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 JIA Bulletin 2011年11月号/F O R U M 覗いて見ました「他人の流儀」
五十嵐太郎氏に
「建築について」を聞く
五十嵐太郎氏 インタビュー風景
五十嵐太郎氏 インタビュー風景
聞き手:Bulletin編集委員

専門の建築評論、建築史の他にも、映画やマンガ、アニメ、ゲームといった、建築とは直接関係しない分野も含めた幅広い知識で、様々なフィールドで活躍されている五十嵐太郎さんに興味深いお話をお聞かせ戴き ました。
この度は、インタビューのお時間を頂きましてありがとうございます。

 

■パリでの幼少時代について

 

 パリで生まれましたが、5歳まで住んでいて、その後帰国しました。両親が東京芸大を出ていて美術の研究者として留学していました。パリに居たから建築に興味を持ったというのならかっこいいですけどね。そうではありませんね。両親がパリが好きで部屋を借りているので度々訪れる機会はあります。

 

 

■東大の大学院時代に原発ついて卒業制作をされていますが?

 

 チェルノブイリ事故があった時で社会的に大きく取り上げられていました。80年代後半広瀬隆の本を読んだりと割とベタな反原発からだったんですけど、反原発だけでは作品は出来ません。それをアイロニカルに逆説的に利用できないかと思い最終的なテーマにしました。原発は絶対安全だという前提のもとに東京湾に原子力発電所をつくる計画案でした。ピラミッドのように5千年持つものをつくることが20世紀の施設で可能かどうかと考えました。原発は30年が寿命ですからその後残った高レベル廃棄物を地下に埋めそれをアスファルトとコンクリートで固め、放射能の影響がなくなるまでの1 千年以上に渡りモニュメントとして残す構想でした。東京でその後どんな再開発が起きても放射能が残っているうちはどかすことは出来ません。そうするとそれは人が立ち入ることのできないサンクチュアリ、一種の聖域のようなものになります。僕はそこに何か宗教的建築に通じるような物語性を感じたんですね。その経験から自分は設計よりも物語をつくるほうが合っているのではないかと考えるきっかけになりました。

 

 

■宗教建築と原子力発電所が似ているということですか?

 

 原子力発電所はエネルギーの生産工場で、ある意味宗教建築もそうですよね。オウムのサティアンもそうですよね。20世紀において宗教的なものとして残りうる可能性があるという逆説的なものも含んでいます。フランスの原子力発電所は何か神殿ぽくて大きなスケール感があります。それに比較して日本の場合は違っている。福島第一原発の建屋は空の模様が描かれていて恐ろしい感じを隠蔽するようなまるでパッケージデザインのようになっています。今では表面にポケモンの絵じゃなくて本当に良かったとか言われてますけど(笑)。こんな感じで日本の場合はだいぶ扱いが違いますが、他の国の原子力発電所はまるで神殿建築のような巨大なスケール感があって80年代の「猿の惑星」とかたまの「さよなら人類」とか逆進化論的な感じがするんですよね。当時は世紀末的な雰囲気があって、ノストラダムスとか米ソの冷戦状態で核のボタンを押せばどうなるかという一色即発の状況がある一方で経済はバブルの不思議な高揚感があってと結構いろいろなものが混ざっていた時代で、物語ベースでそれぞれが結びついているんですね。結局同じ人間の作るものだから似ているものがあることにあとで気がつきました。

 

 

■新宗教建築に興味を持ったきっかけは?

