JIA Bulletin 2012年7月号/覗いてみました他人の流儀
五味太郎氏に聞く
「絵本のはなし〜設定をゆるめてみること」
五味太郎氏
五味太郎氏
聞き手:Bulletin 編集委員

■これまでの歩み
絵本作家になるまでのおいたちを教えてください。子供の頃から絵を描くのが好きだったのでしょうか。

 

 まずは見ることが好きなんだよね。今でもテレビで面白いのは何か作業しているのとかね、穴掘ったり編んだり、手仕事ニッポンみたいなやつ。
 子供の頃はでっち上げみたいなことも好きだったよ。夏休みの絵日記の宿題は夏休みが始まる時に1日で全部書いてしまうというのが習慣だった。「今日はおじさんがスイカを持って遊びに来ました」とか書くと、しょうがないなぁって本当にスイカを持って来てくれたりして(笑)。だからあの頃からすでに絵本作家だったのかもしれない。ふざけながらもクリエイティブな暮らしだったよ。そういう楽しいことを連続してやってきて、気が付いたら絵本作家だったという感じ(笑)。
 工業デザインには興味があったけど材料とか最後の作り方の部分が分からなくて、そういうのは知っておいた方がいいなと思って、桑沢デザイン研究所に入った。でも、デザインの元のところの話っていうのは習うものじゃないなぁというのが基本的にあったような気がする。
 2週間前からチェロを始めたんだけど、先生なんか居なくても、まずは音を出してみるとちゃんと音が出るんだよね。昨日みんなに聞かせたら黙っていたけど(笑)。
 チューニングだけは楽器屋にやってもらってあとはピアノで音合わせして弾いてみる。ギターも夜中じゅういじっていて、いい音だなぁって思ったのがCコードだったりして、誰かに習うことなく、それを発見するんだよね。

 

工業デザイナーから絵本作家になるきっかけはどんなことでしたか。

 

 特になろうと思ったわけではないよ、気が付いたらなっていた。前から絵本みたいなものを書いていたんだけど、こういうの売り込んだほうが良いんじゃないって友達に言われて、そいつが出版社のリストまで作ってくれて、あいうえお順になっていたから岩崎書店に当たってみたら出版しましょうってことになった。
 イラスト描いたり、子供服のブランドを商社とやったり、広告やったり、その中で絵本もやっていて10冊くらい出版した頃にオレは絵本作家じゃないか?って思ったの(笑)。それで、今も広告とかもやってるけど、だんだんウェイトが絵本に来ただけなんです。でもオレはやっぱり絵本の人なんだよね、普段から考えていることが。何か面白いことがあると、これ絵本になるかなぁとか。本が好きだから書いているんだよなって後から気が付いたんだよね。オレの親父も本が好きだったし。

 

とても自由な感じがしますが、その自由さどこから来ているのでしょうか。

 

 今の大人は何かに怯えているなぁと思いますよ。それでみんな動かない。会社を首になることや仕事がぽしゃることに怯えていて、それが子供にも出ているように思う。それは世界的に感じる。怯えているという表現は馴染まないかもしれないけど北ヨーロッパなんかはみんなコンサバティブだよね。
 自由というのは良く分からないな。人ってどこかで「自由を求める」というキーワードを惚れ込んじゃっていて、「自由を求める=人生だ」みたいで文学的というか言葉的なんだよね。その前提には「今は不自由である」という逆設定をしてしまっているように思う。不自由なのは当たり前で、重力に抗い、時間にも抗って生きているんだから、オレはこの不自由さの面白さということを楽しんでいるのかもしれない。
 教育の現場で子供たちに言葉やキーワードでしか伝えていないから、実感として入って行かずに生活の中で誤差が出るというようなことがあちらこちらで起こっているんじゃないかな。先に生きた人が後から生まれてくる人を「導く」ということを一旦止めれば、世の中って本当に変わるなぁって思う。絵本づくりをやってると「子供のために」みたいなことが付きまとっていて、子供たちを導くということが前提となってしまっている訳だけど、それは逆から見ると「彼らは愚かで導かれるべき人」だと設定してしまっているんですよね。子供たちは別に指導されたいとか教えられたいなんて思っていないのよ。今は至る所に教育システムが必ず付いていて、そこを経ないと一流になれないっていうシステムになっている。ここが問題で、これを本質的な部分でアレンジできれば世の中もう少し風通しが良くなるのになぁといつも思います。

 

■発想の原点・仕事の進め方
絵本を作る時はどのように発想をしたり仕事を進めるのでしょうか。

 

 いろんなパターンがあるよ。面白い言葉が引っ掛かって広がっていくこともあるし、面白い絵が1枚あってそこから延ばしていったり、あるいはこういう楽しい感じが絵本にならないかって考えたり。いつも考えている中で時々何かのポイントで「これは絵本になりそうだな」って感じで「とりあえず」って感じで作業を進めていくと上手くスッと行くのがあって、そういうのが傑作に違いないって思っている(笑)。
 あと気が付いたのが、子供のために書くというのでなく、実は子供は非常に優れた読者なんだってこと。どういうことかというと、ガキはこの知らないおじさんが行なっている作業の充実感を感じ取るんだよね。400冊以上書いてきてそれだけは完全に分かったよ。だから絵の上手い下手とか、文章がかっこいいかどうかなんて二の次三の次。作業の充実感っていうのが間違いなく伝わる。それはもちろん趣味が合うってことが括弧つきでの話だけど。

