰〉

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