JIA Bulletin 2009年2月号/ 覗いてみました「他人の流儀」
三澤千代治さんに
「これからの住宅」を聞く
三澤千代治 氏
↑インタビュー風景
聞き手:Bulletin 編集委員

ミサワホーム創業者の三澤千代治さんが手掛ける、国産材を利用した2000年住宅「HABITA」が話題です。どのようなお考えで取り組まれているのか、いろいろ伺ってきました。

建築業界にはいられた経緯と、ミサワホーム立ちあげについて教えて下さい。
私は日大建築科ですが、3年のとき音痴のやつは建築家になれないと言われて建築家を諦めたんですよ(笑)。4年の夏休み、結核で入院して寝ていたときに天井の梁がとても邪魔に見えた。そこから梁のない接着パネル工法を考えました。それが省資源で構造ができるミサワホームの工法となった。32歳に会社をたちあげて4年で上場。当時アポロ計画で、NASAが一企業でなく多くの会社の技術を統合して月にいったことから、それに習って、製造、販売がそれぞれ得意な会社を集めて、私どもは住宅の開発をする事務局だけをやったわけです。


三澤さんが、HABITAを手掛けるようになったきっかけとは?
1976年、建国200年でアメリカの200年住宅を見てきたのが起点です。10年後、フランス、ドイツ、中国等、世界160箇所を調べたら、鉄やコンクリートはなく、すべて木の家なんです。日本にも1万棟ほど200年住宅があって、リフォームをしていない家が344軒あった。
 200年住宅の答えは、地産地消・地元の木でやること。二つめは大断面−15センチ以上。乾燥材は絶対条件。それから真壁にして蓋をしないこと。この四つを守ると200年もつんですよ。昔の木造住宅ですね。
 ミサワホームでは、強度や居住性がテーマで、耐久性はあまりやってなかった。辞めてHABITAを始めたんです。まもなく安倍内閣を継承した福田総理が200年住宅を唱えて、国交省はモデル事業の公募を開始し、5年間やることに。民間の話をよく聞こうということですね。
 それと姉歯事件以来、業界は信用がないんですね。確認申請の厳格化や、住宅瑕疵担保責任保険も、住宅レベルの底上げにはなりませんよ。200年住宅は非常に高いレベルですが、これをクリアしないと、お客さんは市場に戻って来ないということなんですね。それもあってか、HABITAの発表会には人がたくさん来るんですよ。

HABITAの概要について教えて下さい。
HABITAを扱うのは工務店さんなので、営業マンがいらないことを考えたんです。
そうなると五感に訴えるしかない。まず視角。太い柱と梁を見て丈夫だなとわかるわけですよ。室内にはいると杉の木のにおいで嗅覚に訴えて、落ち着いていいなと感じる。それからフィットンチッドというものがありましてね。米材に比べて国産の杉で5倍、松では30倍多く含まれているんです。森の中と同じで、すがすがしいおいしい空気で味覚に訴えているんですよ。あとは聴覚。部屋の音をつつぬけにして、お母さんがごはんだよというと子供が出てくる−開放性。最後に触覚は、木ですから触ればいい。人間は98%猿といっしょですから、木の枝にぶら下がって緑を見ていれば、何となく幸せな気持ちになるわけで。だから申し訳ないけど、猿が住みやすい家をつくればいいと(笑)。
 あとコストダウンについて。ミサワでは、木が外国から、港、製材所、乾燥所、集成材工場、プレカット工場などを経由して現場に届きます。建材も日本列島を走り回わる。それと職人さん。毎日1台づつ車にのって現場にくるわけです。これらの距離を合計したら16万キロメーターになるわけです。住宅費のうち、物流費が約1/3。これはひどいなと..ミサワのときにいろいろやったけど半分にはならなかった。今回はそれをやめて、地元にすべて密着してやると1万6000キロで出来そうなんです。すると三割安くなる。それから、材工や人工計算という曖昧な考えには改善が必要だし、工場での作業効率を大幅にあげることも大切ですね。
 またHABITAでは、ひとつの工務店が、設計事務所、不動産会社とチームになって対応します。東京は半径1キロ。世田谷の工務店がモデル発表でチラシを3000枚まいたら30人も来た。地域密着がいかに大切かということですね。設計事務所も、地元の工務店、不動産会社と仲良くやればいいと思うんですね。セブンイレブンが1万2000店あります。だからそんなチームを、同じ条件で将来1万事業所を目ざす。そんなことをしたいなと思っているんですよ。
 篤姫から170年。こんなに変わったわけですよ。200年だと、内外装、設備はどうなるかわからないというのがホントの話。だから骨組だけでもちゃんとつくろうという考えですね。

