JIA Bulletin 2002年9月号/海外リポート


雲南省の秘境 少数民族の村落を旅する

 

竹内 裕二

 日本民俗建築学会創設50周年の記念行事,中国雲南省の奥地の奥地に少数民族(今回は,イ族,ぺー族,プミ族,ナシ族,リス族,モソ人,プーラン族)を訪ねる調査団(団長は建築家の宮崎勝弘さん)の旅に行ってきた。中国本土の中でも種族が多すぎて,正確に把握するのが大変な地域であり,大きな山の傾斜地に広がる壮大な棚田はもう見ることができないだろうといわれている地域でもある。
 かねてからこの楽園の郷と言われている雲南には興味を持っていたが,絶好の機会である。しかも,普通の旅行では行けない地域にも行くという。イタリアとフランスの田舎街をレンタカーで走り回っている中国未知識人間は,この魅力的な企画にまぜて戴けるという武者教授のお誘いに感謝。仕事もデートも何もかもその日程期間はすべてゴメン,キャンセル,スミマセン。思った通り,素晴らしい旅だった。雲南省は中国の西南に位置し,北には私の好きな四川料理の本場,四川省,東に貴州省,西にミャンマー,南にヴェトナムとラオスがひかえている。宿泊は大きな都市に拠点を置き,11日間現地調達したバスで未踏の地を走り回る。実際お尻が痛くなる程バウンドした。
 総勢23名の視察調査団は成田を出発し,昆明(クンミン)に向かった。すべての街を詳細に記す頁はないので,ここに記載のできなかった街などについては9月12日の住宅部会でスライド会を行います,ぜひいらっしゃって下さい。
 関西国際空港からの所用時間4時間35分,昆明に到着,そこから33分のフライトで最初の宿泊地,中庭を囲む四合院の屋敷構え,白族(ペーゾク)の住む街,大理を拠点に「少数民族の村落」への旅が始まる。

 大界巷
 街はずれにある喜州鎮(「大界巷」という名前がついていた)は路地からの視界を意識した屋根瓦の装飾と外壁に特徴がある。どの家も見事な造り映えで,かなり裕福な人たちが住んでいた様子が窺える。さまざまなデザインがされた漆喰装飾の壁々,豪華絢爛たるバロックを思い起こさせる屋根瓦の凹凸,碁盤の目にはならないクランク状の路地が街を駆けめぐる。左右に反りあがった門構えの庇は二重になり,庇と庇のあいだにある枠取りの中には絵が描かれ,エンタブレチゥアには彫刻がなされ,アーキトレーブとなっている。12の種類があるとされる中国民家馬背のひとつ金形馬背を見かける,そこに塗り込められたねずみ色六角形のうろこ壁の妻側上部,漆喰で白く塗り込められた柄入りの外壁の家々が建ち並ぶ。
 喜州鎮(大界巷)は約600所帯くらいの集落である,詳しいことはわからないのだが,ここに住んでいる所帯は6割くらい,半分近くが廃墟である。路地を歩いていて人と出会うことがない。散歩をしていると門から中庭の見える家があった。そっと入ってみると庭の片隅でマージャンをやっていた。この旅では雲南省のあちらこちらの路上でマージャン,ビリヤードをやっている光景を見た。この地域に滞在する時間があまりなく,路地歩きをゆっくりと楽しむことができなかったが,ひっそりと静まりかえったこの集落(大界巷)は実に素晴らしい街並みであった。

「大巷界」の村落――玄関ファサード

「大巷界」の村落――エントランスの門

 麗江
 世界遺産で一躍有名になった麗江ナシ族自治県の中心地,麗江(リージャン)は幅4メートルくらいのきれいな川が縦横無尽に走り,屋根瓦が整然とした木造家屋と石畳の路地のある古い街である。歴代王朝の地方行政が置かれたところでもあり,シルクロードの要衝地でもあった。柳の街路樹が川沿いに植えられ,川を挟んである二つの路地沿いには無数の商店が建ち並び,ジャズ喫茶があり,中国の若者が集い,驚くほどにここは原宿じゃないかと思うくらいなのだ。麗江にはナシ族,漢族,ペー族,イ族,リス族が住み人口は約30万に達する。

 白沙村
 大理から麗江に向かう途中に白沙(ハクサ)村がある。木造の家が建ち並ぶ家々の妻面には懸魚が吊り下がっている。懸魚の形はユーモラスなものからお札のようなものまでさまざまな形がある。街中の広場で民俗衣装を着た,よく見るとかなりの年代の女性が輪になって踊っている。これは観光客がバスでやってくるとそのすぐ近くで始まる,興味を引こうというわけである,少しでも立ち止まって見ていると,どこからか篭を持って見物料を取りにくるというシステムになっている。見物料を払い見ていたが,音楽のリズムが民謡のエンヤコラセイドッコイショを繰り返しているだけの奇妙な雰囲気だった。同じことを何回もやっていると脳の中に何かが発生し,夢遊状態になるらしいが。