 

 オウムのサティアンが引き金になっていました。
 僕達が学生であった80年代というあの時代は大学でオウムが勧誘していたり麻原彰晃が講演に来ていたり、渋谷で選挙運動していたりとある意味彼らは僕らの横に居た人達だったんですね。
 サリン事件があった時に建築界ではサティアンに注目して「宗教は建築を捨てた」という見方をしていた建築家達がいた。僕はその言葉にちょっと違和感を感じたんですね。
 開祖して10年程でそんな立派な宗教建築は出来るものではないし、歴史的にみてもそうではない。初代の時代は教祖のカリスマ性により、建物がどうかは関係なくて普通の家を増改築したりして教会としての役目を保っていた。2,3代目以降信者が増えて、カリスマとしての教祖はいない、精神的なシンボルを失ったときに何か信者の心を一つにするモニュメント的なものとして建築物が希求されていきます。奈良の天理市は天理教の聖地として有名ですが、建築的な観点から見ても大変面白い宗教空間です。初代は田舎のおばちゃんであっても後継者になると東大にいくようになるんです。天理教の2代真柱の中山正善は東大の建築学科の内田祥三と都市計画のプロジェクトをうち立てます。神の屋敷は四方正面あるとか教祖の言葉を翻訳して建築化していき宗教都市をつくっていきます。他にもいろいろ新宗教がありますが、立派な宗教建築を建てるまでの道のりは類似しています。

 

 

■好きな建築は?

 

 ウエディングチャペル、前衛的なものも、キチュなものも、新宗教の建築も全方位的に好きですね。
 いろんなものに興味があるので、それぞれがそれそれにおもしろさがある。ウエディングチャペルであればああいうものを欲してしまう人の存在がおもしろいんですね。

 

 

■東日本大震災以後建築界はどう変わっていくと思われますか。

 

 震災当初はあまり建築家が出る幕がなかったというか、なかなかお呼びが掛からないというか、まあ建築家の出番は、これからですよね。宮城県では岡田新一さんが復興委員会の委員になっていて、復興するにはそれぞれの町ごとにタウンアーキテクトが必要ではないかというとてもすばらしい提案をされています。しかし県は制度の存在を提案してもなかなか取り合ってくれないと聞いています。

 

 

■研究室のあった青葉山キャンパスはどうなりましたか?

 

 青葉山キャンパスは研究室は全壊して使えない状態です。取り壊す予定です。この片平キャンパスは生命科学研究室の空き部屋を借りています。大昔はこのエリアに建築学科があったんです。
 青葉山キャンパスの建物は柱が四隅座屈してしまいました。耐震補強までして壊れたということで先駆的事例で紹介されています。

 

 

川崎市市民ミュージアム

建築中の仮設研究室

 

 

■実際の設計をなさっているプロジェクトはありますか?

 

 今回の東日本大震災を契機に福島県の南相馬市の仮設住宅の集会所をログハウスで作る計画があって、僕がコンセプトを作り、大学の院生が設計し早急に作る必要があったので既に完成しています。集会所は10m の幅があり四方を巨大壁画にすることにしました。
 壁画はウッドペインティングで有名な知人の彦坂尚嘉さんに書いてもらって完成しています。
 それから今回一番被害が甚大だった宮城県の女川地区にある倒壊ビルを保存する建築のプロジェクトを研究室で行っています。東日本大震災がきっかけになって文字ベースや展示、書籍ベースの仕事から研究室で実際に計画することが増えて来ていますね。

 

 

■だんだんと作りたいという欲求が主体になることはありませんか。

 

 コンセプトを作ることは出来ますが、実際の設計は自分より上手い人がいるのにわざわざ自分がやらない方が世の中の為になるんじゃないかと思うのでしません。(笑)
 これから被災者が過ごす2〜3年の仮設での生活が単に平屋が平然と並んでいる風景だけでは寂しいので壁画や塔をつくり風景の記憶に残るようなものにしたいということで壁画のある集会所を作りました。塔はお金の問題があって実現してません。まだ話しのレベルです。

 

 

■仮設住宅は2年というリミットがあります。家を失い家族を失い仕事を失いという三重苦の方々もいます。仮設よりもずっと住める家を提供できないものかと考えますが。

 

 福島の仮設では住む人が半分位になったら、2 戸を1戸にして本設にできるようにと計画していますね。災害を研究しているある研究者によれば、20 世紀の持ち家志向からこのへんで集合住宅や移動式住宅へと変えていってもいいんじゃないかと言っています。
 佐賀県が3万戸受け入れるということが報道されていましたが、実際はあまり住んでいません。
 大きな枠で考えていくと社会のパラダイムシフトの変換期に差し掛かっているんじゃないかという気がしますね。

 

 

■学生との共同作業の中で感じる事は?

