JIA Bulletin 2011年3月号/F O R U M 覗いて見ました「他人の流儀」
団塚栄喜氏に聞く
「ボーダーレスな夢のある話、楽しい話」
芦原太郎氏 インタビュー風景
団塚栄喜氏
聞き手:Bulletin編集委員

 
 ランドスケープデザインからメディカルハーブマンカフェプロジェクト(MHCP)というユニークな活動までボーダーレスにご活躍されているランドスケープデザイナーの団塚栄喜さんにいろいろとお話しを伺ってきました。


■ これまでの歩み
団塚さんの生い立ちやランドスケープの仕事を始められた背景をご紹介ください。


 出身は、大分県佐伯市の大入島という島で、風光明媚できれいな海や山での暮らしが僕の原風景です。3歳の時にはじめて釣った魚を祖母が記念にと味噌汁に入れてくれて食べたこと、海沿いの岩に松の木が生えている場所が気に入っていたことや、落雷で頂上が真っ白い砂地になっている山があって、そこにひとりで登り、夕方までそこでただじっとして過ごして降りてくる、というのがなんだか好きだったことなどを思い出します。
 そういった体験をしたことで、風景と親しむとか、環境・自然と遊ぶという感覚が子供の頃に培われたのかもしれません。
  防波堤でも良く遊びました。いつもそのコンクリート越しに自然風景を見ていました。防波堤は、自然と人の生活との境界線で、それを媒体として自然を観察したり、体感したりしていた。そんな防波堤の存在感は僕の作品と近しいものがあると思います。
 大学は地元の商学部商学科でした。ある時、建築学科の友人の部屋にあった建築雑誌を偶然見たら、なんだかドキドキ、ワクワクする。それで、これかもしれないと思って。とりあえずボストンバック1つ持って東京に出て、現場作業のアルバイトをしながら、当時は、建築とインテリアの違いも分かっていなくて、インテリアの学校だということも知らずに桑沢デザイン研究所に入り、スペースデザイン学科でスペース全般を学びました。
 卒業後、関根伸夫さんのアトリエに入りました。彼が主宰する環境美術研究所は、その社名のとおり、環境と人との間を取り持つアートという「環境芸術」を標榜していて、その中にスペースとか建築的なアプローチもありながら作品をつくっていた。
 関根さんは大らかな方で、好きにやらせてもらえました。彫刻が中心でしたが、様々な作品に関わって制作を重ねていくうちにだんだん彫刻という「点」をつくることでは飽き足らなくなり、もっと人に影響を与えられる環境全体を手掛けたいという気持ちが大きくなっていきました。最初のランドスケープの仕事は、関根さんの所で手掛けた自分の郷里の大分県佐伯市平和公園です。環境美術研究所に入社して12年経った35歳の時にアースケイプを設立し、あとは行き当たりばったり。ランドスケープだけやるつもりもなくて、「宇宙から地球を俯瞰する視点」だから何を作ってもいいだろうとアースとスケープをくっつけてアースケイプという社名にしました。

 

 

■ 発想の原点、仕事の進め方
植栽に重点を置いた「造園」とは異なったアプローチをされていますが、発想の原点を教えてください。


 やりたいことをやっているだけという感じで、ランドスケープの専門家という意識はありません。もちろん緑豊かな環境は必要だと思っているけど、都市の中で自然を感じるためには違うアプローチがあると思っていて、例えば、あるベンチをデザインする時に、座ることで今まで気付きもしなかった温度や湿度を感じるとか、木の影の長さで時間に気が付くとか、すぐまわりにある本当の自然を意識するきっかけを与える。

 子供のころに海と僕の間にあった防波堤に抱いた感覚と同じく、自然と人の媒介をつくることで自然を感じてもらえるのではないか、というアプローチです。
  それと、肩の力を抜いたときにふっとわいてくるものの中に、コトやモノの真理があると思っているので、ジョークみたいにでてきたアイデアの中に真っ当な正解があることが多い気がします。

 

地球の体温計

 
地球の体温計
地球の体温計

 


ブログで団塚さんがダーツをしてお年玉はがきの抽選をする様子がありました。

 

あぁ、あれもふざけていますね(笑)夜中にやりました。基本ふざけています。

 