ハウスメーカー、そして建築家について、どう思われますか?
日本は北から南まで気候風土がありますが、住宅会社はそこまで対応しきれない。それから工場、販売会社、工務店とで、粗利が五割ないと成り立たない。五割は厳しいでしょう。
今コーポラティブに関心があります。分譲はリスクが大きすぎる。まずお客さんが集まって組合をつくって、そこで素地をつくり、お金を借りて、工事を頼んで……、お客さんも業者もまったくリスクがない。これからは、設計事務所と建築家には、あまり作品、作品と言わないで、コーポラティブを開拓してもらいたいですね。花が一年中咲くとか、大きい木を植えて森にするとか、コンセプトを建築家が最初に決めればきっといい街ができると思うんです。どうやってお客さんを集めるかは私どもがわかっているし、建築家とそういった仕事をしたいなと思ってるんですよ。いい街ができれば資産価値になるし、200年住宅も意味があるんですね。
何百戸というのはやはり難しいから、20戸くらいがいいと思います。

今までに御自身で設計された家や建物といったものはありますか?
私は人がつくったものにごちゃごちゃ言うのは好きだけど。自分ではできないなと思う。
私も70歳ですから。丹下さんが70歳で建築のことがわかってきた、80歳でよくわかった……と言ってますしね。70歳くらいまでは、お客さんに迷惑かけて勉強するということなんですね。

現在世界的な不況に陥っていますが、今後の展望はどう御考えでしょうか?
私はいつも楽観的に考えるんですが……、世界経済は10人くらいの人達が何十年もかけて考え、そういう流れのなかに我々はいるのだと思っています。200年住宅は環境にいい、だからその環境という大きな川で、川上を目指したり、直角に泳ごうと思ってもそれは無理。川に流されながら対岸に着く。やはり環境に逆らうというのは危ないんじゃないですか。
 ところで、いま100年ローンをつくろうと思っています。借金を残したまま次の代に移す。つまり物件にローンがつく。3000万の35年ローンだと月々10万円の返済が5万をきるんです。そうすると賃貸がなくなって、皆持ち家で住んじゃう。また100年住宅を継続するために、車検のような検査制度をつくる。10年ローンを10回というように。来年夏くらいまでにまとめたいなと思っているんです。内需拡大というといい手がないけど、これだと銀行もリスクがないですよ。高い返済だから引っ掛かるわけで。100年、200年もつ住宅ができそうだとなれば、どうだろうかという感じですね。

インタビューを終えて
興味深いお話を伺い、建築家も設計ばかりに没頭するのでなく、融資のしくみや、環境、そして街全体まで、より広い視点から、住宅や建築を考えるべき時代になったのではと感じました。最後に個人的な興味について伺ったところ「私は住宅バカだから。家つくるの、面白いですよね」とのこと。とことん住宅にこだわる三澤さん、パワーとバイタリティに満ち溢れていました。


SORA・MADO・さんぶ――外観

SORA・MADO・さんぶ――内観



■三澤 千代治 氏 経歴  
MISAWA・international株式会社 代表取締役社長  
1938年 新潟県生まれ。
日本大学理工学部建築学科卒。
1967年 三澤木材株式会社を経て、
ミサワホーム株式会社を設立
1971年 東証二部に上場(当時33歳、史上最年少社長)。
2003年 名誉会長に就任。2004年、同社退社。
2004年 MISAWA・international株式会社設立、代表取締役就任。
三澤千代治 氏

〈聞き手:湯浅剛・中村高淑・三上紀子〉


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