 

 今は僕達の学生の時よりも海外旅行があたり前になり、大学院への進学率が上昇しています。
 僕らが読んでいた「新建築」の雑誌は難解な固有名詞が並べてあって、それを理解しようと努力した。しかし90 年代の後半から教養主義というかそういうことが崩壊していった。
 僕らの時代は学生は大学の授業が休講になれば喜んでいました。でも最近の学生は出席を取らないと「何で先生取らないんですか?」と聞きに来ます。
 今、建築系ラジオをやっているんですが、自由にいろいろやると、学生から「良識のある大人がこんなはちゃめちゃなことをしていいのですか?」というような批判を受けるんです。僕たちの学生時代に比較すると、いろいろ実験的なことが自由にできた時代だけれど、いまは放送コードとかいろいろ縛りがあって、今の学生はメディアに対して一見自由に見えるけど保守的な面がある。学生は自分が生きている時代が絶対ではない常に変動していくものだということを知るために歴史を学ぶことが必要で、比較していくことで自分の立ち位置が見えてくるのだと思いますね。

 

 

■学生達は海外に行きやすくなって、いろいろな情報が入り自由になるのではないかと考えるのですが却って不自由で保守的になるんでしょうか。

 

 例えば現在映画はTSUTAYA,YouTube とかわざわざ映画館に行かなくてもなんでも見れる環境で、見れます。却っていつでも全て見れると勘違いしてしまう。でも実際は違っていて、ほとんど見ていなかったりする。
 海外ワークショップは僕らの時代にはなかったし、そういう意味では恵まれてますよね。
 ワークショップからそのまま事務所に行く人も増えてるし、そういうチャンスを活かす人もいるし、却って保守的な安定志向になる若者もいるという感じですね。

 

 

■最近建築女子が増えてますね。

 

 確かにそうですね。女子学生が卒業設計コンペで日本一を取ったりして強いですね。
 90 年代は男女がユニットの混成チームの設計事務所が多かった。
 女性が一人でやっていくというのはなかなか大変な場面が多かったということでユニットが全盛だった時代がありました。
 女性が建築を続けていくためにはいろいろハードルがありますから、大事なのはその後ですね、持続力が続くかどうか。

 

■ヴェネチアビエンナーレと愛知トリエンナーレについて

 

 2002 年のキリンプラザで展示委員になってからヴェネチアビエンナーレのコミッショナーとなりあいちトリエンナーレと繋がってきています。
 立場としては新しい何かが生まれるきっかけを用意する、そういうことに関与できるという立場ですね。
 ヴィネチアビエンナーレの帰国展の要望は高いのですが、コストの関係で難しく、新たに建築を作らないといけないので、帰国展は出来ない状況です。

 

 

■日本人の建築観について

 

 もう少し日本は建築を大切にして欲しいですね。
 パリはオルセー駅をそのまま50 年放置して、その後印象派の画家の美術館に建て直した。
 日本であれば、更地で50 年も放置していませんよね。すぐ再開発に取り掛かかってしまう。

 

 

本日はお忙しい中ありがとうございました。
とてもソフトで気取らないナチュラルな方ですが、お話を伺っているとその観察眼の鋭さに感服しました。
いろいろなことに興味があって、幅広い知識をお持ちなのでお話しが面白くあっと言う間にインタビュー終了時間となりました。建築の分野だけに捕われない生き方が素敵な方です。

 

〈聞き手:米村ふみ子・高安重一

 

■五十嵐 太郎 氏プロフィール

○ 1967 年 フランス、パリ生まれ。
○ 東京大学工学系大学院修了。博士(工学)。
○ 中部大学助教授を経て、2009 年9 月より東北大学教授。
○ 2011 年8月よりあいちトリエンナーレ2013 の芸術監督に就任。


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