JIA Bulletin 2015年5月号/覗いてみました他人の流儀

新良太氏に聞く
「写真家の仕事と作品」

新 良太 氏

新 良太氏
聞き手:Bulletin編集委員


■これまでの経緯
学生時代から写真の道に進むことを決めておられたのですね。

 大学では建築を学んでいました。設計デザインができるようになりたいと思っていましたが、製図の授業でペンを回しながら直線を引くことができなくて心が折れました。それでもモノ作りを生業にしたくて奮闘していました。いろいろ試したあげく、カメラというか、写真に強く引き寄せられました。当時はカメラを持っていなくて友人のカメラを借りて撮っていました。ずっと借りたまま卒業を迎えて、友人からそろそろ返してくれないかとそうっと言われました。写真に熱中していた私を見守ってくれた友人にとても感謝をしています。写真の道に進もうかと相談した時は家族を含め誰一人として止めなかったです。反対される事を想定していろいろ考えていたのですが皆応援してくれました。学生時代は友人や街を撮っていました。また建築模型も。当時在籍していた大学では建築コンペに参加することが盛んで、毎回誰かが入選するような感じでした。全てではありませんが、コンペに参加する模型を随分撮っていたと思います。コンペの締切り間近かになると撮影依頼が多かったですね。模型を見ただけで何を意図したのか分かるようになりました。写真はその意図を強調するように撮りました。言葉の説明が要らないような模型の案は入選していたと思います。学生のアイディアコンペとは言え、その撮影経験を通じてものの見方を学んだと思います。

 

当時から写真を撮るときに設計者の意図を読むようなことをされていたのですね。
 建築に限らずモノを通じて作り手の言葉にならないイメージも取り込もうとは思っています。しかし、建築やモノが作り手の思いを必ずしも表現されているとは限りません。良い意味でも悪い意味でも裏切られる事はあるのではないでしょうか。作り手の話を聞くことは大事ですが、聞きすぎてしまうのも建築やモノを見る目にフィルターがかかってしまい、思わぬ結果を生んでしまうことがあります。撮影の臨む姿勢としてなるべくクリアに見るように心掛けています。撮影の現場では、カメラマンとして見えたことを作り手に言いますが、作者の意図と違うこともあります。その違いはなんだろうと対話します。

 

建築の撮影では設計者の要望もあると思いますが、どのように進められますか。
 もとは大判カメラで撮っていたので、予算や時間の制約から撮影ポイントの取捨選択がありました。当時は白黒のポラロイドカメラで試し撮りをしながら進めていました。建築カメラマンとしてはポラロイドを撮るのは珍しかったと思います。カラーの写真より白黒のポラロイドが好きな建築家もいました。現場で立ち会った建築事務所の若い所員に「ボスには内緒だよ」とポラロイドの写真を差し上げたこともあります。今はデジカメになってポラロイドを切ることもなくなりました。現場で撮れるだけ撮って持ち帰り画面上で選択していますが、あの頃が懐かしいです。ほんの数年前の話です。

 


慶應義塾大学三田キャンパス第一校舎

 

■写真家の仕事と作品
撮影依頼を受けて撮る写真と、日頃から自らの意思で撮る写真の大きく2つに分かれるのではないですか。
 東京スカイツリーの写真集(※1)を上梓するまでは割と明確にありました。最近はその中間のグレーゾーンも多いのですが、自由に撮影できる環境を大事にしています。竣工写真から作品にならないかと思うこともありますが、竣工写真は依頼してくれた建築家やクライアントに寄り添う姿勢で臨んでいます。

 

意識や価値観が変わる仕事や撮影体験はありましたか。
 最近では空撮の経験です。まだ空撮に慣れていない頃、飛ぶ前日に墜落した体験記を読まされて決死の思いで臨んだことがあります。普段の撮影では決死の思いをすることはありませんからね。空港にかえってきて地面に足をつけた時の地面の確かさに何度も有り難いと思いました。慣れないことにチャレンジすることと、決死な思いをすることは、撮影意識を強固にさせます。空撮も慣れてくると必死さがなくなるので、初心を忘れないように心掛けています。
 また、価値観が変わった最初の経験といえば、首都圏外郭放水路とスーパーカミオカンデの撮影です。巨大な空間を撮影する経験はそれまでなかったことですから何か突き抜ける感じがしました。スーパーカミオカンデの撮影では、研究者が「ニュートリノは全ての物質を突き抜ける性質がある」と説明してくれたので「宇宙の際に着いたらどうなるのか」と質問しました。研究者は「宇宙に際はありません。空間が歪んでいるので」と当たり前のように答えられた時、建築写真の憑き物が落ちたような感じがしました。だからと言って、建築空間の水平、垂直をないがしろにはしませんが、遥か遠い世界も見るようになりました。建築も宇宙の一部だと感じられる写真が撮れるようになりたいです。
 村野藤吾設計の建築を撮った時は、その全てが勉強になりました。先日は、谷口吉郎設計の東京會舘を撮影させていただきました。解体工事の最中、猪熊源一郎の作品がまだ残っていたので幸いでした。電気は工事用以外は通じていなくて照明はつかなかったのですが、建築が持つ空間の強さは全く劣らず、写真に少しでもその強さが表れるように願いながら撮影しました。東日本大震災では、震災後半年後に撮影しました。復興への準備が少しずつ進む中で被災の激しさを物語る写真ばかり撮っていましたが、被災者の気持ちを思うと撮れなくなりました。

 

■仕事の流儀
写真を撮るときの流儀をお聞かせください

 竣工写真では建築に寄り添うような姿勢で撮っています。写真を見た人が訪れたい、建築家に家を設計して欲しいと思わせる写真、建築家を含め携わった人達が驚きと誇りが持てる写真を撮りたいと常々願っています。
 仕事であってもライフワークであってもイメージが湧くような写真を撮りたいと思っています。写真を確認する時は撮影の困難さや苦労に引きずられないように第三者の目で見るようにしています。

 

■今後の抱負
今後の抱負についてお聞かせください。

 仕事でも仕事でなくても写真を撮ったと思える日を多くしたいです。

 


空撮

 

〈聞き手:八田雅章・市村宏文〉
※1 TOKYO SKYTREE 東京スカイツリー公認写真集 朝日新聞出版 2012年3月

 

 

 

■新 良太(あたらし りょうた)氏プロフィール

 

写真家 建築写真を中心に活動の場を広げている

 

1973年 東京都生まれ
2003年 写真集『Not Found』を上梓
2012年 写真集『TOKYO SKYTREE』を上梓

 
外郭放水路

 

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