JIA Bulletin 2016年5月号/覗いてみました他人の流儀

横河健氏に聞く
「デザインとは…?」

横河 健

横河 健氏
聞き手:八田雅章・長澤徹・立石博巳


―子供のころから美術やものづくりが好きでしたか。
 工作やいろんなものを工夫して作ることが好きな少年でした。祖父は建築家(横河民輔)でしたが、父はビジネスマンでしたから家庭環境の中で建築を学んだということはありません。ただ、関係があるかはわかりませんが、母は声楽家でしたから、芸術性という面では母親からその素養を受け継いだのかもしれません。僕は幼稚舎から慶應で、大学もそのまま慶應の法学部に推薦で進学することになっていました。けれどもどうしてもデザインをやりたくて美大に行きたいと言い出したら母はかなり反対しましたが、父は自分の進みたい道を選ぶことに理解してくれました。

 

―建築家になるまでのことをお聞かせください。
 中学生のころから趣味で写真を撮っていて、最初は写真家になろうと思っていました。慶應の労作展(夏休みの宿題作品展)に出展するために撮影から現像焼付けまで全部自分でやっていました。美しい写真への興味は、『National Geographic』、『House Beautiful』などといったアメリカのインテリアや住宅の雑誌が家にあったことも影響しています。古い民家や邸宅などを除き日本には美しい家が少ないので、いつか美しい家、まちをつくってみたいとも思うようになりました。
 美大を受け、僕が大学に入学した頃は学生運動の真っ只中で、しばらく授業がない状態が続いていたので、やむを得ずアルバイトをやっていました。当時父が新たに会社(横河ヒューレットパッカード)を設立したばかりで、その会社がマーケティングやインダストリアルデザインを重要視していて、社内にインダストリアルデザイナーがいたのでその人の手伝いをしていました。レンダリングなどを手伝っていましたが、ストが明けて授業が再開される頃には大学の先生よりうまく描けるようになっていました。
 再開した大学の新たな講師陣の中に黒川雅之さんがおられました。黒川さんはGKにいらっしゃった方なのでインダストリアルデザインにも精通していて、建築をかたちばかりではなくシステムとしてデザインする姿勢にとても魅力を感じました。僕自身は建築への興味はあったのですが、当時の『新建築』や『建築文化』などの建築雑誌は白黒写真で、建築作品も前川先生の作品など重厚なものが主流でしたから、あまり建築に向かおうとは思わなかったのです。けれども黒川さんは建築をもっと広く捉えておられたので、とにかくここで学ばせてもらうことに決めました。黒川雅之さんのところに4年勤めたあと、僕はもう少し建築の勉強をしたいと思い大学院に行きなおそうかと考えていたところ、早稲田の大学院の歴史研究室にいた仲間から、親の関係で広島の船会社の保養所の設計をやることになりそうだから一緒にやってくれないかと声をかけられ、仲間2人と計3人で仕事を始めたのが独立のきっかけです。

 

ワシントン州立大学にて 1970 年

 

―長年建築設計に携わってこられて、ご自身の中に変化はありましたか。
 まったく変わらないです。高度経済成長を通じて世の中が豊かになったと言うけれど、私は精神的にも物質的にも世の中は豊かになったとは言えないと思っています。建築空間も以前より豊かになったと言えるでしょうか。かなりの年収がある人でも本当にいい家に住んでいる方は少ないような気がしますね。その意味では、日本の社会制度に問題があります。
 建築設計とともにプロダクトデザインもずっと手掛けていますが、それに対するスタンスもずっと変わりません。例えば西洋には西洋人がデザインしたいい椅子がたくさんあります。しかし、それらは西洋の生活様式で生まれたものですから、ダイニングチェアにしてもそれは洋食を食べるためにデザインされた椅子なのです。ところが私たち日本人が改まった席で和・洋・中を食べようと思ったときに、ふさわしい椅子が今までなかったことに気付きました。私が「ZEN CHAIR」のデザインを始めたのは、和の空間に合ういい椅子をつくってみたいと思ったのが始まりです。照明器具のテーブルランプで「asa-san」(ヤマギワ)をつくったときも、僕がほしいと思うような上品で普通のテーブルランプが世の中になかったからです。そのように、一貫して世の中にまだなくて、自分がほしいものはきっと他の人もほしいだろうと思うところからデザインを始めるという考えでやってきました。その姿勢は今でも全く変わっていません。

 

ZEN CHAIR asa-san(ヤマギワ)

 

―住宅を設計する上で大切にしていることは。
 クライアントのライフスタイルや価値観がある程度わからないと設計できません。その人のことをよく知った上で、僕が成り代わって設計できるかどうかというスタンスです。しばらくおつきあいしていると性格や食べ物や趣味、価値観などがわかってきます。やはり価値観が共有できることが最も重要です。例えば集合住宅のような使用者が直接わからないような建物の設計についても、自分をそこの住人に置き換えて、この年齢でこの場所だったら自分はどのような空間に住んでみたいかを考えて設計しています。自分が住んでみたいと思える空間は、きっと他の人も住んでみたいと思うだろうと考えるからです。