ラゾーナ川崎など団塚さんの作品で子供が楽しそうに遊んでい ますが、「子供」がテーマとしてあるのでしょうか。


 子供の喜ぶ空間は大人も楽しめると思っているので、意識的にではないけれど結果的に子供目線で考えていることが多いかもしれません。それは、遊具をつくるわけではなくて、ちょっとした起伏とか、色づかいや領域の作り方なんかで子供は喜ぶと思うし。あとは、まずは自分自身が楽しいと思えるかどうかで、こうすれば思わず駆け上りたくなるとか、滑りたくなるとか、走り回りたくなるんじゃないかとか、そういう感覚を客観的にデザインに落とし込みます。
  この場所に立ったら、ここを歩いたらこう思うだろうな、というシミュレーションをしながら設計していくのですが、その時に自分が子供に戻っているのかもしれませんね。そして結果的に、子供も大人もお年寄りも楽しんでくれています。

ラゾーナ川崎
ラゾーナ川崎
ららぽーと豊洲
ららぽーと豊洲
三井アウトレットパーク入間
三井アウトレットパーク入間

 

建築家との協働
これまで協働されてきた中で、建築家に対する思いや注文はありますか。

建築をつくるときのデザインコンセプトが意外とないことが多いと思います。建築のコンセプトシートが環境性能とかハードの話だけでソフトの話がほとんど無くて、自分たちで建築も内包するコンセプトをつくってランドスケープを提案したりする事もあります。

 ただ冠的なコンセプトではなくて、もっと使われる人の身になった物語が重要で、その物語に忠実にものが出来ていれば、必然と人に影響を与えられるスペースになると僕は思います。

 

建築家によってやりやすい、やりにくいとかありますか?

 

組織設計事務所と仕事をすることも多いですが、その事務所によって色々違いはあるものの、基本的には担当者と気が合うかどうか、個人同士の感覚が大きいと思います。あと、建築に対する想いが強い方のほうがやりやすいです。僕が案を出すと、 「ここはこうなんじゃないの」とか意見交換が出来る人がいいですね。何にでも「いいね」と言われると「本当に?」って思ってしまいます。

逆に主張がつよい建築家だと衝突することはないですか?
ないですね。ケンカもないですし、仲良くやっていますよ。建築/ランドスケープと分けずに意見をぶつけ合いたいです。

公共的な大きな仕事が多いですが、個人邸の作庭とか小さいスケールの仕事はいかがですか?

 

 やってみたいと思っていますがあまり話がないんです。ホームページに「パーソナルランドスケープ」っていうページを作ったらどうかとも思っているくらい、個人の住宅請けますよってホント言いたいです。というのは、公共の大きな仕事でも、僕の作品はそこを訪れる人々の極めてパーソナルな感覚に訴えかけているので、ランドスケープの体験ってパーソナルなものだと思うから、それこそ個人のために作り込めればもっと面白いものができるはずです。是非やってみたい。

 

メディカルハーブマンカフェプロジェクトについて
このプロジェクトでのグッドデザイン賞受賞おめでとうございます。社会活動をはじめられたきっかけなどを教えてください。

 10年くらい前に日本パキスタン協会から、アフガニスタン国境に近い村で子供たちのためのプレイグラウンド制作のボランティア作業員をお願いしたい、という依頼があり、現地入りをしたその日は、2001.9.11。(奇しくも同時多発テロが起こった日だった。)偶然とはいえ、渦中にある人々やその状況を目の当たりにし、振り返るとそのことは僕の中で大きな衝撃となって残っていると思います。誰にお願いされたわけでもなく、社会活動をライフワークの一部として、自分たちでずっと続け ていかなくてはならない、という使命感に近い感覚を持っているのは、それが一つ、大きなきっかけですね。
  社会活動をはじめたきっかけはそういう背景もあるのですが、ハーブマン自体の形態というかデザインに直接つながるのは、現地での体験です。
  その制作の最中、体調を崩した時に一緒に作業をしていた現 地の職人さんが薬代わりに山から薬草みたいなものを持ってきてくれて、それを噛んで具合が良くなった体験をして。その後 東京に戻ってからも体調を崩してしまったのですが、僕は普段 からだは丈夫なほうなので、珍しく自分のからだが弱っていた時に思いついたのがハーブマンでした。福岡県立大学看護学部 の中庭にあるのがそれで、一番最初につくったハーブマンです。
  ハーブマンは旅するプロジェクトですが、これはこの場所で完 結している作品です。
プレイグラウンド制作は、作ってすぐに現地の子供達が遊び回っていて喜んでくれているのがダイレクトに伝わってきて、原点ってこういうことだなぁ、こういったことは続けていきたいな、 と思いました。どんな風にしたら続けていけるかと考えた時に、世界中を移動しながら、ハーブマンをつくってコンテナのカフェを開き、その売上を基金に入れて、貯まったらプレイグランドを作ろうという構想が生まれました。 声がかかれば場所や規模を問わずどこでも行きますし、ハーブマンの旅はこれからも続けていきます。