 束河村
 束河(ソクガ)村は白沙の近くにある80所帯くらいの小さな村である,黒澤明監督の「七人の侍」に出てくる街とものすごく良く似ている。ビューと風が吹き砂塵が舞い上がり三船敏郎が,という感じでこのままの状態で撮影が出来そうである。そういう街並みと考えて戴ければぴったりだと思う。

 寧■―モコ湖―景洪
 麗江から寧■(ネイラン)に向かう。凹凸の激しい断崖絶壁の横にへばりついている細い砂利道の道路を猛スピードで走るバスに乗っていると,危険な状態に身をまかせ,座ったままトランポリンをやっているお尻のマッサージ状態が続き,何時間も半分座席,半分空中といった感じである。周りの景色はいくつもの山々の連なりである。どの山々も頂上から見事に続く棚田が傾斜地にそって延々と下に向かって続いている。一般の旅行客は入れないまさに秘境を旅するという雰囲気が漂ってきた。面白いことこの上もない。たいした知識もなく,遠く眼下に見える集落は本で読んだ『金瓶梅』の主人公が住んでいる雰囲気と似てるなあ,と想像をたくましくし,このような想像を他の人に自分の頭の中を見られるとこれはとんでもないのを連れてきてしまったと思われるに違いないので,会話には気をつけて少しむずかしい顔(たいした顔でもないのが)をして,うーむ,なんて言ったりしていた。バスは崖道をさらにスピードをあげて寧■からモコ湖に向かう。モコ湖の真ん中から向こうは四川省である。このあたり一帯は通い婚で有名な地域である,完全な母系社会で,女性の地位が高い。財産は家長である母から娘へと受け継がれ,男が女の元に通う,中庭に面して,娘の部屋が独立して存在している。モソ人の男は,やすやすと塀を越えることが出来,どこの家にも犬がいるので,犬にほえられないようにしなければならない,恋唄が歌え,踊りがうまくないといけないとのことである。女性は4人までの男性を夫とすることができ,子供が出来れば女性の家族のもとで育てられる。アチュ婚と呼ばれている。どこの村でも週に一度,その村の中心地にある広場でファイアーパーティーが開かれる。若い男女がいろいろな村からやってくる,火を囲み手をつなぎ輪になって踊る,カップルの誕生となるわけである。男はほとんど仕事をしない,広大な田んぼで働いているのはすべて女性であることを知り驚いた。いろいろなエッセイストがアチュ婚について書いているが,まさにその通りである。
 またしても崖地の脇に造られたデコボコの道をトランポリン状態のバスでモコ湖から麗江に戻り,飛行機で景洪(シーサンパンナ)に向かう。ラオスの北なので南国の花が咲きみだれ,一挙に秋から真夏にきた,という感じである。
 このように少数民族の部落を数多く周り,いろいろな集落の形態を見た。赤土だけで統一された外壁の村,茅葺きだけの屋根の集まり,土蔵風の民家の集まり,種々雑多,大変な種類である。この旅の間に立ち寄った博物館の中にあった書店でかなりの量の書籍を買った,航空便で送りすべて手元に届いたが,その中に中国の住宅の歴史を全土にわたって村落,住宅を外から内まで克明に撮った写真だけの全集『老房子』がある。全13巻,一冊の厚さ4cmでB5版となっている。日本でも丸善あたりで見かけるが,なかなかすべてを日本で揃えることはむずかしい。イタリアに行っても同じことだが,外国での楽しみのひとつは本屋に入ることである。『老房子』は今も楽しんで見ている書である。

シーサンパンナ――お茶の工場,外観

シーサンパンナ――お茶の工場,内観)

 ノンヤン村
 シーサンパンナのノンヤン村プーラン族の高床式住居を紹介しよう。そのほとんどは茅葺きの屋根となっているが,まれにこけら葺きもあり,入母屋造りの住居の1階は柱だけの吹きさらしとなっている。階段を上がった2階に前廊(玄関ホールと縁側を合わせたようなスペース)といって人々が集まりおしゃべりをしたりするコミュニケーションの場所があり,続いて晒台(さらしだい)というスペースがある。これはベランダとサンデッキのようなスペースであるが,3畳から4畳半くらいの屋根のない場所である,実はここは大変な,多目的な要素を含めている。まず,炊事の準備をする台所でもあり,穀物の収穫時には穀物を干す場所でもあり,ここに水瓶を置き,大きなたらいを使って行水をする風呂場でもある。「さらしだい」の下には放し飼いの豚がいるので,炊事その他の洗い物が流れた下で豚が処理をするわけである。このノンヤン村には大きな黒豚が放し飼いになっており,現地の子供達と一緒にそこら中を駆け回っている。集落の形態としてはこの上もない状態で,廃墟になっていない日常生活のある環境を見ることができる。

 この雲南省への旅体験は,タイムスリップしていつか日本にあった昔の光景に戻ったという錯覚のする気分の良いものだった。


シーサンパンナ,ノンヤン村

シーサンパンナ,ノンヤン村――階段を昇ると玄関
〈(株)竹内裕二建築設計事務所 主宰〉

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