 

―最近の住宅作品によく多面体を使われていますね。
 山中湖の「Fuji View House」という住宅の設計では、屋根をむくらせてつくりました。むくらせると内部空間にある種の「包まれ感」ができてくるのかと思い始めたのがきっかけです。むくりは鉄骨のキールに木の垂木を少しずつ角度を変えて架けてつくりました。その後、より包まれ感を表現するにはどうしたらいいのかを追求していき多面体が生まれました。さらにそれを合理的につくるには多面体をどう構成していったらよいのかを考える必要が出てきました。普通は立体トラスを用いますが、「杉浦別邸 多面体・岐阜ひるがの」の建物はアラン・バーデン氏による構造設計で、あれは面でも線でもなく多面の形を不整形の梁の連続で構成しました。外側と内側の両面に構造用合板で合わせていくと結果的に面状トラスの多面体になるという構成になっています。構造家との組み合わせでいろいろなチャレンジができるのです。

 

杉浦別邸 多面体・岐阜ひるがの

 

―構造家や他のデザイナーとはどのように仕事をしていきますか。
 これまでにいろんな構造家と一緒に設計してきましたが、構造家の得意・不得意もありますので、その時々のプログラムによってパートナーを代えてやっています。
 また、ランドスケープデザインは中谷耿一郎(こういちろう)さんとご一緒することが多いです。まずはじめに、どの木を残すかを一緒に決めて、そこから配置を決めていきます。建築もランドスケープの一部だと考えていて、ランドスケープを考えることから設計を始めます。

 

―ディテールや素材選びについて教えてください。
 それほど特別なことはしていないつもりですし、素材選びも自然な流れで決めています。ただ、やはり新しいことや新しい材料に挑戦したくなるのです。埼玉のお茶室「平成の二畳台目」の設計では、茶庭の蹲(つくばい)をつくる際、予算の関係で石ではなくコンクリートでつくれないかと考えました。けれども単にコンクリートの蹲をつくっても面白くありません。アプローチに水盤を張っていますので、水面の光が反射して蹲を光が貫通して入ってこないものか、蹲にもガラスがはめ込めないのかと考えたのです。単にガラスをそのまま挟み込んでしまうと真っ二つに割れてしまうので、そこは秘密ですが、断面を工夫して実現することができました。

 

平成の二畳台目の蹲

 

―若い建築家へのメッセージをいただけますか。
 あるべき建築を考えるだけです。逆立ちすることなく、その場所であるべき建築をつくることを説得していけるたくましさがほしいです。どんな時でも必ず抵抗はありますが、本気でやれば乗り越えていけると思います。  勉強も才能も時間の使い方も、肝に銘じて日々磨いていくことが大切だと思います。人はどんな生活だってできるでしょうが、その生活からしかデザインは生まれてこないものなのです。

 

―今日の日本の建築を取り巻く状況についてのお考えや、今後の抱負について教えていただけますか。
 お役人は口ではいくら説明してもわからないものです。要はつくって実物を見せない限りは理解していただけないのです。
 日本は戦後70年経ち、もちろんいいところもたくさんあるし、日本は愛すべき国だと思っています。最近は、震災復興もそうですし、いろんな場所でまちづくりをやっています。それはそれで社会にとってはいいことが多いのですが、しかし、海外に多くのお金をばらまいている一方で、日本国内で何故皆がこんな貧しい暮らしをしないといけないのか、僕は何か少し違うのではないかというか、貧しさをガマンし過ぎてはいないか、豊かになることを恐れていないか?もっと良い暮らしができるのではないかと思うのです。そのために必要なものをつくってお見せするしかないと思っています。まもなく70歳になりますから、あと10年くらいの間でやらなければなりませんね。

 

KYA・仲町台アトリエ

 

インタビュー:平成28年1月25日 横河設計工房にて

 

 

 

横河 健(よこがわ けん) プロフィール

建築家
日本大学理工学部建築学科特任教授
日本建築家協会 (JIA) 会員
日本建築学会(AIJ) 会員
慶應義塾特選塾員

1970 ワシントン州立大学交換留学生
1972 日本大学芸術学部卒業
1972 黒川雅之建築設計事務所
1976 設計事務所クレヨン&アソシエイツ設立
1982 株式会社横河設計工房
2001 日本大学芸術学部兼担講師(-2013)
    日本大学研究所教授(-2003)
2003 日本大学理工学部建築学科教授(-2013)
2004 JIA日本建築家協会副会長(-2006)
2008 日本建築学会代議員(-2009)
2009 東京大学大学院非常勤講師(-2011)
2014 日本大学理工学部建築学科特任教授(-2015)
2016 武蔵野美術大学客員教授

 

 

 

 

 

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