 

しかけ絵本やことわざ絵本などの企画はどのように生まれるのですか。

 

 あれはオレがこんなのが面白いんじゃないかって持っていくわけ。仕事って絶対自分で作るものだと思う。だいたい向こうからはろくな企画来ないんですよ。今、消費者は何を考えているのか?みたいな設定をしてるけど、ユーザーっていうのは結果ユーズしているだけで、何かを求めている訳じゃない。求めている人っていうのは自分で作ると思うんだよね。だから今読者が何を読みたがっているかなんて、探ってもそんなの出てこないと思うよ。いわゆるハウツーものとかデータ化できるものはそういうものがあるかもしれないけど、オレは興味がないなぁ。

 

写真
しかけ絵本「きいろいのはちょうちょ」 偕成社1983年

 

しかけ絵本やことわざ絵本などの企画はどのように生まれるのですか。

 

 絵本等の出版には馴染まないと思うよ。それは出版が企業化した時に、独特な業態の持つ特性を一般化してしまうんだね。会議で今何が求められているかってことから始まって、最後には今こういうのが売れてますって話になって、じゃあこれに近いものを作ろうってことになっちゃう。大手に限ってこれを繰り返している。
 それじゃつまらないと考えている人たちもいて、もう少し本質的にやるべきことをやる規模の小さい組織をつくる動きが出版でも起こっている。出版は印刷とか製本とか外注する訳だから結局3〜5人くらいで良い訳。あとは連絡網だけあって、作家、デザイナーへと連絡を取りながら印刷屋、ディストリビューター(配本)・流通会社、書店へという流れをみんなで分かっていれば良い。編集部・営業部・総務部と分業化していくとこの本は何のためにやっているのかが分からなくなって行く。
 今、僕がやっているのはみんな小型の出版社だよ。編集から営業まで3人くらいでできてしまう。今は世界中みても良い出版社は皆小規模ですよ。イタリアのボローニャで毎年フェアがあって集まるけど、みんな気楽なものだよ。おじさんおばさんが会社作っていて、そこで5,6人が働いている。これがかなり名前の通っている会社なんだよ。絵本館とかブロンズ新社なんかも10 人くらいでやってる。それで十分できているし、そうじゃないと気合が入ったものがなかなか出来ない。だからその業態によっての一番良い方法っていうのを編み出さないといけないね。

 

■作り手と読み手の関係
先日のトークライブで「本には、作り手と読み手が50%ずつ仕事を受け持っている」という先生の話に感銘を受けました。それについてもう少しお話いただけますか。

 

 誰かに絶対読ませたいっていうのがあって、建築家だって楽しく住んで欲しいっていうのが絶対あると思うんだよ。やっぱり表現するってことは聞き手・読み手っていうのを前提にしているものだから。
 そうした時に読み手の力っていう問題が当然出てくるよね。40年近くずっとやってきて読み手って相当力があるよなぁってことが分かった。特にガキに多いよ。あと初老の方。まだオレが30代40代の頃の話だけど、年配の方から丁重な手紙をもらったりした。それで、これはちょっとまじめに書かないとなぁって、震えたことあるよ。それが割と初期の頃にあったからラッキーだったと思う。
 この間、サイン会でおばあさんから「うちはもう親子4世代でファンよ」って。絵本は時間を越える感じがあって楽しい仕事だなぁと思うよ。

 

作り手としての50%を超えてしまうことが建築の場合もありますが、力の入れ具合みたいなコツがあるのでしょうか。

 

 作り手の50%と読み手の50%は、オレは両方の意識なんだよね。50%というデジタルの話ではなくて、作り手と読み手の両方があるっていう意識。その両方がそれぞれの仕事をちゃんとしないと盛り上がらないぜっていう話。で、ガキはそれを完璧にこなす。だから子供は良い読者だって思うんだよね。大人はちょっと距離を取っちゃって評論家みたいになるから、読み手として10%もしてくれない。
 建築も気楽になって、あるところを超えたら絶対もっとゆるくなるのにって思うよ。建築は建設費の3割くらいは取っておいた方がいいんだよね。オレも家作ったときに思ったの。住んでみると、ここ違うなぁっていうのが出てくるんだよね。八ヶ岳にある家は25年間で総取替えしたような気がするなぁ。一部分ずつ変えていったんだけど、それが楽しいんだよ。だから完成ってことにしちゃうのがいけないのかもね。完成ってなんか儀式っぽくて。それをゆるめる方法ってあるんじゃないのかな。
 教育も建築も固くなっていることで社会が固くなっているっていうことなんだよね。住まい方なんていうのは一番ゆるめるのが早いんじゃないかなぁって気がしますよ。

 

写真
五味太郎トークライブの様子

〈聞き手:土居志朗・市村宏文・杉山英知〉

 

■五味太郎(ごみたろう)氏プロフィール

1945年東京都生まれ
桑沢デザイン研究所ID科卒業
絵本を中心に400冊を超える作品を発表。海外でも20カ国以上で翻訳・出版されている。
主な作品に、「かくしたのだあれ」「たべたのだあれ」(サンケイ児童出版文化賞)、「仔牛の春」(ボローニャ国際絵本原画展賞)、「さる・るるる」、「らくがき絵本」、エッセイ「ときどきの少年」(路傍の石文学賞)など。http://www.gomitaro.com/


他人の流儀 一覧へ