 

こういった社会活動は余裕がないとなかなかできませんよね。

 

  いつも気持ちの余裕を持ちたいなというのはありますが、ハーブマンの活動をしているときもデザインをやっているときも基本的には何も変わらないですよ。完成したときに「みんなどうやって使ってくれるかな」とか「喜んでくれるかな」とか思うのはハーブマンをやるときも変わらないから、気持ちは同じですね。だから、仕事と遊びとか仕事とボランティアとか、気持ちの上での切替えというのはありません。
 ワタリウム美術館で子供とワークショップをしたり、小学校で子供たちに話す機会があったのですが、子供の反応がすごく良くて、親御さんからも「子供のあんなうれしそうな姿みるのは久しぶりだ」と言われたり、単純ですが、やって良かったと思いました。そういう反応がうれしくて、アースケイプの仕事もハーブマンの仕事も続けられている部分もありますよね。小学校は、その時は講演会のようなスタイルだったのですが、今度はできれば図工の授業や、林間学校に呼んで欲しいですね。そのほうが面白いことができそうです。


今後の抱負 今、興味をお持ちのこと、将来手掛けてみたい仕事などについてお話ください。

 何にでも興味はありますが、プロダクト的な手のひらに収まるものとか、ちっちゃなこともやりたいです。アースケイプというのは宇宙からみた地球の姿ですごく大きな概念ですが、手のひらの宇宙というのもあるのではないか、手のひらで握ったら分かる触覚とか五感に響くような、ちっちゃくてもそこに宇宙のような世界観が描けると思っていて、大きなものから小さなものまでスケールレスなことをしたいです。手掛けてみたい仕事としては、宿。建築もランドスケープも含めた、俗にいうリゾートとは違った、人が生き返るというかリセットできるようなこだわりの宿を小さくてもいいから手掛けてみたいです。日本はあるクオリティを超えた宿が少ない。「なんで俺に頼まないんだろう」って思いますよ(笑)。
 子供のためのスペースもやりたい。もっと子供が思う存分遊べる環境づくりができないかなって思います。子供の安全を確保した上でもそういうのはできると思うし、駆け回ってもらえる様な楽しい空間をつくりたいから、今までも手掛けられる機会があるときは楽しい仕掛けにトライしてみるんですが、それで壊されないものもあるけど、都心なんかだと危ないのではないかってリスクヘッジで壊されてしまうこともある。
 海外のほうがその辺はおおらかで、最近、日本では実現できなかったものを海外でやっています。
 何事も楽しくやらないといけないと思っています。「夢のある話、 楽しい話をしましょう」ってランドスケープの打ち合わせでも言っています。これからもますます楽しく、大真面目にふざけていきたいです。(笑)

「白石市立白石第二小学校」ワークショップ風景
メディカルハーブマンカフェプロジェクト
 








「白石市立白石第二小学校」外観
恵比寿二丁目フェスティバル

 子供も大人も楽しませてくれる団塚作品。それはランドスケープの仕事にとどまらずボランティア活動のハーブマンやイベントまでボーダーレスに渡る。事務所である一軒家も自分たちで手を加えて葡萄棚の庭やアートワークがあったりとユニークなつくりだ。また近所のクリエイターと町内会を巻き込んで「恵比寿二丁目フェスティバル」なるお祭りを開くなどとにかく楽しいことを好きでやっている感じが印象的で、笑いの絶えなかったインタビューは楽しくもあり刺激的でもあった。

〈聞き手:土居志朗・湯浅剛

■団塚栄喜 氏(だんづかえいき アースケイプ代表)プロフィール
1963 年


大分県生まれ。桑沢デザイン研究所卒業後、 環境美術研究所を経て 1999 年アースケイプを設立。

●主な受賞
MHCP- メディカルハーブマンカフェプロジェクト」グッドデザイン賞(2010)
「大分空港バゲージクレームリニューアル」グッドデザイン賞 (2009)
「ららぽーと豊洲」グッドデザイン賞(2006)
「ラゾーナ川崎プラザ」グッドデザイン賞(2006)
「原町市民文化ホール」aaca 奨励賞、BCS 賞(2004)
「かながわ保健医療福祉大学」グッドデザイン賞(2003)
「晴海トリトンスクエア」BCS 賞、都市景観大賞(2000)
など他多数


アースケイプ www.earthscape.co.jp

メディカルハーブマンカフェプロジェクト(MHCP) www.mhcp.jp


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