JIA Bulletin 2008年8月号/「温故知新」
先達から学ぶ
デザイン・アーキテクトとの協同
椎名 政夫
椎名 政夫

 「僕は心配して見ていたんだ」、建築家会館のバーで前川國男先生が声をかけて下さった。その頃、青山1丁目の角に私達の設計でホンダ青山ビルが完成間近の時でした。本社役員からは屋上パラペットに社名・サインを目立つように入れたいと強い要望もあり、数多くの原寸モデルを用意し、取付場所もあれこれと検討を2ヶ月も続けたと思います。前川先生は毎日車で現場のそばを通りながら、建築の外壁に企業の見せびらかしのビルディングサインは困ったものだと考えておられたと思います。当時、「会社の業務に一切口を出さない」と宣言して身を退かれた創業者の本田宗一郎さんでも、さすがに本社建築には度々注文を出され、事実私達も数回強烈な叱正をいただきましたが、最後には「この建築が全てを語っている」との一言で、サイン類は一切取り止めになりました。カウンターの椅子に腰掛けてくつろいでいた先生から、「君、ほんとうによかったな」と偉大な先輩からの言葉を頂いたことは忘れ難い想い出です。
 実はこの建物は本社機能をもっていたので、出入口に本社のサインを出す設計図も用意しましたが、本田さんから、「バカもん、あと何年かたったら本社はアメリカになるぞ」とどやされましたが、その後20数年たった現在、ホンダはまさにグローバルな会社になりました。創業者の強い意志と創造力豊かな予見には驚くばかりです。設計の業務には発注者・依頼者として、その会社、公共団体などの組織や規模が目立ちがちですが、創業者や強力なリーダーシップをもった個人の方が建築の質にとって決定的なインパクトを持つことをいまさらのように考えています。
 このホンダ青山ビルもプロポーザルによって、私の事務所と石本設計事務所の設計共同体に間組も加わり、設計監理しましたが、3者の業務と責任を明確にして、それぞれ別個に設計契約を結び、私達がデザイン・アーキテクトとして設計の統括の責任を負いました。すでに完成以後20年以上も経った現在でも、当時のプロジェクト設計関係者や工事会社の担当者が個人として年2回ほど集る会があり、社会経済の激しい変化のなかでも、ここは組織や会社を超えた個人のつながりと、価値観の共有を確かめながら交流を続けています。
 建築は独立した個人の営為であり、組織にはなじまないことを強調するわけではありませんが、小規模な私の事務所もこの20年来大規模な設計事務所と、また時には請負会社の設計部との協同の例が増えてきました。ただ、これら協同については、発注者の理解と合意を得てその関係も縦型のものではなく、あくまでも横型で、関係者は平等に、利益の相反を排し、責任とマネージメントの総括者を明確にしたうえで仕事にとりかかるわけです。まさに100のプロジェクトに100の設計マネージメントがあり、従って一つ一つの計画で解決する問題も多様ですが、その中で、デザイン・アーキテクトの役割をどう主張して実行できるかが厳しく問われているわけです。左のスケッチはホンダ青山ビルのサインの試案をいろいろと検討した時の私のスケッチ、下は現在の写真です。

 

ホンダ青山ビル、外観スケッチ 1982

ホンダ青山ビル、外観スケッチ 1982

ホンダ青山ビル、現状写真 2008

ホンダ青山ビル、現状写真 2008

 

〈(株)椎名政夫建築設計事務所〉